レアル・ソシエダ
レアル・ソシエダ | ||||
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原語表記 | Real Sociedad de Fútbol | |||
愛称 |
La Real Real Txuri-urdin(白と青) Erreala | |||
クラブカラー | 青・ 白 | |||
創設年 | 1909年 | |||
所属リーグ | プリメーラ・ディビシオン | |||
所属ディビジョン | 1部(2022–23) | |||
ホームタウン | バスク州サン・セバスティアン | |||
ホームスタジアム |
レアレ・アレーナ | |||
収容人数 | 35,000 | |||
代表者 | ホキン・アペリバイ | |||
監督 | イマノル・アルグアシル | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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レアル・ソシエダ・デ・フトボル(スペイン語: Real Sociedad de Fútbol) は、バスク州ギプスコア県サン・セバスティアンに本拠地を置くスペインのサッカークラブ。プリメーラ・ディビシオンに所属している。レアル・ソシエダードと表記するマスメディアもある[1]。
名称
[編集]チーム名を直訳すると王室公認サッカークラブである。白地に青の縦縞が入ったユニフォームを身に着け、愛称はバスク語で「白・青」を意味する「チュリ・ウルディン(Txuri-urdin)」。クラブ公式アンセムの曲名も同様。
スペインで「レアル(La Real)」と言った場合、レアル・マドリードよりも当クラブを指す。「レアル」を意味する「エレアラ(Erreala)」も愛称として使われる。
ライバル
[編集]同じバスク地方にあるアスレティック・ビルバオが最大のライバルで両クラブによるバスクダービーが注目されている。また、サッカー界では珍しく、友好関係があるダービーといわれている[2]。
育成
[編集]レアル・ソシエダはスペイン国内で育成に定評があり、シャビ・アロンソやアントワーヌ・グリーズマン、アシエル・イジャラメンディといった選手を輩出。スペインの有力紙「Expansión」では2012年から2015年までに行った育成部門の利益が計算され、1位のサウサンプトンFCに続いて3位にランクインした[3]。
歴史
[編集]クラブ創設と称号授与
[編集]1900年代初頭、イギリスから帰国した学生や労働者によってサン・セバスティアンにサッカーがもたらされた[4]。1903年にはサン・セバスティアン・レクレーション・クラブが作られ、1905年には当時におけるスペイン最高峰の大会であったコパ・デル・レイに初参加。同年5月、レクレーション・クラブからサッカー部門がサン・セバスティアン・フットボール・クラブとして独立した。1909年にはコパ・デル・レイへの出場を申請し、登録認可の問題からスペイン語名のクルブ・シクリスタ・デ・サン・セバスティアンとして参加して、決勝でクルブ・エスパニョール・デ・マドリードを3-1で下して優勝した。1909年9月7日にはソシエダ・デ・フトボルが創立された。1910年、スペインの各クラブはふたつのカップ戦のどちらかで戦っており、ソシエダ・デ・フトボルはバスコニア・デ・サン・セバスティアンとしてコパUECFに出場した。同年にはサン・セバスティアンを夏の首都(summer capital)として使用していたアルフォンソ13世によってレアルの称号が授与され、レアル・ソシエダ・デ・フットボールという名称に変更された[4]。
1928年にはリーガ・エスパニョーラ(全国リーグ)が創設され、発足メンバー10クラブに選ばれると、得点王のパコ・ビエンソバスを擁したクラブは4位に食い込んだ。スペイン第二共和政の到来により、1931年にはドノスティア・クルブ・デ・フトボルに名称が変更されたが、1939年のスペイン内戦終結後にレアル・ソシエダ・デ・フトボルに戻った。しばらくはプリメーラ・ディビシオン(1部)とセグンダ・ディビシオン(2部)を行ったり来たりし、1940年代には7度も降格と昇格を繰り返した。1966-67シーズン終了後に昇格すると、それ以後はプリメーラ・ディビシオンに定着した。
1970年代から1980年代の黄金期
[編集]アルベルト・オルマエチェア監督はクラブの下部組織で育った若手有望選手を巧みに登用し、1970年代後半から1980年代前半にかけてクラブの全盛期を築いた。1979-80シーズンは32試合連続無敗のリーグ新記録を樹立して2位となり、失点率0.58を記録したルイス・アルコナーダがクラブ史上初のサモラ賞(最少失点率キーパー)受賞者となると、このシーズンから3シーズン連続で同賞を受賞。アルコナーダはファンから絶大な人気を得て、「No pasa nada, tenemos a Arconada」(心配はいらない、我々にはアルコナーダがいる)という有名なチャントが歌われた[4]。アルコナーダに加え、ヘスス・マリア・サトゥルステギ、アルベルト・ゴリス、ペリコ・アロンソ、ロベルト・ロペス・ウファルテ、ヘスス・マリア・サモラ、若手のホセ・マリ・バケーロなど、数多くの地元出身選手が主力としてプレーした。1980-81シーズンにはレアル・マドリードと白熱した優勝争いを演じ、最終節のスポルティング・ヒホン戦ではサモラがロスタイムに得点して劇的な優勝を決めた[4]。1981-82シーズンの優勝争いも緊迫した展開となったが、第33節に首位に立つと、最終節(第34節)でビルバオとのバスク・ダービーを制して2連覇を達成。1982年にはスーペルコパ・デ・エスパーニャで優勝し、1982-83シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは最終的に優勝するハンブルガーSV(ドイツ)に敗れたものの、準決勝進出を果たした。
1985年にはジョン・トシャック監督が就任し、1986-87シーズンには2度目のコパ・デル・レイ優勝を果たした。1989年にアルコナーダやサモラが現役引退すると、レアルの成功期は幕を閉じた[4]。同じくバスク地方のクラブであるアスレティック・ビルバオとともにバスク人のみでチームを構成していたが、1989年にリヴァプールFCからアイルランド出身のジョン・オルドリッジを獲得して、長年続けてきた哲学に別れを告げた。このアスレティック・ビルバオとの試合はバスク・ダービー(Derbi vasco、デルビ・バスコ)と呼ばれ、相手チームのファンと肩を組んで応援するなど、友好的なダービーとして知られている。
2000年代前半の躍進
[編集]2002-03シーズンにはセルビア代表のダルコ・コバチェビッチ、トルコ代表のニハト・カフヴェジ、ロシア代表のヴァレリー・カルピン、オランダ代表のサンデル・ヴェステルフェルトら多国籍の選手を擁し、古参のフランシスコ・デ・ペドロに地元出身のシャビ・アロンソなども加わったチームはプリメーラ・ディビシオンで2位に躍進した。2003年4月にはホームのエスタディオ・アノエタでレアル・マドリードを破り、リーグ戦2試合を残して首位に立っていたが、第37節でセルタ・デ・ビーゴに敗れてレアル・マドリードに優勝をさらわれた。しかし、ホームでは無敗を誇り、71得点を挙げたチームは2位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。23得点のニハトと20得点のコバチェビッチは得点ランキングで2位と4位につけた。2003-04シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではグループリーグを突破するなど健闘を見せた。
セグンダ降格とプリメーラ復帰
[編集]しかし、その後は降格圏付近をさまようシーズンが続き、2006-07シーズン終了後には1967年以来40年ぶりのセグンダ・ディビシオン降格が決定した。ジョン・トシャック元監督の推薦で2007年7月にクリス・コールマン監督を招聘したが、中国系ファンドをバックにイニャキ・バディオラ新会長が就任すると、大規模な補強を進めようとする首脳陣に反対したコールマン監督が辞任し、チームも終盤に昇格圏外の4位に落ちてプリメーラ・ディビシオン復帰はならなかった。2008年12月には理事会の承認を受けられずにバディオラ会長が辞任し、ホキン・アペリバイ新会長に代わった。3000万ユーロ以上あるとされた借金により厳しいクラブ運営を強いられ、2008年7月には地元裁判所に破産を申請して承認された。それにともなって多くの選手を放出したが、若手選手を中心としたチームで2009-10シーズンのセグンダ・ディビシオンを制覇し、4シーズンぶりにプリメーラ・ディビシオンに復帰した。
スタジアム
[編集]1913年にエスタディオ・デ・アトーチャ(Estadio de Atotxa)が完成した。アスレティック・ビルバオとのバスクダービーが初開催試合となり、アトレティックのピチーチがスタジアム初の得点者となった[4]。80年以上もアトーチャをホームスタジアムとして使用していたが、1993年以降は32,000人収容のエスタディオ・アノエタをホームスタジアムとして使用している[4]。アノエタはかつてUEFAエリートスタジアムに認定され、UEFAチャンピオンズリーグ決勝を開催する資格を有していた[4]。
タイトル
[編集]国内タイトル
[編集]- 優勝 (2): 1980-81, 1981-82
- 2位 (3): 1979-80, 1987-88, 2002-03
- 優勝 (3): 1909, 1986-87, 2019-20
- 準優勝 (5): 1910, 1913, 1927-28, 1950-51, 1987-88
- 優勝 (1): 1982
- 優勝 (3): 1948-49, 1966-67, 2009-10
- 準優勝 (2): 1940-41, 1942-43
国際タイトル
[編集]なし
成績
[編集]近年の成績
[編集]シーズン | ディビジョン | コパ・デル・レイ | 欧州カップ | |||||||||
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リーグ | 順位 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | ||||
1973-74 | プリメーラ | 4位 | 34 | 15 | 8 | 11 | 46 | 45 | 38 | ベスト16 | ||
1974-75 | プリメーラ | 4位 | 34 | 12 | 12 | 10 | 37 | 32 | 36 | 準々決勝敗退 | UC | 1回戦敗退 |
1975-76 | プリメーラ | 8位 | 34 | 12 | 10 | 12 | 45 | 45 | 34 | 準決勝敗退 | UC | 2回戦敗退 |
1976-77 | プリメーラ | 8位 | 34 | 13 | 8 | 13 | 54 | 41 | 34 | ベスト16 | ||
1977-78 | プリメーラ | 11位 | 34 | 12 | 9 | 13 | 52 | 46 | 33 | 準決勝敗退 | ||
1978-79 | プリメーラ | 4位 | 34 | 18 | 5 | 11 | 53 | 36 | 41 | 4回戦敗退 | ||
1979-80 | プリメーラ | 2位 | 34 | 16 | 14 | 1 | 54 | 20 | 46 | 準々決勝敗退 | UC | 1回戦敗退 |
1980-81 | プリメーラ | 1位 | 34 | 19 | 7 | 8 | 52 | 29 | 45 | ベスト16 | UC | 3回戦敗退 |
1981-82 | プリメーラ | 1位 | 34 | 20 | 7 | 7 | 58 | 33 | 47 | 準決勝敗退 | EC | 1回戦敗退 |
1982-83 | プリメーラ | 7位 | 34 | 12 | 12 | 10 | 29 | 27 | 36 | 準決勝敗退 | EC | 準決勝敗退 |
1983-84 | プリメーラ | 6位 | 34 | 14 | 9 | 11 | 43 | 35 | 37 | ベスト16 | ||
1984-85 | プリメーラ | 7位 | 34 | 11 | 12 | 11 | 41 | 33 | 34 | 準々決勝敗退 | ||
1985-86 | プリメーラ | 7位 | 34 | 17 | 5 | 12 | 64 | 51 | 39 | 3回戦敗退 | ||
1986-87 | プリメーラ | 10位 | 34 | 13 | 8 | 13 | 45 | 35 | 34 | 優勝 | ||
1987-88 | プリメーラ | 2位 | 38 | 22 | 7 | 9 | 61 | 33 | 49 | 準優勝 | CWC | 2回戦敗退 |
1988-89 | プリメーラ | 11位 | 38 | 11 | 14 | 13 | 38 | 47 | 36 | ベスト16 | UC | 準々決勝敗退 |
1989-90 | プリメーラ | 5位 | 38 | 15 | 14 | 9 | 43 | 35 | 44 | 準々決勝敗退 | ||
1990-91 | プリメーラ | 13位 | 38 | 11 | 14 | 13 | 39 | 45 | 36 | ベスト16 | UC | 2回戦敗退 |
1991-92 | プリメーラ | 5位 | 38 | 16 | 12 | 10 | 44 | 38 | 44 | 5回戦敗退 | ||
1992-93 | プリメーラ | 13位 | 38 | 13 | 8 | 17 | 46 | 59 | 34 | 準々決勝敗退 | UC | 1回戦敗退 |
1993-94 | プリメーラ | 11位 | 38 | 12 | 12 | 14 | 39 | 47 | 36 | 5回戦敗退 | ||
1994-95 | プリメーラ | 11位 | 38 | 12 | 14 | 12 | 56 | 44 | 38 | 4回戦敗退 | ||
1995-96 | プリメーラ | 7位 | 42 | 17 | 12 | 13 | 62 | 53 | 63 | 2回戦敗退 | ||
1996-97 | プリメーラ | 8位 | 42 | 18 | 9 | 15 | 50 | 47 | 63 | 2回戦敗退 | ||
1997-98 | プリメーラ | 3位 | 38 | 16 | 15 | 7 | 60 | 37 | 63 | ベスト16 | ||
1998-99 | プリメーラ | 10位 | 38 | 14 | 12 | 12 | 47 | 43 | 54 | ベスト16 | UC | ベスト16 |
1999-00 | プリメーラ | 13位 | 38 | 11 | 14 | 13 | 42 | 49 | 47 | 1回戦敗退 | ||
2000-01 | プリメーラ | 13位 | 38 | 11 | 10 | 17 | 52 | 68 | 43 | ベスト64 | ||
2001-02 | プリメーラ | 13位 | 38 | 13 | 8 | 17 | 48 | 54 | 47 | ベスト64 | ||
2002-03 | プリメーラ | 2位 | 38 | 22 | 10 | 6 | 71 | 45 | 76 | ベスト64 | ||
2003-04 | プリメーラ | 15位 | 38 | 11 | 13 | 14 | 49 | 53 | 46 | ベスト32 | CL | ベスト16 |
2004-05 | プリメーラ | 14位 | 38 | 13 | 8 | 17 | 47 | 56 | 47 | ベスト32 | ||
2005-06 | プリメーラ | 16位 | 38 | 11 | 7 | 20 | 48 | 65 | 40 | 3回戦敗退 | ||
2006-07 | プリメーラ | 19位 | 38 | 8 | 11 | 19 | 32 | 47 | 35 | ベスト32 | ||
2007-08 | セグンダ | 4位 | 42 | 18 | 14 | 10 | 55 | 39 | 68 | 2回戦敗退 | ||
2008-09 | セグンダ | 6位 | 42 | 17 | 16 | 9 | 48 | 38 | 67 | 3回戦敗退 | ||
2009-10 | セグンダ | 1位 | 42 | 20 | 14 | 8 | 53 | 37 | 74 | 2回戦敗退 | ||
2010-11 | プリメーラ | 15位 | 38 | 14 | 3 | 21 | 49 | 66 | 45 | ベスト32 | ||
2011-12 | プリメーラ | 12位 | 38 | 12 | 11 | 15 | 46 | 52 | 47 | ベスト16 | ||
2012-13 | プリメーラ | 4位 | 38 | 18 | 12 | 8 | 70 | 49 | 66 | ベスト32 | ||
2013-14 | プリメーラ | 7位 | 38 | 16 | 11 | 11 | 62 | 55 | 59 | 準決勝敗退 | CL | GL敗退 |
2014-15 | プリメーラ | 12位 | 38 | 11 | 13 | 14 | 44 | 51 | 46 | ベスト16 | EL | PO敗退 |
2015-16 | プリメーラ | 9位 | 38 | 13 | 9 | 16 | 45 | 48 | 48 | ベスト32 | ||
2016-17 | プリメーラ | 6位 | 38 | 19 | 7 | 12 | 59 | 53 | 64 | 準々決勝敗退 | ||
2017-18 | プリメーラ | 12位 | 38 | 14 | 7 | 17 | 66 | 59 | 49 | ベスト32 | EL | ベスト32 |
2018-19 | プリメーラ | 9位 | 38 | 13 | 11 | 14 | 45 | 46 | 50 | ベスト16 | ||
2019-20 | プリメーラ | 6位 | 38 | 16 | 8 | 14 | 56 | 48 | 56 | 優勝 | ||
2020-21 | プリメーラ | 5位 | 38 | 17 | 11 | 10 | 59 | 38 | 62 | ベスト16 | EL | ベスト32 |
2021-22 | プリメーラ | 6位 | 38 | 17 | 11 | 10 | 40 | 37 | 62 | 準々決勝敗退 | EL | 決勝プレーオフ敗退 |
2022-23 | プリメーラ | 4位 | 38 | 21 | 8 | 9 | 51 | 35 | 71 | 準々決勝敗退 | EL | ベスト16 |
2023-24 | プリメーラ | 6位 | 38 | 16 | 12 | 10 | 51 | 39 | 60 | 準決勝敗退 | CL | R16 |
過去の成績
[編集]
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- 76シーズン プリメーラ・ディビシオン
- 16シーズン セグンダ・ディビシオン
記録
[編集]- 2022年11月3日現在
欧州での記録
[編集]大会 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 勝率 |
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UEFAチャンピオンズカップ / UEFAチャンピオンズリーグ | 26 | 8 | 6 | 12 | 24 | 29 | −5 | 30.77 |
UEFAカップウィナーズカップ | 4 | 1 | 3 | 0 | 3 | 1 | +2 | 25.00 |
UEFAカップ / UEFAヨーロッパリーグ | 68 | 31 | 16 | 21 | 96 | 87 | +9 | 45.59 |
総通算 | 98 | 40 | 25 | 33 | 123 | 117 | +6 | 40.82 |
欧州の成績
[編集]シーズン | 大会 | ラウンド | 対戦相手 | ホーム | アウェー | 合計 | |
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1974-75 | | UEFAカップ | 1回戦 | | バニーク・オストラヴァ | 0-1 | 0-4 | 0-5 | |
1975-76 | | UEFAカップ | 1回戦 | | グラスホッパーズ | 1-1 | 3-3 | 4-4 (a) | |
2回戦 | | リヴァプール | 1-3 | 0-6 | 1-9 | |||
1979-80 | | UEFAカップ | 1回戦 | | インテル | 2-0 | 0-3 | 2-3 | |
1980-81 | | UEFAカップ | 1回戦 | | ウーイペシュト | 1-0 | 1-1 | 2-1 | |
2回戦 | | ズブロヨフカ・ブルノ | 2-1 | 1-1 | 3-2 | |||
3回戦 | | スポルティング・ロケレン | 2-2 | 0-1 | 2-3 | |||
1981-82 | | UEFAチャンピオンズカップ | 1回戦 | | CSKA | 0-0 | 0-1 | 0-1 | |
1982-83 | | UEFAチャンピオンズカップ | 1回戦 | | ヴィキングル・レイキャヴィーク | 3-2 | 1-0 | 4-2 | |
2回戦 | | セルティック | 2-0 | 1-2 | 3-2 | |||
準々決勝 | | スポルティングCP | 2-0 | 0-1 | 2-1 | |||
準決勝 | | ハンブルガー | 1-1 | 1-2 | 2-3 | |||
1987-88 | | UEFAカップウィナーズカップ | 1回戦 | | シロンスク・ヴロツワフ | 0-0 | 2-0 | 2-0 | |
2回戦 | | ディナモ・ミンスク | 1-1 | 0-0 | 1-1 (a) | |||
1988-89 | | UEFAカップ | 1回戦 | | デュクラ・プラハ | 2-1 | 2-3 | 4-4 (a) | |
2回戦 | | スポルティングCP | 0-0 | 2-1 | 2-1 | |||
3回戦 | | ケルン | 1-0 | 2-2 | 3-2 | |||
準々決勝 | | シュトゥットガルト | 1-0 | 0-1 | 1-1 (2-4 p) |
|||
1990-91 | | UEFAカップ | 1回戦 | | ローザンヌ・スポルト | 1-0 | 2-3 | 3-3 (a) | |
2回戦 | | パルチザン | 1-0 | 0-1 | 1-1 (3-4 p) |
|||
1992-93 | | UEFAカップ | 1回戦 | | ヴィトーリア | 2-0 | 0-3 | 2-3 | |
1998-99 | | UEFAカップ | 1回戦 | | スパルタ・プラハ | 1-0 | 4-2 | 5-2 | |
2回戦 | | ディナモ・モスクワ | 3-0 | 3-2 | 6-2 | |||
3回戦 | | アトレティコ・マドリード | 2-1 | 1-4 | 3-5 | |||
2003-04 | | UEFAチャンピオンズリーグ | グループD | | ユヴェントス | 0-0 | 2-4 | 2位 | |
| ガラタサライ | 1-1 | 2-1 | |||||
| オリンピアコス | 1-0 | 2-2 | |||||
ラウンド16 | | オリンピック・リヨン | 0-1 | 0-1 | 0-2 | |||
2013-14 | | UEFAチャンピオンズリーグ | プレーオフ | | オリンピック・リヨン | 2-0 | 2-0 | 4-0 | |
グループA | | マンチェスター・ユナイテッド | 0-0 | 0-1 | 4位 | |||
| バイエル・レバークーゼン | 0-1 | 1-2 | |||||
| シャフタール・ドネツク | 0-2 | 0-4 | |||||
2014-15 | | UEFAヨーロッパリーグ | 予選3回戦 | | アバディーン | 2-0 | 3-2 | 5-2 | |
プレーオフ | | クラスノダール | 1-0 | 0-3 | 1-3 | |||
2017-18 | | UEFAヨーロッパリーグ | グループL | | ゼニト | 1-3 | 1-3 | 2位 | |
| ローゼンボリBK | 4-0 | 1-0 | |||||
| バルダール | 6-0 | 3-0 | |||||
ラウンド32 | | レッドブル・ザルツブルク | 2-2 | 1-2 | 3-4 | |||
2020-21 | | UEFAヨーロッパリーグ | グループF | | ナポリ | 0-1 | 1-1 | 2位 | |
| AZ | 1-0 | 0-0 | |||||
| リエカ | 2-2 | 1-0 | |||||
ラウンド32 | | マンチェスター・ユナイテッド | 0-4 | 0-0 | 0-4 | |||
2021-22 | | UEFAヨーロッパリーグ | グループB | | モナコ | 1-1 | 1-2 | 2位 | |
| PSV | 3-0 | 2-2 | |||||
| シュトゥルム・グラーツ | 1-1 | 1-0 | |||||
決勝プレーオフ | | RBライプツィヒ | 1-3 | 2-2 | 3-5 | |||
2022-23 | | UEFAヨーロッパリーグ | グループE | | マンチェスター・ユナイテッド | 0-1 | 1-0 | 1位 | |
| ACオモニア | 2-1 | 2-0 | |||||
| シェリフ | 3-0 | 2-0 | |||||
ラウンド16 | | ローマ | 0-2 | 0-0 | 0-2 |
現所属メンバー
[編集]- 2024年9月2日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
リザーブチーム
[編集]注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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登録外選手
[編集]注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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ローン移籍
[編集]- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
[編集]- ホセ・アンヘル・ベラオンド 1918-1923
- リッポ・ヘルツカ 1923-1926
- ルイス・オルティスデ・ウルビアナ 1926
- ベニート・ディアス 1926-1930
- ハリー・ロウ 1930-1935
- ガスパル・グルチャガ 1939-1941
- セバスティアン・シルベティ & フランシスコ・ガンボレーナ 1941-1942
- ベニート・ディアス 1942-1951
- ホセ・イグナシオ・ウルビエタ 1951-1955
- サルバドール・アルティガス 1955-1960
- ホセバ・エリソンド 1960
- バルタサル・アルベニス 1960-1962
- ホセバ・エリソンド 1962
- ペリコ・トーレス 1962-1963
- アントニオ・バリオス 1963-1964
- ロマン・ガララガ 1964-1966
- アンドニ・エリソンド 1966-1970
- アンヘル・セグロラ 1970-1971
- アンドニ・エリソンド 1971-1972
- ラファエル・イリオンド 1972-1974
- アンドニ・エリソンド 1974-1976
- ホセ・アントニオ・イルレギ 1976-1978
- アルベルト・オルマエチェア 1978-1985
- ジョン・トシャック 1985-1989
- マルコ・アントニオ・ボロナト 1989-1991
- ハビ・エスポーシト 1991
- ジョン・トシャック 1991-1994
- サルバ・イリアルテ 1994-1995
- ハビエル・イルレタ 1995-1997
- ベルント・クラウス 1997-1999
- ハビエル・クレメンテ 1999-2000
- ペリコ・アロンソ 2000
- ジョン・トシャック 2000-2002
- ロベルト・オラべ 2002
- レイノー・ドゥヌエ 2002-2004
- ホセ・マリア・アモロルトゥ 2004-2006
- ゴンサロ・アルコナダ 2006
- ホセ・マリア・バケーロ 2006
- ミゲル・アンヘル・ロティーナ 2006-2007
- クリス・コールマン 2007-2008
- ホセ・ラモン・エイズメンディ 2008
- フアン・マヌエル・リージョ 2008-2009
- マルティン・ラサルテ 2009-2011
- フィリップ・モンタニエル 2011-2013
- ハゴバ・アラサテ 2013-2014
- アシエル・サンタナ 2014
- デイヴィッド・モイーズ 2014-2015
- エウセビオ・サクリスタン 2015-2018
- イマノル・アルグアシル 2018
- アシエル・ガリターノ 2018
- イマノル・アルグアシル 2018-
歴代所属選手
[編集]スポンサー
[編集]2023年10月6日、レアル・ソシエダは安田財閥の一企業『株式会社ヤスダグループ』と3年間の戦略的パートナーシップを締結したことを発表した。今回の契約でユニフォームの胸部に同スポンサーのロゴが入る[5][6]。
脚注
[編集]- ^ https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/202102160000290.html
- ^ 久保建英が挑む世界屈指の“友好的”なダービーとは?バスクと日本を繋ぐ「お祭り男」【現地記者コラムGoal.com(2023年4月15日)2023年9月23日閲覧
- ^ バルサ、マドリーをも超える「バスクの古豪」の育成力。 Yahoo!(2016年11月2日)
- ^ a b c d e f g h Classic Club Real Sociedad FIFA.com
- ^ ヤスダグループと日本における戦略的協力契約を締結 レアル・ソシエダ(2023年10月6日)2024年1月3日閲覧
- ^ レアル・ソシエダ、ヤスダグループと戦略的パートナーシップ締結!…日本企業がメインスポンサーにSOCCER KING(2023年10月6日)2024年1月3日閲覧
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
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