ジェプツンタンパ6世
表示
ジェプツンタンパ6世(1842年 - 1848年)は、モンゴルの北部ハルハを本拠として活動した化身ラマの名跡ジェプツンタンパの第6代。法名としてロサン・テンペーギェンツェンの名をもつ。
転生と夭折
[編集]第6世はチベット・ウー地方のロバの牧者の子として1842年に誕生した。1848年、ハルハから5000人の大迎接団がチベットに赴き、ゲルク派の寺院やダライ・ラマ、パンチェン・ラマらに大規模な寄進を行い、第6世を引き取ってハルハに戻った。6世は天然痘に罹患し、ハルハに滞在すること僅か59日目に、あえなく夭折した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 札奇斯欽 (1978), “蒙古政教領袖、哲布尊丹巴與西藏之関係”, 蒙古與西藏歴史關係之研究, 正中書局, ISBN 957-09-0358-9
- 橋本光寳「第四章 蒙古の二大喇嘛 第一節 哲布尊丹呼圖克圖」『蒙古の喇嘛教』佛教公論社、1942年、113-121頁。
関連項目
[編集]- ジェプツンタンパ1世 ロブサン・ダンビジャンツァン(ロサン・テンペーゲンツェン)、ザナバザル,ジュニャーナヴァジュラ(1635–1723)
- ジェプツンタンパ2世 ロブサン・ダンビトゥンミ(ロサン・テンペートンメ) (1724–1757)
- ジェプツンタンパ3世 イシ・ダンバニャム(イェシェ・テンペーニマ)(1758–1773)
- ジェプツンタンパ4世 ロブサン・トゥブダンワンチュク(ロサントゥブテンワンチュク・ジグメギャムツォ)(1775–1813)
- ジェプツンタンパ5世 ロブサン・チュルテムジグミッド (ロサンツルティムジグメ・テンペーギェンツェン)(1815–1841)
- ジェプツンタンパ6世 ロサン・テンペーギェンツェン(1842/1843–1848)
- ジェプツンタンパ7世 ガワン・チューキワンチュク・ティンレーギャムツォ (1849/1850–1868 )
- ジェプツンタンパ8世 ガワンロサン・チューキニマ・テンジンワンチュク (1870/1871 –1923/1924)
- ジェプツンタンバ9世 ジャンペルナムギャル・チューキギェンツェン (1932- )