ジェイムズ・コリアー
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ジェイムズ・コリアー James Collier | |
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生年月日 | 1872年9月28日 |
出生地 | アメリカ合衆国、ミシシッピ州ウォーレン郡、ヴィックスバーグ近郊 |
没年月日 | 1933年9月28日(61歳没) |
死没地 | アメリカ合衆国、ワシントンD.C. |
出身校 | ミシシッピ大学 |
所属政党 | 民主党 |
選挙区 | ミシシッピ州8区 |
当選回数 | 12回 |
在任期間 | 1909年3月4日 - 1933年3月3日 |
在任期間 | 1931年 - 1933年 |
ジェイムズ・ウィリアム・コリアー(英語: James William Collier, 1872年9月28日 - 1933年9月28日)は、アメリカ合衆国・ミシシッピ州出身の政治家。同州選出の連邦下院議員(ミシシッピ州8区)として12期24年の任期を務めた。第51代下院歳入委員長。所属政党は民主党。
概要
[編集]1872年9月28日、ミシシッピ州ウォーレン郡ヴィックスバーグ近郊のグレンウッド農園で誕生[1]。1894年にミシシッピ大学法学部を卒業。同年、ミシシッピ州で弁護士資格を取得し、故郷ヴィックスバーグで事務所を開業する[1]。ミシシッピ州下院議員(1896年 - 1899年)やウォーレン郡の巡回裁判所書記官(1900年 - 1909年)を歴任[2]。1908年に民主党員としてミシシッピ州8区から下院議員選挙に出馬すると、対立候補もなく当選を果たす[3]。その後も対立候補のない選挙が続き、最も得票率が低かった1920年選挙でさえも95.4%の得票率で当選している[4]。
12期目となった第72議会(1931年-1933年)で第51代下院歳入委員長を務めたが[1]、1930年の国勢調査の選挙区改廃で1932年選挙からミシシッピ州8区が廃止されることが決定。ミシシッピ州7区から出馬したが、予備選で7区現職のローレンス・エルゼイに2倍以上の票差をつけられ敗北した[5]。
議員引退後はフランクリン・ルーズベルト政権でアメリカ関税委員会の委員に任命されたが、1933年9月28日、ワシントンD.C.で死去[1]。ヴィックスバーグのシーダー・ヒル墓地(Cedar Hill Cemetery)に埋葬された[2]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d “COLLIER, James William: 1872 – 1933”. Biographical Directory of the United States Congress. 2022年1月30日閲覧。
- ^ a b “The Political Graveyard: Index to Politicians: Colemar to Collini”. politicalgraveyard.com. 2022年1月30日閲覧。
- ^ “MS - District 08 Race - Nov 03, 1908”. Our Campaigns. 2022年1月30日閲覧。
- ^ “Our Campaigns - MS District 8 Race - Nov 02, 1920”. www.ourcampaigns.com. 2022年1月30日閲覧。
- ^ “MS District 7 - D Primary Race - Aug 23, 1932”. Our Campaigns. 2022年1月30日閲覧。
アメリカ合衆国下院 | ||
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先代 ジョン・シャープ・ウィリアムズ |
ミシシッピ州第8選挙区 選出議員 第2代:1909年3月4日 - 1933年3月3日 |
選挙区廃止 |
先代 ウィルス・ホーリー |
下院歳入委員会 委員長 第51代: 1931年 - 1933年 |
次代 ロバート・ドートン |