アルベルト・オルマエチェア
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名前 | ||||||
本名 | Alberto Ormaetxea Ibarlucea | |||||
ラテン文字 | Alberto Ibarlucea | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1939年4月7日 | |||||
出身地 | ギプスコア県エイバル | |||||
没年月日 | 2005年10月28日(66歳没) | |||||
身長 | 177cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アルベルト・オルマエチェア(Alberto Ormaetxea Ibarlucea, 1905年1月6日 - 2005年10月28日)は、スペイン・ギプスコア県エイバル出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフルバック。
経歴
[編集]選手時代
[編集]ギプスコア県エイバルに生まれ、1958年に地元のSDエイバルからデビューしたが、1958-59シーズンはセグンダ・ディビシオンからセグンダ・ディビシオンBへの降格を経験した。1959年にはレアル・ソシエダに移籍した[1]。
レアル・ソシエダでは2シーズンをBチームで過ごし、1961年にトップチームに昇格したが、1961-62シーズンにはプリメーラ・ディビシオンからセグンダ・ディビシオンへの降格を経験した。1966-67シーズンにはプリメーラ・ディビシオンに昇格した[2]。1969-70シーズンには28試合すべてに先発出場して2得点し、チームはプリメーラ・ディビシオンで7位となった。負傷などもあって、35歳だった1974年に引退した。レアル・ソシエダでは公式戦通算280試合に出場した[2]。
指導者時代
[編集]1974年の現役引退後すぐにレアル・ソシエダのアシスタントコーチとなり、1978年にはホセ・アントニオ・イルレギ監督に代わって監督に就任した。1978-79シーズンには4位となり、1979-80シーズンにはレアル・マドリードに勝ち点1及ばずにプリメーラ・ディビシオン優勝を逃したが、1980-81シーズンには初優勝を果たし、1981-82シーズンには2連覇を達成した。コパ・デル・レイでも1982年と1983年に2連覇を達成している[2][3]。1985年にレアル・ソシエダ監督を退任した。
1986年9月にはエルクレスCFの監督をわずか1ヶ月で退任し、プロサッカー指導者から引退した。その後はレアル・ソシエダのシニアチームで草サッカーをプレーしたり、エル・ディアリオ・バスコ紙にコラムを執筆したりした[4]。2005年のレアル・ソシエダ会長選挙ではミゲル・フエンテスを支持した[2]。
長い闘病生活の末に、同年10月28日にサン・セバスティアンで死去した。66歳だった[2]。レアル・ソシエダのホームスタジアムであるエスタディオ・アノエタにはオルマエチェアの胸像が飾られている。
所属クラブ
[編集]- 1959–1960 → SDエイバル(レンタル移籍)
- 1962–1974 レアル・ソシエダ
指導クラブ
[編集]タイトル
[編集]選手時代
[編集]- レアル・ソシエダ
- セグンダ・ディビシオン : 1966-67
指導者時代
[編集]- レアル・ソシエダ
- プリメーラ・ディビシオン: 1980–81, 1981–82
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ: 1982
脚注
[編集]- ^ Alberto Ormaetxea: "Hemen, entrenatzaile onak eta konpetenteak daude" Argia、1986年11月9日
- ^ a b c d e Alberto Ormaetxea, técnico bicampeón de la Real エル・ムンド、2005年10月31日
- ^ El récord de imbatibilidad vuelve a estar a buen recaudo ムンド・デポルティーボ、2013年12月4日
- ^ Muere Alberto Ormaetxea エル・パイス、2005年10月29日
外部リンク
[編集]- アルベルト・オルマエチェア - BDFutbolによる個人成績
- アルベルト・オルマエチェア - BDFutbolによる監督成績