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レアル・オビエド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レアル・オビエド
原語表記 Real Oviedo S.A.D.
愛称 Carbayones,
Los Azules (The Blues),
El Rey de Asturias (The King of Asturias),
Los Godos (The Goths),[1]
Oviedistas
クラブカラー     青・   
創設年 1926年
所属リーグ リーガ・エスパニョーラ
所属ディビジョン セグンダ・ディビシオン
ホームタウン アストゥリアス州の旗 アストゥリアス州オビエド
ホームスタジアム
カルロス・タルティエレ
収容人数 30,500人[2]
運営法人 メキシコの旗 カルソ・グループ
36,962人の株主
代表者 スペインの旗 ホルヘ・メネンデス
監督 スペインの旗 ルイス・カリオン
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

レアル・オビエドSADReal Oviedo S.A.D.)は、スペインオビエドに本拠地を置くサッカークラブチーム。2022-23シーズンはリーガ・エスパニョーラセグンダ・ディビシオン(2部相当)に在籍している。

1926年3月26日創立。30,500人収容のエスタディオ・カルロス・タルティエレをホームスタジアムとしている。ホームでは青色のシャツと白色のソックスを着用する。ラ・リーガ通算順位表では18位に位置する。スペインでも有数の、忠誠心と熱烈さを備えるサポーターを有することで知られている[3]

歴史

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1926年、スタディウム・オベテンセ(Stadium Ovetense)と合併してレアル・オビエド・クルブ・デ・フットボル(Real Oviedo Club de Fútbol)が設立され、7年後の1933年に初めてプリメーラ・ディビシオン(1部)に到達した。当時としては画期的な、鋭いパスやワンタッチパスなどを用いて試合の主導権を握る戦術を採用し、1933-34シーズンからの3シーズンはリーグ戦上位に入る成功を収めた。攻撃陣はエミリン、ガレ、エドゥアルド・エレーラ・ブエノ、イシドロ・ランガラの4選手(いずれもスペイン代表であった)で構成され、他にはカスコやリカルド・ガリャルトらがいた。イングランド人のフレッド・ペントランド(Fred Pentland)監督時代に初めてハードな練習や体調管理などが行われ、1930年代から1940年代の攻撃陣はデランテラス・エレクトリカス(Delanteras Eléctricas、電撃フォワード)と呼ばれた。ランガラはスペイン内戦でリーグ戦が中断する前に3シーズン連続でリーグ得点王(ピチーチ賞)のタイトルを獲得。クラブはこの3シーズンの計62試合で174得点を挙げ、あらゆる得点記録を塗り替えた。しかしその後、クラブと選手が衝突してチームは崩壊。ランガラは南米に渡り、エレーラとエミリンはFCバルセロナに、ガレはラシン・サンタンデールに、ガリャルトはラシン・フェロルに移籍した。1936年に勃発したスペイン内戦中にはグラウンドはプレーできない状態とみなされ、フランシスコ・フランコの軍隊はスタジアムを軍用廃棄場として使用した。1939年4月に内戦が終結し、同年にリーグ戦が再開されたが、1939-40シーズンはリーグ戦に参加しなかった。

1962-63シーズンには過去最高位タイの3位に食い込み、UEFAカップ出場権を獲得。1978-79シーズンには1シーズンだけであるがセグンダ・ディビシオンB(3部)まで落ち込んだ。スペインで開催される1982 FIFAワールドカップに向けて、クラブの本拠地であるエスタディオ・カルロス・タルティエレが全面改修され、チリ代表を招いて行われたお披露目試合は0-0で引き分けた。1984-85シーズンのコパ・デ・ラ・リーガ(現存せず)ではUDサラマンカビルバオ・アスレティックCFロルカ・デポルティーバCEサバデルアトレティコ・マドリレーニョを破って優勝した。セグンダ・ディビシオンでプレーした1987-88シーズンには昇格プレーオフに出場し、RCDマジョルカを2試合合計2-1で下してトップリーグに返り咲いた。1988-89シーズンから1990年代前半にはリーグ中位に定着し、1990-91シーズンには6位となってUEFAカップ出場権を獲得。1991-91シーズンのUEFAカップでは1回戦でジェノアCFC(イタリア)と対戦し、2試合合計2-3で敗れて大会から去った。

1990年代後半はプリメーラ・ディビシオン残留がやっとのシーズンが続き、2000-01シーズンに18位となってセグンダ・ディビシオンに降格。2002-03シーズンはセグンダ・ディビシオンで21位となってセグンダ・ディビシオンBに降格し、クラブは深刻な財政難に陥った。オビエド市からの支援が不足し、選手への給料支払い不能という事態を招いた。2003年には強制的にテルセーラ・ディビシオン(4部)降格処分を下された。この時点でクラブは潰れかけていたが、結局更生して再編成された。2シーズン続けてテルセーラ・ディビシオンで優勝し、2005年にセグンダ・ディビシオンB昇格を決めた。2007年には再びテルセーラ・ディビシオンに降格したが、再び2シーズン連続で優勝し、2008-09シーズンの昇格プレーオフでRCDマジョルカBにPK戦の末に勝利してセグンダ・ディビシオンB昇格を決めた。しかし、財政難の状況は変わらず[4]、2012-13シーズンにはクラブ存続の危機に陥ったため、サンティ・カソルラ(下部組織に在籍)、フアン・マヌエル・マタ(下部組織に在籍)、ミチュ(2003-04シーズンにトップチームデビュー)などを輩出したクラブであることをアピールして世界各国のサッカーファンに株式の購入を呼び掛けた[5]

2015年5月31日、この日のセグンダ・ディビシオンのプレーオフ相手であるカディスCFに対して2-1で勝利したことで16年ぶりの2部復帰を決めた。

リザーブチーム

リザーブチームはレアル・オビエド・ベトゥスタと名乗っているが、1990年代初頭にスペインサッカー連盟(RSFF)が奇抜なチーム名を禁止し、レアル・オビエドBに変更された。2021年にレアル・オビエド・ベトゥスタという名称が復活し、2023-24シーズンはセグンダ・フェデラシオン(4部相当)に在籍している[6]

ライバル

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同じアストゥリアス州内のスポルティング・デ・ヒホンとライバル関係にあり[7]、両クラブの対戦はアストゥリアス・ダービーと呼ばれる。2012-13シーズン開幕時点で117回のダービーが行われ、オビエドが49勝、ヒホンが38勝、引き分けが30試合である。

1926年12月6日に地域リーグの試合で初のダービーが行われ、オビエドは1-2で敗れた。プリメーラ・ディビシオンでの初のダービーは1944-45シーズンに行われ、ホームのオビエドが2-1で勝利した。このシーズンにアウェーのエスタディオ・エル・モリノンで行われた試合には0-6で大敗を喫している[8]。1998-99シーズン以降は両クラブが異なるディビジョンに在籍しているため、ダービーが行われていない。1998年3月15日に行われた最後のダービーは、オビエドがホームのエスタディオ・カルロス・タルティエレで2-1の勝利を収めた。このシーズン終了後、ヒホンは20位でセグンダ・ディビシオン(2部)降格となった。

スポンサーとサプライヤー

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期間 ユニフォームサプライヤー 胸スポンサー
1990–1991 KELME CLAS
1991–1993 Cajastur
1993–1998 Joluvi
1998–2000 Erima
2000–2001 PUMA
2001–2003 アストゥリアス州政府
2003–2008 Joluvi
2008–2012 NIKE
2012–2014 Joma -
2014–2015 ASAC Comunicaciones[9]
2015–2016 Hummel GAM
2016–2017 Adidas Procoin
2017–2018 ファーウェイ
2018–2019
2019–2020 オビエド
2020–2021 NMRナチュラル・コミットメント
2021–2022 DIGIモバイル
2022–2023

タイトル

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クラブタイトル

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1932–33, 1951–52, 1957–58, 1971–72, 1974–75
2014-15
2003–04, 2004–05, 2007–08, 2008–09
1984-85

個人タイトル

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ピチーチ賞

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イシドロ・ランガラ : 1933–34, 1934–35, 1935–36
マリアニン : 1972–73
イシドロ・ランガラ : 1932–33
エドゥアルド・ゴメス : 1957–58
ガラン : 1971–72
カルロス・ムニョス・コボ : 1987–88
ディエゴ・セルベーロ : 2004–05, 2007–08, 2008–09

サモラ賞

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オスカル・アルバレス : 1931–32, 1932–33
ロンバルディア : 1971–72
ラファエル・ポンソ : 2003–04
オイナッツ・アウレスティア : 2008–09

過去の成績

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シーズン ディビジョン 順位 国王杯
1929 セグンダ 7位 ベスト16
1929-30 セグンダ 5位 準々決勝敗退
1930-31 セグンダ 8位 ベスト16
1931-32 セグンダ 2位 ベスト16
1932-33 セグンダ 1位 ベスト16
1933-34 プリメーラ 6位 準決勝敗退
1934-35 プリメーラ 3位 ベスト16
1935-36 プリメーラ 3位 ベスト16
1940-41 プリメーラ 8位 準々決勝敗退
1941-42 プリメーラ 11位 ベスト16
1942-43 プリメーラ 6位 ベスト16
1943-44 プリメーラ 4位 ベスト16
1944-45 プリメーラ 4位 準々決勝敗退
1945-46 プリメーラ 5位 準決勝敗退
1946-47 プリメーラ 8位 ベスト16
1947-48 プリメーラ 9位 ベスト16
1948-49 プリメーラ 5位 ベスト16
1949-50 プリメーラ 14位 準々決勝敗退
1950-51 セグンダ 6位 DNP
1951-52 セグンダ 1位 準々決勝敗退
シーズン ディビジョン 順位 国王杯
1952-53 プリメーラ 9位 ベスト16
1953-54 プリメーラ 15位 DNP
1954-55 セグンダ 2位 DNP
1955-56 セグンダ 2位 DNP
1956-57 セグンダ 4位 DNP
1957-58 セグンダ 1位 DNP
1958-59 プリメーラ 11位 ベスト16
1959-60 プリメーラ 6位 ベスト16
1960-61 プリメーラ 13位 ベスト16
1961-62 プリメーラ 10位 ベスト16
1962-63 プリメーラ 3位 ベスト16
1963-64 プリメーラ 14位 ベスト16
1964-65 プリメーラ 15位 ベスト16
1965-66 セグンダ 4位 ベスト16
1966-67 セグンダ 5位 ベスト32
1967-68 セグンダ 6位 ベスト32
1968-69 セグンダ 11位 DNP
1969-70 セグンダ 7位 ベスト16
1970-71 セグンダ 14位 ベスト16
1971-72 セグンダ 1位 ベスト32
シーズン ディビジョン 順位 国王杯
1972-73 プリメーラ 12位 ベスト16
1973-74 プリメーラ 18位 ベスト16
1974-75 セグンダ 1位 ベスト16
1975-76 プリメーラ 16位 ベスト16
1976-77 セグンダ 5位 ベスト32
1977-78 セグンダ 17位 ベスト16
1978-79 セグンダB 2位 ベスト32
1979-80 セグンダ 11位 ベスト16
1980-81 セグンダ 10位 ベスト32
1981-82 セグンダ 16位 ベスト32
1982-83 セグンダ 12位 ベスト32
1983-84 セグンダ 13位 ベスト32
1984-85 セグンダ 16位 ベスト16
1985-86 セグンダ 8位 ベスト16
1986-87 セグンダ 14位 ベスト32
1987-88 セグンダ 4位 ベスト32
1988-89 プリメーラ 12位 ベスト32
1989-90 プリメーラ 11位 ベスト16
1990-91 プリメーラ 6位 ベスト16
1991-92 プリメーラ 11位 ベスト16
シーズン ディビジョン 順位 国王杯
1992-93 プリメーラ 16位 準々決勝敗退
1993-94 プリメーラ 9位 準々決勝敗退
1994-95 プリメーラ 9位 ベスト32
1995-96 プリメーラ 14位 ベスト16
1996-97 プリメーラ 17位 ベスト16
1997-98 プリメーラ 18位 ベスト32
1998-99 プリメーラ 14位 ベスト32
1999-00 プリメーラ 16位 ベスト16
2000-01 プリメーラ 18位 ベスト32
2001-02 セグンダ 7位 ベスト32
2002-03 セグンダ 21位 ベスト16
2003-04 テルセーラ 1位 ベスト32
2004-05 テルセーラ 1位 2回戦敗退
2005-06 セグンダB 7位 2回戦敗退
2006-07 セグンダB 19位 1回戦敗退
2007-08 テルセーラ 1位 DNP
2008-09 テルセーラ 1位 2回戦敗退
2009-10 セグンダB 2位 2回戦敗退
2010-11 セグンダB 8位 2回戦敗退
2011-12 セグンダB 6位 ベスト32
シーズン ディビジョン 順位 国王杯
2012-13 セグンダB 3位 2回戦敗退
2013-14 セグンダB 5位 1回戦敗退
2014-15 セグンダB 1位 ベスト32
2015-16 セグンダ 9位 3回戦敗退
2016-17 セグンダ 8位 2回戦敗退
2017-18 セグンダ 7位 2回戦敗退
2018-19 セグンダ 8位 2回戦敗退
2019-20 セグンダ 15位 1回戦敗退
2020-21 セグンダ 13位 2回戦敗退
2021-22 セグンダ 7位 1回戦敗退
2022-23 セグンダ 8位 ベスト32

現所属メンバー

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2024年1月6日現在[10]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK フランス カンタン・ブラー
2 DF スペイン マリオ・エルナンデス
3 DF スペイン ロドリゴ・タリン
4 DF スペイン ダビド・コスタス
5 MF スペイン ルイスミ
6 MF スペイン ジミー
7 MF スペイン ビティ
8 MF スペイン サンティ・カソルラ
9 FW スペイン ボルハ・バストン キャプテン
10 MF スペイン ビクトル・カマラサ
11 MF アルゼンチン サンティアゴ・コロンバット
12 DF スペイン ダニ・カルボ
13 MF ウルグアイ サンティアゴ・ホメンチェンコ
No. Pos. 選手名
14 FW ブラジル アレマン
15 DF スペイン オイエル・ルエンゴ
16 MF スペイン ハイメ・セオアネ
17 MF スペイン サバス・モジャーノ
18 MF スペイン パウリーノ
19 FW スペイン アレックス・ミジャン
20 FW ポルトガル マスカ
21 DF スペイン カルロス・ポマレス
22 MF ベルギー ホナタン・ドゥバシン
23 DF スペイン アベル・ブレトネス
24 DF スペイン ルーカス・アヒアド
25 MF スペイン ボルハ・サンチェス
31 GK スペイン レオ・ロマン

歴代監督

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歴代所属選手

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GK

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DF

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MF

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FW

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脚注

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  1. ^ Jägerskiöld Nilsson, Leonard (2018年11月15日). World Football Club Crests: The Design, Meaning and Symbolism of World Football's Most Famous Club Badges. Bloomsbury Publishing. p. 80. ISBN 9781472954251 
  2. ^ Real Oviedo”. RTVE. 18 January 2020閲覧。
  3. ^ Spanish stars join Real Oviedo fight”. ESPN. 2012年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月10日閲覧。
  4. ^ Real Oviedo – The people’s club”. FFO. 2013年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月3日閲覧。
  5. ^ スペイン3部のオビエドが財政難…ツイッターで全世界に救いの手を求める”. サッカーキング (2012年11月9日). 2012年11月16日閲覧。
  6. ^ El Real Oviedo B recupera la denominación de "Vetusta"” (スペイン語). La Voz de Asturias. 1 August 2021閲覧。
  7. ^ Real Oviedo, Real who?”. SpanishFootball.info. 2011年10月24日閲覧。
  8. ^ El Derbi Asturiano: Sporting and Oviedo on course to resume old acquaintances El Centrocampista、2012年4月3日
  9. ^ ASAC Comunicaciones, nuevo patrocinador del Real Oviedo (ASAC Comunicaciones, new sponsor of Real Oviedo); RTPA, 2014年9月25日閲覧
  10. ^ http://www.realoviedo.es/primer-equipo/plantilla/r-oviedo www.realoviedo.es

外部リンク

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