ヘラルト・シボン
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名前 | ||||||
愛称 | ヘラルディーニョ | |||||
ラテン文字 | Gerald Sibon | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オランダ | |||||
生年月日 | 1974年4月19日(50歳) | |||||
出身地 | エメン | |||||
身長 | 197cm | |||||
体重 | 88kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
-1989 | VVダーレン | |||||
1989-1990 | FCフローニンゲン | |||||
1990-1992 | VVダーレン | |||||
1992-1993 | FCトゥウェンテ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1993-1994 | トゥウェンテ | 3 | (0) | |||
1994-1996 | VVVフェンロー | 53 | (34) | |||
1996-1997 | ローダ | 34 | (13) | |||
1997-1999 | アヤックス | 24 | (4) | |||
1999-2002 | シェフィールド・ウェンズデイ | 129 | (36) | |||
2002-2004 | ヘーレンフェーン | 38 | (19) | |||
2004-2006 | PSV | 21 | (7) | |||
2006-2007 | ニュルンベルク | 10 | (0) | |||
2007-2010 | ヘーレンフェーン | 84 | (24) | |||
2010-2011 | メルボルン・ハート | 27 | (7) | |||
2011-2012 | ヘーレンフェーン | 14 | (2) | |||
代表歴 | ||||||
2008 | オランダ オリンピック | 4 | (2) | |||
監督歴 | ||||||
2014-2017 | ヘーレンフェーン (ユース個人トレーナー) | |||||
2014-2016 | U-19ヘーレンフェーン (アシスタント) | |||||
2016-2017 | ヘーレンフェーン (アシスタント) | |||||
2018-2019 | vvヘーレンフェーン | |||||
2019-2020 | アデレード・ユナイテッド (アシスタント) | |||||
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ヘラルト・シボン (Gerald Sibon, 1974年4月19日 - ) は、オランダ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはFW。
クラブキャリア
[編集]ヨーロッパ
[編集]1993-94シーズン、FCトゥウェンテでキャリアをスタートさせるが、3試合の出場に留まった。
1994-95シーズンより、エールステ・ディヴィジのVVVフェンローへ移籍。VVVでは2シーズンで34ゴールを挙げるなど活躍を見せた。1996年、ローダJCへ加入して1部復帰を果たし、13ゴールを挙げた。
1997年、アヤックス・アムステルダムに移籍。しかし、ブライアン・ラウドルップをはじめ、ワンベルト、ショタ・アルベラーゼ、ゲオルギ・キンクラーゼらの後塵を拝し、出場機会には恵まれなかった。
1999年、イングランド・プレミアリーグのシェフィールド・ウェンズデイFCへ移籍金200万ポンドで移籍。オランダ代表MFヴィム・ヨンク、ベルギー代表FWジル・デ・ビルデと同僚になった。
4シーズンを過ごしたシェフィールド・ウェンズデイFCでは43ゴールを挙げ、3シーズン連続でクラブ内得点王、2年連続で年間最優秀選手を獲得した。
2002年、SCヘーレンフェーンに加入し、エールディヴィジに復帰する。2年間で38試合に出場し、19得点。
2004年、PSVに加入。ヤン・フェネホール・オフ・ヘッセリンクやホベルチ・ピーニョ・デ・ソウザとポジション争いを演じ、2004-05シーズンのエール・ディヴィジ優勝を勝ち取る。
2006年7月、サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)の1.FCニュルンベルクにフリートランスファーで加入[1]。1年間プレーした後、2年契約でヘーレンフェーンに復帰。
オーストラリア
[編集]2010年5月、オーストラリア・Aリーグのメルボルン・ハートと契約。同胞のン・ファント・シップの指揮を受けることとなった[2]。 すぐにレギュラーの座を確保し、主に司令塔の役割を担った[3]。一方で得点感覚も衰えておらず、7得点を記録し、チーム2位の得点数となった[4]。 メルボルン・ダービーではフリーキックでゴールを決めるなど結果を残し、本人も契約延長を望んでいたが、クラブからの契約延長のオファーはなく[5]、最終戦を前に退団を発表した[6]。
ヨーロッパ復帰
[編集]2011年6月27日、古巣であるSCヘーレンフェーンと契約したことが発表された。3度目の加入[7]。2012年5月ヨーロッパ・リーグ出場を逃す結果となったフェイエノールト戦を最後に現役を引退[8]。
代表歴
[編集]2008年、北京オリンピックを戦うオランダ代表のメンバーに選出される。アメリカ戦では93分に2-2となる同点弾を、日本戦では73分に決勝点となるPKを決めた。
獲得タイトル
[編集]- エールディヴィジ:3回(1997-98、2004-05、2005-06)
- KNVBカップ:5回(1996–97、1997–98、1998–99、2004–05、2008–09)
- DFBポカール:1回(2006-07)
参考文献
[編集]- ^ “Sibon makes a move to 1. FC Nurnberg”. PSV NL. 29 September 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。9 February 2011閲覧。
- ^ “Melbourne Heart Sign Dutchman Gerald Sibon From Heerenveen”. Goal.com (21 May 2010). 31 August 2013閲覧。
- ^ Hand, Guy (4 January 2011). “Sibon has heart set on extra year”. Herald Sun. 31 August 2013閲覧。
- ^ “Gerald Sibon joins Heart exodus”. The Australian (9 February 2011). 31 August 2013閲覧。
- ^ “Marquee man forced out by Heart”. ABC News (9 February 2011). 31 August 2013閲覧。
- ^ “Gerald Sibon is leaving Melbourne Heart”. Herald Sun. 9 February 2011閲覧。
- ^ “Sibon als pinchhitter terug bij sc Heerenveen” (Dutch). Voetbalprimeur (27 June 2011). 31 August 2013閲覧。
- ^ “Sibon neemt na 'bizar duel' afscheid van voetbal” (Dutch). Voetbalprimeur (6 May 2012). 31 August 2013閲覧。
外部リンク
[編集]- Gerald Sibon - Soccerwayによる個人成績