ジェバ川
ジェバ川(ジェバがわ、Geba)は、ギニアに源を発しセネガルを通り、ギニアビサウで大西洋に達する西アフリカの川。全長は、およそ340マイル (550 km)である[1]。
支流のコルフェ (Colufe) 川が、バファタでジェバ川に合流する。ジェバ (Geba) の町とバンバディンカを通った後、コルバル川と合流するシメ (Xime) の先で川幅が広がって三角江となり、河口部のビサウでは10マイル (16 km)ほどに達する[1]。三角江はさらに広がり、川が大西洋に注ぐ先にはビジャゴ諸島が広がっている。
ジェバ川は、コルバル川とともに、バファタ台地から水が流れ出す経路となっている。また、ファリム川(別名カチュー (Cacheu) 川)やその支流とともに、ガブ (Gabú) 平野からも水を集めている[2]。
この川は、長い間にわたって内陸部へと繋がる重要な交易の経路であった。2,000トン級の船舶でも、およそ90マイル (140 km)程度は遡行が可能であるし、船底が浅い船であれば、さらに上流へ向かうことも可能である。
歴史
[編集]ギニアビサウに伝わる伝承によると、ジェバ川は1446年にヌーノ・トリスタンによって遡行されていたと 言われている。ビサウの市街地には、トリスタンを記念した銅像が建てられており[3]、彼がこの地域を発見したことを記念して1991年には、その名を刻んだ銀貨が鋳造された[4]。
ジェバ川は、歴史的な交易路であり、特にビサウとバタファの間の連絡は重要であったが、ポルトガルによる植民地支配に抵抗した原住民たちは、しばしばこの区間の航行を妨害した[5]。19世紀末から激化した抵抗運動を鎮圧するため、1907年からポルトガルによる本格的な軍事介入が始まり、ジェバ川に沿って多くの戦闘が行われた[5]。
1974年まで続いたポルトガルの植民地戦争の間にも、この川は多数の軍事作戦の場所となった。
脚注
[編集]- ^ a b “Golden Sediments from Geba River, Guinea Bissau”. Earth Snapshot. Chelys. 2015年10月8日閲覧。
- ^ “Guinea-Bissau”. Encyclopædia Britannica. 2015年10月8日閲覧。
- ^ Bissau (Guiné) - Estátua de Nuno Tristão
- ^ Gedenkmünze Nuno Tristão
- ^ a b 川端正久「植民と抵抗―ギニア・ビサウ民族解放運動前史 (1679~1944)―」『アフリカ研究』第15号、1976年、42-49頁。 NAID 130000731049