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アヤックス・アムステルダム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アヤックス・アムステルダム
原語表記 Amsterdamsche Football Club Ajax
愛称 de Godenzonen(神々の子)[1][2]
de Jodenユダヤ人
I Lancieri槍騎兵
Lucky Ajax
クラブカラー    
   
創設年 1900年
所属リーグ エールディヴィジ
所属ディビジョン 1部(2023-24)
昨季リーグ順位 3位(2022-23)
ホームタウン アムステルダム
ホームスタジアム
ヨハン・クライフ・アレナ
収容人数 55,865人[3]
代表者 オランダの旗 ヘニー・ヘンリフス
監督 イタリアの旗 Francesco Farioli
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

アヤックス・アムステルダムAjax Amsterdam、正式名称: Amsterdamsche Football Club Ajax)は、オランダ北ホラント州アムステルダムに本拠地を置くサッカークラブ。エールディヴィジに所属。AFCアヤックスAFC Ajax)とも表記される。

概要

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エールディヴィジ優勝は最多の28回、UEFAチャンピオンズリーグは3連覇を含む4回、インターコンチネンタルカップ2回の優勝をしており、リーグ優勝11回のフェイエノールト、21回のPSVと共に、オランダの強豪クラブと認識されている。オランダで最も人気のあるクラブである[4]。フェイエノールトとの対戦はデ・クラシケルと呼ばれる。

1900年に創立。1971年から1973年にかけUEFAチャンピオンズカップ3連覇を達成、優勝カップ「ビッグイヤー」の永久保持を認められた。1972年にはエールディヴィジKNVBカップ、チャンピオンズカップを制覇してトレブルを達成。また、1972年のインターコンチネンタルカップで優勝。同じ年にリーグ、チャンピオンズカップ、コンチネンタルカップ優勝を果たした3つのクラブの1つ(他にユヴェントスバイエルン・ミュンヘンが達成している)。

歴史

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1900-1950

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オリンピスフ・スタディオン (アムステルダム)

1900年3月18日にアムステルダムの小さなカフェからアヤックスは生まれた。創設者はフロリス・ステンペルオランダ語版

1902年、クラブ名をFCアイウス (Footh-Ball Club Ajax) と名づける。名前の由来はギリシャ神話に登場するアイアースという人物で(Aiasをオランダ語でAjaxと読む)、ステンペル自身この人物をとても尊敬している。

1908年、クラブ名をAFCアヤックス (Amsterdamsche Football Club Ajax) に改名。

1910年、初のコーチとしてジョン・キーワンを雇う。とてもフットボールと呼べる状態ではなかったチームを監督の指導によって常勝チームにまで押し上げる。1911年にクラブ史上初の1部昇格を果たす。

1917年、イギリス人監督ジャック・レイノルズの下で初のリーグ優勝とカップタイトルを獲得する。当時の彼のトレーニング方法は現在に至る世界有数の育成プログラムの基礎となっている。28年から40年の間に5度のリーグ優勝へ導き、最初の黄金時代を迎える。しかし、第二次世界大戦の影響で一時クラブは弱体化。約10年間タイトルから遠ざかる低迷期へと続く。戦争中、オランダ人が立て篭もるスタディオン・デ・メールオランダ語版だけは制圧できなかったという逸話もある。

1950-2000

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1956年、オランダのプロリーグ化が進む。プロ第一号はピート・カイザーである。

1965年にリヌス・ミケルスが就任。ミケルス監督がトータルフットボールと呼ばれる戦術を作り、ヨハン・クライフピート・カイザーシャーク・スワルトらがそれを実践し、黄金時代が訪れた。ミケルス就任当時のアヤックスはまだヨーロッパの第一線を行くクラブではなかった。チャンピオンズカップは一度も獲得したことがなく、オランダリーグの代表といえば、フェイエノールトであった。ミケルスの最初の2年間は厳しく、困難なものであった。チームはうまく機能せず、イタリア、スペイン、イングランドの有力クラブのような巨大な経済力は持ち合わせていなかった。生え抜き選手、そしてオランダ人だけという限られた条件の下、最高レベルの試合に挑戦していった。

降格の危機にあったが、ミケルス就任の翌年からリーグ3連覇を成し遂げた。UEFA主催のリーグにおいてはUEFAチャンピオンズカップの1968-69シーズン決勝でACミランに1-4で敗れたものの、この敗戦が、それから続く全ての栄光の始まりとなる。翌シーズンはクライフの他ヨハン・ニースケンスアリー・ハーンなどの若手が育ち、1970-71シーズンからチャンピオンズカップ3連覇を果たす。ロンドン(ウェンブリー)でのパナシナイコス戦2-0、監督はシュテファン・コヴァチに代わるも、ロッテルダムでの対インテル戦2-0、ベオグラードでの対ユヴェントス戦1-0。アヤックスにとって輝かしい3シーズンであった。これらの成功の多くは選手達を鍛え上げたミケルスの功績であった。

<4-3-3>、1973年、チャンピオンズカップ3連覇時のメンバー

1985年にヨハン・クライフテクニカルディレクターに就任。アヤックス・ユースアカデミー (Ajax Youth Academy) を設立。

1986-87シーズンはフランク・ライカールトマルコ・ファン・バステンらを擁し、チームはUEFAカップウィナーズカップを獲得した。

1991-92シーズンはアシスタントコーチからトップチームの監督へと昇格したルイ・ファン・ハールの指揮の下、UEFAカップではトリノFCに第1戦を2-2、第2戦を0-0としたが、アウェーでのゴールで優勝を果たした。1993-94年シーズン開幕を前にフランク・ライカールトがACミランから復帰した。

チャンピオンズリーグ1994-95シーズン決勝では、エトヴィン・ファン・デル・サールダニー・ブリントフランク・ライカールトエドガー・ダーヴィッツクラレンス・セードルフヤリ・リトマネンらを擁してイタリアのACミランを1-0で下し、4度目の欧州制覇を成し遂げている。またこの年には、トヨタカップでブラジルのグレミオFBPAをPK戦の末辛くも勝利、クラブ世界一のタイトルを手にしている。

1995-96シーズンには、再びチャンピオンズリーグ決勝の舞台に上がったが、ユヴェントスにPK戦の末敗れている。なお1994-95シーズンから1995-96シーズンでユヴェントスに敗れるまでチャンピオンズリーグ19戦無敗という記録を打ち立てている。

1997-98年シーズン、ミカエル・ラウドルップらを獲得、リーグと国内カップの2冠を達成した。

2000-

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ヨハン・クライフ・アレナ(空撮)

ボスマン判決以降、ユース育成に「谷間の世代」ができた分を外国籍選手で補った。アヤックスのスカウト網は世界中に及んだ。そして、獲得してきたのがイブラヒモビッチ(現ACミラン)、トラベルスィーミドといった選手である。

2002-03シーズンのチャンピオンズリーグ準々決勝ACミラン戦の激闘では、ACミランのサポーターが健闘を称え、ロナルド・クーマン率いるアヤックスのイレブンにスタンディングオベーションを送っている。これ以降のシーズンも、2005-06シーズンまでチャンピオンズリーグ本戦に連続出場をし、2005-06シーズンにおいては決勝トーナメント1回戦まで進出した。

しかし、2006-07と2007-08シーズンは、予備戦3回戦にてそれぞれコペンハーゲンSKスラヴィア・プラハといったクラブに敗れ、チャンピオンズリーグ本戦出場を逃した。特に2007-08シーズンは、チャンピオンズリーグ予備戦3回戦敗退で出場することとなったUEFAカップにおいて、1回戦にてディナモ・ザグレブに敗れる失態を演じた。

2007年にクルゼイロEC、2008年3月にFCバルセロナと業務提携を結んだ。

2009-10シーズンはマルティン・ヨル監督の下、34試合で106ゴールと圧倒的な攻撃力を見せるも、首位のトゥウェンテに勝点1届かず2位に終わる。

2010-11シーズンはチャンピオンズリーグの予備予選とプレーオフを勝ち抜き、5シーズンぶりにチャンピオンズリーグ本戦出場を果たす。 ヨル監督がシーズン途中で辞任するなど、パフォーマンスが安定しない前半戦だったが、後任のフランク・デ・ブール監督がチームに安定性をもたらし、首位決戦となった最終節のFCトゥウェンテ戦で勝利し、劇的な7シーズンぶりのエールディヴィジ制覇を達成。

2011年4月13日、東日本大震災の被災者支援慈善試合としてアヤックス側からJリーグクラブ清水エスパルスを招待し、入場料などの収益と約2週間の募金活動で合計約600万ユーロ(約7億2600万円)が集まり、オランダ赤十字を通して義援金として寄付されることとなった[5]

2012年5月2日、VVVフェンローを2-0で下し、エールディヴィジ2連覇を達成。連覇は1993年〜1996年以来16年振りの出来事。

2013年5月5日、ヴィレムIIを5-0で下し、エールディヴィジ3連覇達成。

2014年4月27日、ヘラクレス・アルメロ戦で引き分けるも、クラブ史上初となるエールディヴィジ4連覇を達成。

2016年、これまで4年半の間監督を務めていたフランク・デ・ブールが退任。新監督にピーター・ボスが就任。

2018-19シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは予選2回戦から出場。SKシュトゥルム・グラーツスタンダール・リエージュディナモ・キーウに勝利し、本大会出場を果たした。グループリーグではバイエルン・ミュンヘンSLベンフィカAEKアテネと対戦。ドイツ王者を相手に2度引き分けるなど無敗で2位通過し、2015-16シーズンのPSV以来オランダ勢3シーズンぶりのベスト16入りを果たした。決勝トーナメント1回戦では大会3連覇中のレアル・マドリードを相手にホームの1stレグを1-2で落とすも2ndレグで4-1(合計スコア5-3)と逆転勝利し、2006-07シーズンのPSV以来オランダ勢12シーズンぶりの準々決勝進出を果たした。準々決勝では前々回準優勝のユヴェントスと対戦し、ホームの1stレグで1-1で引き分けるも2ndレグで2-1(合計スコア3-2)と競り勝ち、2004-05シーズンのPSV以来オランダ勢14シーズンぶりの準決勝進出を果たした。準決勝トッテナム戦ではアウェイの1stレグを1-0で勝ち、ホームでも前半のうちに2点を追加。合計スコア3-0として通過を決定づけたかに思われたが、トッテナムMFルーカス・モウラに後半だけで3点を返されアウェイゴールの差で逆転敗退となった。それでも予選出場チームのベスト4進出は史上初の快挙であり、欧州トップクラスの強豪クラブを相手に一歩も引かず渡り合った若手たちの戦いぶりは世界中から称賛された。

19-20シーズンのチャンピオンズリーグには前シーズンオランダ王者として3次予選から出場し、PAOKサロニカとAPOELニコシアを下して本選への切符を掴んだ。グループステージではチェルシーバレンシアリールと対戦。トップクラブ不在の混戦の末、最終節バレンシア戦はホームで引き分け以上なら突破という状況であったが、先制されて取り返せないまま0-1で敗北し、グループ3位でELに回った。ELラウンド32ではスペインのヘタフェと対戦。アウェイの1stレグを0-2で落とし、ホームの2ndレグでも先制され、その後2点を返すが力尽き敗退した。なお直近2シーズンの欧州カップ戦においてアウェイで敗れたのはこれが初めてであった。一方エールディヴィジでは序盤から優勝争いのポジションを維持。25節時点でAZと勝点で並び得失点差で上回って1位であったが、ここで同時期の新型コロナウィルス感染拡大によりリーグ戦の中止が決定し、そのままシーズンを終了した。なお、1位ではあるが優勝クラブとしては扱われない[6]

2020-21シーズンのエールディヴィジ第6節VVVフェンロー戦で13-0の記録的大勝利をしてオランダ1部リーグにおける1試合の最多得点記録を更新した[7]

タイトル

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トロフィールーム

国内タイトル

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1956-57, 1959-60, 1965-66, 1966-67, 1967-68, 1969-70, 1971-72, 1972-73, 1976-77, 1978-79, 1979-80, 1981-82, 1982-83, 1984-85, 1989-90, 1993-94, 1994-95, 1995-96, 1997-98, 2001-02, 2003-04, 2010-11, 2011-12, 2012-13, 2013-14, 2018-19, 2020-21, 2021-22
1916-17, 1942-43, 1960-61, 1966-67, 1969-70, 1970-71, 1971-72, 1978-79, 1982-83, 1985-86, 1986-87, 1992-93, 1997-98, 1998-99, 2001-02, 2005-06, 2006-07, 2009-10, 2018-19, 2020-21
1993, 1994, 1995, 2002, 2005, 2006, 2007, 2013, 2019

国際タイトル

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1970-71, 1971-72, 1972-73, 1994-95
1986-87
1991-92
1973, 1995

※1972大会は、レンジャーズの招待に行われた試合であり、非公式戦として扱われてる。

1972, 1995

過去の成績

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シーズン リーグ戦 KNVBカップ 欧州カップ その他 国内リーグ
最多得点者
ディビジョン 順位 選手

1956-57 エールディヴィジ 34 22 5 7 49 64 49 1位 ヴィム・ブライエンベルフ 21
1957-58 34 17 8 9 62 44 42 3位 ヨーロピアンカップ 準々決勝敗退 ルーク・デン・エデル 17
1958-59 34 15 7 12 77 63 37 6位 準々決勝敗退 ヤン・セーレン 16
1959-60 34 22 6 6 109 44 50 1位 ヘンク・フロート 41
1960-61 34 22 7 5 102 51 51 2位 優勝 ヨーロピアンカップ 予選敗退 ヘンク・フロート 55
1961-62 34 16 7 11 80 59 39 4位 4回戦敗退 カップウィナーズカップ 1回戦敗退 ヘンク・フロート 35
1962-63 30 17 5 8 73 41 39 2位 4回戦敗退 セース・フロート 23
1963-64 30 13 8 9 40 23 34 5位 準決勝敗退 セース・フロート 36
1964-65 30 9 8 13 52 51 26 13位 1回戦敗退 クラース・ヌニンハ 15
1965-66 30 24 4 2 79 25 52 1位 準々決勝敗退 ヨハン・クライフ 25
1966-67 34 26 4 4 122 34 56 1位 優勝 ヨーロピアンカップ 準々決勝敗退 ヨハン・クライフ 41
1967-68 34 27 4 3 96 19 58 1位 準優勝 ヨーロピアンカップ 1回戦敗退 ヨハン・クライフ 33
1968-69 34 25 4 5 90 34 54 2位 3回戦敗退 ヨーロピアンカップ 準優勝 ヨハン・クライフ 34
1969-70 34 27 6 1 100 23 60 1位 優勝 ヨハン・クライフ 33
1970-71 34 24 5 5 90 20 53 2位 優勝 ヨーロピアンカップ 優勝 ヨハン・クライフ 27
1971-72 34 30 3 1 104 20 63 1位 優勝 ヨーロピアンカップ 優勝 ヨハン・クライフ 33
1972-73 34 30 0 4 102 18 60 1位 2回戦敗退 ヨーロピアンカップ 優勝 インターコンチネンタルカップ 優勝 ヨハン・クライフ 22
1973-74 34 21 9 4 88 30 51 3位 準決勝敗退 ヨーロピアンカップ 2回戦敗退 ヨニー・レップ 17
欧州スーパーカップ 優勝
1974-75 34 21 7 6 76 34 49 3位 ベスト16 UEFAカップ 3回戦敗退 ルート・ヘールス 30
1975-76 34 21 8 5 74 38 50 3位 準々決勝敗退 UEFAカップ 3回戦敗退 ルート・ヘールス 29
1976-77 34 23 6 5 62 26 52 1位 ベスト32 UEFAカップ 1回戦敗退 ルート・ヘールス 34
1977-78 34 20 9 5 85 36 49 2位 準優勝 ヨーロピアンカップ 準々決勝敗退 ルート・ヘールス 30
1978-79 34 22 6 6 77 41 50 1位 優勝 UEFAカップ 3回戦敗退 セーレン・レアビー 16
1979-80 34 22 6 6 77 41 50 1位 準優勝 ヨーロピアンカップ 準決勝敗退 ディック・ショーナケル 13
1980-81 34 22 4 8 88 54 48 2位 準優勝 ヨーロピアンカップ 2回戦敗退 ヴィム・キーフト 17
1981-82 34 26 4 4 117 42 58 1位 ベスト16 カップウィナーズカップ 1回戦敗退 ヴィム・キーフト 32
1982-83 34 26 6 2 106 41 58 1位 優勝 ヨーロピアンカップ 1回戦敗退 ヴィム・キーフト 19
1983-84 34 22 7 5 100 46 51 3位 ベスト16 ヨーロピアンカップ 1回戦敗退 マルコ・ファン・バステン 28
1984-85 34 24 6 4 93 46 54 1位 ベスト16 UEFAカップ 2回戦敗退 マルコ・ファン・バステン 22
1985-86 34 25 2 7 120 35 52 2位 優勝 ヨーロピアンカップ 1回戦敗退 マルコ・ファン・バステン 37
1986-87 34 25 3 6 92 30 53 2位 優勝 カップウィナーズカップ 優勝 マルコ・ファン・バステン 31
1987-88 34 23 4 7 78 40 50 2位 ベスト32 カップウィナーズカップ 準優勝 ジョン・ボスマン 25
UEFAスーパーカップ 準優勝
1988-89 34 22 6 6 74 32 50 2位 準々決勝敗退 UEFAカップ 1回戦敗退 デニス・ベルカンプ
シュテファン・ペテルソン
13
1989-90 34 19 11 4 67 23 49 1位 準決勝敗退 UEFAカップ 1回戦敗退 アーロン・ヴィンター 10
1990-91 34 22 9 3 75 21 53 2位 準々決勝敗退 デニス・ベルカンプ 25
1991-92 34 25 5 4 83 24 55 2位 準々決勝敗退 UEFAカップ 優勝 デニス・ベルカンプ 22
1992-93 34 20 9 5 87 30 49 3位 優勝 UEFAカップ 準々決勝敗退 デニス・ベルカンプ 26
1993-94 34 26 2 6 86 26 54 1位 準決勝敗退 カップウィナーズカップ 準々決勝敗退 スーパーカップ 優勝 ヤリ・リトマネン 26
1994-95 34 27 7 0 106 28 61 1位 準々決勝敗退 CL 優勝 スーパーカップ 優勝 パトリック・クライファート 18
1995-96 34 26 5 3 97 24 83 1位 ベスト16 UEFAスーパーカップ 優勝 スーパーカップ 優勝 パトリック・クライファート 15
CL 準優勝 インターコンチネンタルカップ 優勝
1996-97 34 17 10 7 55 31 61 4位 ベスト32 CL 準決勝敗退 ヨハン・クライフ・スハール 準優勝 パトリック・クライファート
ヤリ・リトマネン
6
1997-98 34 29 2 3 112 22 89 1位 優勝 UEFAカップ 準々決勝敗退 ショタ・アルベラーゼ 25
1998-99 34 16 9 9 73 41 57 6位 優勝 CL GS敗退 ヨハン・クライフ・スハール 準優勝 ヤリ・リトマネン
ベニー・マッカーシー
11
1999-00 34 18 7 9 72 51 61 5位 ベスト16 UEFAカップ 3回戦敗退 ヨハン・クライフ・スハール 準優勝 リチャード・クノッペル
ニコス・マフラス
10
2000-01 34 18 7 9 85 43 61 3位 ベスト16 UEFAカップ 2回戦敗退 ショタ・アルベラーゼ 17
2001-02 34 22 7 5 73 34 73 1位 優勝 CL 予選3回戦敗退 ラファエル・ファン・デル・ファールト 14
UEFAカップ 2回戦敗退
2002-03 34 26 5 3 96 32 83 2位 準決勝敗退 CL 準々決勝敗退 ヨハン・クライフ・スハール 優勝 ラファエル・ファン・デル・ファールト 18
2003-04 34 25 5 4 79 31 80 1位 ベスト16 CL GS敗退 ズラタン・イブラヒモビッチ 13
2004-05 34 24 5 5 74 33 77 2位 準決勝敗退 CL GS敗退 ヨハン・クライフ・スハール 準優勝 ライアン・バベル
ヴェスレイ・スナイデル
7
UEFAカップ ベスト32
2005-06 34 18 6 10 66 41 60 4位 優勝 CL ベスト16 ヨハン・クライフ・スハール 優勝 クラース・ヤン・フンテラール 16
2006-07 34 23 6 5 84 35 75 2位 優勝 CL 予選3回戦敗退 ヨハン・クライフ・スハール 優勝 クラース・ヤン・フンテラール 21
UEFAカップ ベスト32
2007-08 34 20 9 5 94 45 69 2位 4回戦敗退 CL 予選3回戦敗退 ヨハン・クライフ・スハール 優勝 クラース・ヤン・フンテラール 33
UEFAカップ 1回戦敗退
2008-09 34 21 5 8 74 41 68 3位 3回戦敗退 UEFAカップ ベスト16 ルイス・スアレス 22
2009-10 34 27 4 3 106 20 85 2位 優勝 EL ベスト32 ルイス・スアレス 35
2010-11 34 22 7 5 72 30 73 1位 準優勝 CL GS敗退 ヨハン・クライフ・スハール 準優勝 ムニル・エル・ハムダウィ 13
EL ベスト16
2011-12 34 23 7 4 93 36 76 1位 4回戦敗退 CL GS敗退 ヨハン・クライフ・スハール 準優勝 シーム・デ・ヨング 13
EL ベスト32
2012-13 34 22 10 2 83 31 76 1位 準決勝敗退 CL GS敗退 ヨハン・クライフ・スハール 準優勝 シーム・デ・ヨング 12
EL ベスト32
2013-14 34 20 11 3 69 28 71 1位 準優勝 CL GS敗退 ヨハン・クライフ・スハール 優勝 コルベイン・シグソールソン
デイヴィ・クラーセン
10
EL ベスト32
2014-15 34 21 8 5 69 29 71 2位 ベスト16 CL GS敗退 ヨハン・クライフ・スハール 準優勝 アルカディウシュ・ミリク 11
EL ベスト16
2015-16 34 25 7 2 81 21 82 2位 3回戦敗退 CL 予選3回戦敗退 アルカディウシュ・ミリク 21
EL GS敗退
2016-17 34 25 6 3 79 23 81 2位 3回戦敗退 CL プレーオフ敗退 カスパー・ドルベリ 15
EL 準優勝
2017-18 34 25 4 5 89 33 79 2位 ベスト16 CL 予選3回戦敗退 ダヴィド・ネレス 14
EL プレーオフ敗退
2018-19 34 28 2 4 119 32 86 1位 優勝 CL ベスト4 ドゥシャン・タディッチ 28
2019-20 25 18 2 5 68 23 56 1位[8] 準決勝敗退 CL GS敗退 ヨハン・クライフ・スハール 優勝 クインシー・プロメス
ドゥシャン・タディッチ
16
EL ベスト32
2020-21 34 28 4 2 102 23 88 1位 優勝 CL GS敗退 ドゥシャン・タディッチ 22
EL 準々決勝敗退
2021-22 34 26 5 3 98 19 83 1位 準優勝 CL ベスト16 ヨハン・クライフ・スハール 準優勝 セバスティアン・ハラー 21
2022-23 34 20 9 5 86 38 75 3位 準優勝 CL GS敗退 ヨハン・クライフ・スハール 準優勝 ブライアン・ブロビー 13
EL 決勝TPO敗退
2023-24 34 15 11 8 74 61 56 5位 2回戦敗退 EL GS敗退
ECL ベスト16
2024-25 34

現所属メンバー

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2024年2月1日現在[9] 注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK アルゼンチン ヘロニモ・ルジ ()
2 DF オランダ デフィン・レンシュ ()
3 DF デンマーク アントン・ガーエイ
4 DF オランダ ヨレル・ハト ()
6 MF イングランド ジョーダン・ヘンダーソン
7 FW オランダ ステーフェン・ベルフワイン キャプテン()
8 MF オランダ ケネト・テイラー
9 FW オランダ ブライアン・ブロビー ()
10 FW ナイジェリア チュバ・アクポム ()
11 FW ベルギー ミカ・ゴッツ
12 GK オランダ ジェイ・ホルテル
13 DF トルコ アフメジャン・カプラン
16 MF ノルウェー シヴェルト・マンスヴェルク
18 DF クロアチア ヤコヴ・メディッチ
No. Pos. 選手名
19 MF オランダ ユリアン・ライクホフ
21 MF オランダ ブランコ・ファン・デン・ボーメン
22 GK オランダ レンコ・パスフィール
23 FW オランダ スティーヴン・ベルハイス
24 MF オランダ シルヴァーノ・フォス ()
25 DF クロアチア ボルナ・ソサ ()
27 FW オランダ アムリショ・ファン・アクセル・ドンヘン ()
28 MF オランダ キアン・フィッツ=イム
30 DF アルゼンチン ガストン・アビラ
33 MF ボスニア・ヘルツェゴビナ ベンヤミン・タヒロヴィッチ ()
37 DF クロアチア ヨシプ・シュタロ ()
38 MF アイスランド クリスティアン・フリンソン
40 GK ドイツ ディアント・ラマイ ()

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

レンタル移籍

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in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- DF オランダ ユーリ・バース (NEC)
-- DF メキシコ ホルヘ・サンチェス (ポルト)
-- DF オランダ オーウェン・ワインダル (ロイヤル・アントワープ)
-- FW ポルトガル フランシスコ・コンセイソン (ポルト)
No. Pos. 選手名
-- FW デンマーク クリスティアン・ラスムッセン (ノアシェラン)
-- FW トルコ ナジ・ユニュヴァル (トゥウェンテ)
-- FW ジョージア (国) ゲオルゲス・ミカウターゼ (メス)

スタッフ

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2024-25シーズン体制

  • 監督 : Francesco Farioli
  • テクニカルコーチ :
  • GKコーチ :
  • パフォーマンスコーチ :
  • パフォーマンスコーチ :
  • ユース最高責任者 :
  • チームマネージャー :

歴代監督

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氏名 国籍 期間
ジョン・キーワン 1910-1915
ジャック・レイノルズ 1915-1925
ハロルド・ローズ 1925-1926
スタンリー・キャッスル 1926-1928
ジャック・レイノルズ 1928-1940
ヴィルモス・ハルパーン 1940-1941
ドルフ・ファン・コール 1941-1945
ジャック・レイノルズ 1945-1947
ロバート・スミス 1947-1948
ウォルター・クルーク 1948-1950
ロバート・トムソン 1950-1953
ウォルター・クルーク 1953-1954
カール・ヒューメンベルガー 1954-1959
ヴィク・バッキンガム イングランドの旗 イングランド 1959-1961
ケイス・シュプルゲオン イングランドの旗 イングランド 1961-1962
ペピ・グルーベル  オーストリア 1962-1963
ジャック・ローレイ イングランドの旗 イングランド 1963-1964
ヴィク・バッキンガム イングランドの旗 イングランド 1964-1965
リヌス・ミケルス オランダの旗 オランダ 1965-1971
シュテファン・コヴァチ  ルーマニア 1971-1973
ジョージ・クノベル オランダの旗 オランダ 1973-1974
ハンス・クラーイ オランダの旗 オランダ 1974-1975
リヌス・ミケルス オランダの旗 オランダ 1975-1976
トミスラフ・イヴィッチ ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 1976-1978
コル・ブロム オランダの旗 オランダ 1978-1979
レオ・ベーンハッカー オランダの旗 オランダ 1979-1981
クルト・リンデル ドイツの旗 ドイツ 1981-1982
ア・デモス オランダの旗 オランダ 1982-1985
ヨハン・クライフ オランダの旗 オランダ 1985-1988
クルト・リンデル ドイツの旗 ドイツ 1988-1989
レオ・ベーンハッカー オランダの旗 オランダ 1989-1991
ルイ・ファン・ハール オランダの旗 オランダ 1991-1997
モアテン・オルセン  デンマーク 1997-1998
ヤン・ボウタース オランダの旗 オランダ 1998-2000
ハンス・ベッセルホフ オランダの旗 オランダ 2000
コー・アドリアーンセ オランダの旗 オランダ 2000-2001
ロナルド・クーマン オランダの旗 オランダ 2001-2005
ダニー・ブリント オランダの旗 オランダ 2005-2006
ヘンク・テン・カテ オランダの旗 オランダ 2006-2007
アドリー・コスター オランダの旗 オランダ 2007-2008
マルコ・ファン・バステン オランダの旗 オランダ 2008-2009
マルティン・ヨル オランダの旗 オランダ 2009-2010
フランク・デ・ブール オランダの旗 オランダ 2011-2016
ピーター・ボス オランダの旗 オランダ 2016-2017
マルセル・カイザー オランダの旗 オランダ 2017
ミハエル・ライツィハー オランダの旗 オランダ 2017
エリック・テン・ハフ オランダの旗 オランダ 2017-2022
アルフレト・スフリューデル オランダの旗 オランダ 2022-2023
ヨン・ハイティンハ オランダの旗 オランダ 2023
モーリス・スタイン オランダの旗 オランダ 2023
ヨン・ファント・シップ オランダの旗 オランダ 2023-2024
Francesco Farioli イタリアの旗 イタリア 2024-

歴代所属選手

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サポーターによる事件

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1989年9月26日のUEFAカップの1回戦、アヤックスのサポーターが投げ込んだ鉄パイプがオーストリア・ウィーンのGKフランツ・ヴォールファールトに当たって試合は後半途中で中止され、没収試合になったことで、翌1990-91シーズンの1年間、ヨーロッパのサッカーに出場することから除外された。(当初は向こう2シーズンだったが1シーズンに短縮された。)

2023年9月24日、アヤックス対フェイエノールトの伝統の一戦デ・クラシケルで、アヤックスのサポーターがピッチに花火や発炎筒を投げ込み、0-3で負けている後半11分に試合は中止になった。オランダ公共テレビ「NOS」、英放送局「BBC」などによると、0-2の場面でプラスチックカップがピッチに投げ込まれ、0-3になると花火が打ち込まれた。後半開始後にも花火や発炎筒が投げ込まれたため、審判団が試合中止を宣告した。中止決定後には、アヤックスのサポーターが暴徒化。メインエントランスが破壊されたため、スタジアムは一時封鎖された。フェイエノールトの選手、スタッフは安全が確保されるまでドレッシングルームで待機を命じられた。スタジアム外でも混乱は続き、地元警察は暴力行為に及んだサポーター3人を逮捕。機動隊は催涙ガスを使って事態の収拾を図った[10]

その他

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サテライトクラブ

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下部組織

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スタジアム

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上記2つはアムステルダム・アレナが完成するまで併用

永久欠番

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メイン
テクニカル
パートナー
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脚注

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  1. ^ Perryman, Mark (2013). Hooligan Wars: Causes and Effects of Football Violence. Mainstream. p. 167. ISBN 978-1-78057-813-2. https://books.google.com/books?id=XpzYlUPrKj0C&pg=PT167 
  2. ^ Stokvis, Ruud (2014). Lege kerken, volle stadions. Amsterdam UP. pp. 45–. ISBN 978-90-485-2180-7. https://books.google.com/books?id=vWmCAwAAQBAJ&pg=PT45 
  3. ^ Het Stadion.”. johancruijffarena.nl. 22 May 2019閲覧。
  4. ^ Según una investigación, Boca no es la mitad más uno” (スペイン語) (2008年2月26日). 2013年5月14日閲覧。
  5. ^ 清水がオランダで慈善試合 義援金は約7億円 スポーツナビ 2011年4月14日
  6. ^ エールディヴィジ、欧州主要リーグ初の今季打ち切りを正式発表…優勝や昇降格はなし”. サッカーキング (2020年4月25日). 2020年6月14日閲覧。
  7. ^ オランダで歴史的記録…強豪アヤックスがフェンロを大量13発で粉砕”. サッカーキング. 2022年2月26日閲覧。
  8. ^ 新型コロナウイルスの影響によるリーグ打ち切りのため、残り8試合が中止となった。また、アヤックスはリーグ優勝扱いとはならない
  9. ^ Alle informatie over Ajax 1 - Ajax.nl” (オランダ語). www.ajax.nl. 2023年12月27日閲覧。
  10. ^ オランダ過熱「デ・クラシケル」アヤックスサポ暴徒化で試合途中中止 上田綺世らフェイエ選手ら『軟禁』状態に”. 中日スポーツ (2023年9月25日). 2023年9月25日閲覧。
  11. ^ Ajax Cape Town primeur in professionele sportwereld” (Dutch). Ajax.nl. 13 March 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。23 June 2006閲覧。
  12. ^ Ajax gaat technische samenwerking aan met FC Omniworld” (Dutch). Ajax.nl. 13 March 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。23 June 2006閲覧。
  13. ^ Ajax en Barcelona gaan samenwerken” (Dutch). Soccernews.nl. 1 May 2013閲覧。
  14. ^ Ajax en FC Barcelona gaan samenwerken” (Dutch). Voetbalcentraal.nl. 1 May 2013閲覧。
  15. ^ Komst Jonathas en Anderson startpunt van samenwerking met Cruzeiro” (Dutch). Soccernews.nl. 30 April 2013閲覧。
  16. ^ Ajax proud of unique collaboration”. Ajax.nl. 14 July 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。24 April 2013閲覧。
  17. ^ Palmeiras: "Zoveel mogelijk uitwisselen met Ajax"” (Dutch). Goal.com. 2 May 2013閲覧。
  18. ^ AS Trenčín gaat definitief samenwerken met Ajax” (Dutch). Ajax1.nl. 9 December 2012閲覧。
  19. ^ Ajax Announce 5-Year Partnership With Chinese Super League Club Guangzhou R&F”. Sports Illustrated. 27 November 2017閲覧。
  20. ^ Ajax gaat samenwerken met Sagan Tosu”. Ajax Showtime. 26 January 2018閲覧。
  21. ^ Ajax investeert in jeugdopleiding Sparta”. AD.nl. 20 March 2019閲覧。

関連項目

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外部リンク

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