ヘタフェCF
ヘタフェCF | ||||
---|---|---|---|---|
原語表記 | Getafe Club de Fútbol S.A.D. | |||
愛称 |
Azulones (アスロネス, 濃青), El Geta (エル・ヘタ) | |||
クラブカラー | 青 | |||
創設年 | 1983年 | |||
所属リーグ | ラ・リーガ | |||
所属ディビジョン | 1部(2022–23) | |||
ホームタウン | ヘタフェ | |||
ホームスタジアム |
コリセウム | |||
収容人数 | 17,393 | |||
代表者 | アンヘル・トーレス・サンチェス | |||
監督 | ホセ・ボルダラス | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
| ||||
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
ヘタフェCF(Getafe Club de Fútbol S.A.D.)は、スペインのマドリード州ヘタフェに本拠地を置くサッカークラブ。プリメーラ・ディビシオンに所属している。
概要
[編集]1946年に設立され、1983年に再設立された。2004-05シーズンにプリメーラ・ディビシオン(1部)に初参戦した。2011年4月25日、クラブはドバイにあるロイヤル・エミレーツ・グループに7000万ユーロから9000万ユーロで買収された[1][2]。
ヘタフェにあるコリセウムを本拠地として使用している。このスタジアムは1998年に開場した当時、地元出身(ただし当チームに在籍したことはない)の著名なサッカー選手アルフォンソ・ペレスの名を冠して「コリセウム・アルフォンソ・ペレス」と呼ばれていた。しかしペレスが女子サッカーに対して性差別的な発言をしたことが問題視され、2023年にスタジアム名からペレスの名前が削除されて「コリセウム」に改称された[3][4]。。
コリセウムの完成以前は、ラス・マルガリータス・スポーツ公園(Sports City of Las Margaritas)にあるエスタディオ・デ・ラス・マルガリータスを本拠地として使用していた。
同じマドリード自治州の両名門クラブレアル・マドリード、アトレティコ・マドリードとの関係は比較的良好。そのためレアル・マドリード、アトレティコ・マドリードから若手選手をレンタルで獲得することも多い。またバレンシアCFとも密接な繋がりがあり、ヘタフェCFで実績を挙げたキケ・サンチェス・フローレス監督や2021年にはホセ・ボルダラスがバレンシアCFに引き抜かれたり、バレンシアCFの若手有望選手をレンタルで獲得したりと交流が深い。なお、アンヘル・トーレス会長は熱心なマドリディスタ(レアル・マドリードのファン)である。
歴史
[編集]クルブ・ヘタフェ・デポルティーボ
[編集]創設
[編集]1945年、ヘタフェ在住のエンリケ・コンデス・ガルシア、アウレリオ・ミランダ・オラバリア、アントニオ・コリドール・ロサーノ、マヌエル・セラーノ・ベルガラ、ミゲル・クベロ・フランセスの5人がラ・マルケシーナ(La Marquesina)というバルに集い、ヘタフェ・クルブ・デ・フトボルの設立を決めた。公式には1946年2月24日に設立され、クルブ・ヘタフェ・デポルティーボと名づけられた[5]。創設当初はゴールポストさえないカンポ・デル・レヒミエント・デ・アルティジェリアというグラウンドでプレーしていたが、すぐにサン・イシドロにある市営サン・イシドロ・スポーツセンターに移った。1956-57シーズン、CPビジャロベレードに勝利してテルセーラ・ディビシオン(当時3部)昇格を決めた。1957-58シーズンにはセグンダ・ディビシオン(2部)昇格に近づいたが、CDアルメリアに敗れて昇格を逃した[6]。1969-70シーズンにはテルセーラ・ディビシオンへの昇格を決め、1970年9月2日に自前のスタジアムの落成試合を行った。フランシスコ・バラ会長が見守る中、ヘタフェは3-1でミチェリンに勝利した。1970-71シーズンはテルセーラ・ディビシオン残留を果たし、6年後にクラブ初のセグンダ・ディビシオン昇格を決めた[7]。
セグンダ・ディビシオン昇格
[編集]クルブ・ヘタフェ・デポルティーボは6シーズンの間セグンダ・ディビシオンでプレーし、いくらかの成功を収めたが、6シーズンとも10位以下であった。1978年にはコパ・デル・レイのラウンド16でFCバルセロナと対戦し、ホームで行われたファーストレグではスター選手が揃うFCバルセロナ相手に3-3と引き分けたが、カンプ・ノウで行われたセカンドレグでは0-8と粉砕された。1981-82シーズン終盤には選手への給料が支払われず、自動降格処分が下され、クラブは破産に追い込まれた。この一方で、1976年9月1日にはナショナル・スポーツ・カウンシルに新クラブが設立され、カスティージャ地方連盟に所属した。このクラブはペーニャ・マドリディスタ・ヘタフェ(レアル・マドリードのサポーターによるヘタフェ)として4シーズン、クルブ・デポルティーボ・ペーニャ・ヘタフェとして2シーズンプレーした。1982年7月10日、クルブ・デポルティーボ・ペーニャ・ヘタフェはより古くから存在するクルブ・ヘタフェ・プロメサスと統合し、再びカスティージャ地方連盟に登録した[8]。
ヘタフェ・クルブ・デ・フトボル
[編集]再設立
[編集]1982年に合併したクラブを基にし、1983年7月8日、ヘタフェ・クルブ・デ・フトボルが公式に設立された[8]。1983-84シーズンの地域リーグに登録してチームが始動し、4シーズン連続で昇格を決めて1987年にはセグンダ・ディビシオンB(3部)に到達した。1993-94シーズンにはセグンダ・ディビシオンで2位となってセグンダ・ディビシオンに昇格したが、2シーズンとも下位に低迷してセグンダ・ディビシオンBに舞い戻った[9]。1997年にはテルセーラ・ディビシオン降格の危機が訪れたが、昇降格プレーオフでSDウエスカに勝利して降格を免れた。1998年1月1日にはコリセウム・アルフォンソ・ペレスが落成した[10]。1990年代後半から2000年代前半にはセグンダ・ディビシオンとセグンダ・ディビシオンBを行き来するエレベータークラブであったが、2003-04シーズンはシーズンの大半を順位表の最上位で過ごした。CDテネリフェに勝利することでプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格が決まる最終節はセルヒオ・パチョンの5得点で5-3と勝利し、クラブ初のトップリーグ昇格を決めた[11]。レアル・マドリード、アトレティコ・マドリード、ラーヨ・バジェカーノに次いで、プリメーラ・ディビシオンに在籍するマドリード自治州内4番目のクラブとなり、マドリード市外のクラブとしては初のプリメーラ所属クラブとなった[12]。
プリメーラ・ディビシオン昇格
[編集]トップリーグに挑戦するにあたってキケ・サンチェス・フローレス監督を招聘したが、2004-05シーズンは順位表の下位に沈む低調な出だしだった。ホームではRCDエスパニョール、アスレティック・ビルバオ、バレンシアCF、レアル・マドリードなどに勝利したが[13]、アウェーではアスレティック・ビルバオから挙げた1勝に終わった[14]。最終的には13位でシーズンを終え、昇格組3クラブの中で唯一残留を果たした。2005年夏にはキケ・フローレス監督をバレンシアCFに引き抜かれたため、レバンテUD監督を解任されたベルント・シュスター監督を起用した[15]。2005-06シーズンはシュスター監督の目指したダイナミックで縦に早いサッカーがはまり、一時的にリーグ首位に立った[16]。その後徐々に順位を落としたが、最終的には9位と健闘した[17]。
国内や欧州カップ戦での躍進
[編集]2006 FIFAワールドカップのスペイン代表メンバーにマリアーノ・ペルニアが選ばれ、ヘタフェCF在籍選手初のスペイン代表選手となった[18][19]。2006-07シーズンのリーグ戦では再び9位となった[20]。38試合でリーグ最少の33失点に抑え、12試合を完封したGKロベルト・アボンダンシェリはサモラ賞(最少失点率)を受賞した。2005-06シーズン以前はコパ・デル・レイで準々決勝に達したことさえなかったが、2006-07シーズンの同大会では準決勝でFCバルセロナを破って決勝に進出した。カンプ・ノウで行われたファーストレグは2-5で敗れたが[21]、コリセウム・アルフォンソ・ペレスでのセカンドレグに4-0で勝利し[22]、2試合合計6-5で劇的な逆転勝利を遂げた。エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われた決勝ではセビージャFCに0-1で敗れ、初の主要タイトル獲得を逃した[23]。セビージャFCはすでにUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得していたため、ヘタフェCFがUEFAカップの出場権を獲得した。2007年夏にはベルント・シュスター監督がレアル・マドリードに去り[24]、後任にはミカエル・ラウドルップ監督が就任した[25]。ラウドルップ監督に率いられたクラブは14位でプリメーラ・ディビシオン残留を決めた。同シーズンのUEFAカップではグループリーグをわずか1敗の首位で通過し、その後も勝ち上がって準々決勝に進出した[26]。準々決勝は4度のヨーロッパ王者の経験があるバイエルン・ミュンヘンとの対戦となり、アウェーでのファーストレグはロスタイムにコスミン・コントラが同点弾を挙げて1-1で終えた[27]。ホームでのセカンドレグでは開始6分にルベン・デ・ラ・レーが退場処分を受けたが、前半終了間際にコントラが先制点を挙げた。しかし、試合終了間際の89分にフランク・リベリーが同点弾を決め、試合は延長戦にもつれ込んだ。延長の早い段階にハビエル・カスケーロと途中出場のブラウリオ・ノブレガが得点して3-1とリードしたが、バイエルンはルカ・トーニの2得点で3-3と追いついた。2試合合計4-4の同点であったが、アウェーゴールルールが適用されてバイエルンの勝ち上がりが決まった[28]。同シーズンのコパ・デル・レイでは2シーズン連続で決勝に進出したが、エスタディオ・ビセンテ・カルデロンで行われたバレンシアCF戦に1-3で敗れてまたもや準優勝に終わった[29]。
2008年夏には、MFルベン・デ・ラ・レーが抜けた穴に元U-21ドイツ代表のMFオイゲン・ポランスキを加え、その他にもコパ・リベルタドーレス優勝に貢献したMFホフレ・ゲロン、レアル・マドリードからFWロベルト・ソルダードなどを加えて戦力の維持に努め、新監督には結果重視の守備的なサッカーに定評のあるビクトル・ムニョス監督を選んだ。しかし、GKオスカル・ウスタリがシーズン前に靭帯を損傷して長期離脱し、GKロベルト・アボンダンシェリが冬の移籍期間にボカ・ジュニアーズに復帰するなど、守備面からほころびを見せたチームはシーズン中に2度の4連敗を喫するなど不安定な成績に終始し、2009年4月にV・ムニョス監督が解任された。残り5試合を託されたミチェル監督は2006-07シーズンまでのボール保持を重視したスタイルに転換して2勝2分1敗で乗り切り、セグンダ・ディビシオン(2部)に降格したレアル・ベティスと同勝ち点の17位でプリメーラ・ディビシオン(1部)残留に成功した。
シーズン終了後にMFエステバン・グラネロやFWイケチュク・ウチェら攻撃の主力が抜けたものの、DFマネやMFペドロ・レオンなど即戦力の実力者を獲得した。関係が良好なレアル・マドリードからはGKジョルディ・コディーナ、DFミゲル・トーレス、MFダニエル・パレホの3選手をすべて完全移籍で獲得した。十分な準備期間を与えられたミチェル監督はプレシーズンの11試合を8勝3分(22得点8失点)の負けなしで終えた。2009-10シーズンはソルダードが16得点を記録するなど攻撃サッカーで旋風を巻き起こし、6位でUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2010年夏にはソルダードやペドロ・レオンなどの主力選手が抜け、UEFAヨーロッパリーグではグループリーグ敗退に終わった。2010-11シーズンのリーグ戦では後半戦に調子を落とし、34節終了時には降格圏内の18位まで沈んだが、最終的には16位で辛うじて残留を決めた。2015-16シーズン、リーグを19位で終え、12年ぶりの二部降格となった。
1部復帰後
[編集]降格1年で1部に復帰となった2017-18シーズンは、昨年からの続投となるホセ・ボルダラス監督のもと、相手のミスに乗じて攻めるリアクションサッカーを展開した。その甲斐あって、昇格1年目にして5年ぶりの1部トップ10入りを実現させた。2018-19シーズンはリーグ開幕戦こそレアル・マドリードに0-2と敗れるも、その後は安定したパフォーマンスを見せた。DFではジェネ・ダコナムやヴィトリーノ・アントゥネス、MFはネマニャ・マクシモヴィッチやウルグアイ人のマウロ・アランバリ、そしてFW陣では共にリーグ14ゴールの37歳のホルヘ・モリーナと3月にスペイン代表デビューを果たしたハイメ・マタらの活躍によって、CL出場権を逃したもののリーグ5位でフィニッシュし、EL出場権を獲得し大成功と言える1年となった。
2019-20シーズン、このシーズンもハードワークを主体にしたプレーで序盤戦から勝ち点を積み上げ、コロナ中断前の3月にはリーグ戦で4位の位置に付けていた。しかし、中断明け以降から徐々に調子を崩し、最終的にはリーグ8位でフィニッシュした。最終節のレバンテUD戦では、勝てば2シーズン連続のEL出場権獲得だったが、0-1と敗戦し、EL出場権は獲得できなかった。しかし、このシーズンのELではベスト16に進出。コロナの影響で一発勝負となったインテル戦に0-2で敗戦するも[30]、ベスト32ではアヤックス・アムステルダムを下していた[31]。
2021年5月27日、クラブを約4年間指揮したボルダラスが退任し、後任に2009年から2年間ヘタフェの監督を務めていたミチェルが再任した[32]。
ユニフォーム
[編集]伝統的にホームでは青色のシャツを着用する。アウェーでは一般に赤色のシャツを着用するが、これは近年は変更されつつある。ユニフォームのサプライヤーはホマ(Joma)である。
期間 | 胸スポンサー |
---|---|
2004-2005 | オプシオン(セントロ・デ・オシオ) |
2005-2006 | PSG |
2006-2009 | グルポ・ガルコ |
2009- | バーガーキング |
タイトル
[編集]国内タイトル
[編集]- 優勝 (1): 1998-99
個人タイトル
[編集]- サモラ賞 : ロベルト・アボンダンシェリ 2006-2007
成績
[編集]シーズン | ディビジョン | 国王杯 | 欧州カップ / その他 | リーグ戦最多得点者 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | 選手 | 得点 | ||||
1983-84 | マドリード州7部リーグ | 1位 | ||||||||||||
1984-85 | マドリード州6部リーグ | 1位 | ||||||||||||
1985-86 | マドリード州5部リーグ | 1位 | ||||||||||||
1986-87 | テルセーラ・ディビシオン | 38 | 17 | 10 | 11 | 64 | 45 | 44 | 6位 | |||||
1987-88 | セグンダ・ディビシオンB | 38 | 18 | 11 | 9 | 71 | 41 | 65 | 3位 | 4回戦敗退 | アントニオ・リベラ | 20 | ||
1988-89 | セグンダ・ディビシオンB | 38 | 16 | 11 | 11 | 52 | 36 | 59 | 6位 | 1回戦敗退 | アントニオ・フローレス | 10 | ||
1989-90 | セグンダ・ディビシオンB | 38 | 18 | 15 | 5 | 54 | 30 | 51 | 2位 | アントニオ・リベラ | 20 | |||
1990-91 | セグンダ・ディビシオンB | 38 | 16 | 13 | 9 | 45 | 24 | 45 | 4位 | 4回戦敗退 | トト | 8 | ||
1991-92 | セグンダ・ディビシオンB | 38 | 17 | 11 | 10 | 42 | 32 | 45 | 6位 | 5回戦敗退 | アントニオ・リベラ | 8 | ||
1992-93 | セグンダ・ディビシオンB | 38 | 15 | 17 | 6 | 42 | 28 | 47 | 4位 | 3回戦敗退 | アントニオ・リベラ | 8 | ||
1993-94 | セグンダ・ディビシオンB | 38 | 17 | 16 | 5 | 53 | 31 | 50 | 2位 | 4回戦敗退 | フリアン・ロメロ | 12 | ||
1994-95 | セグンダ・ディビシオン | 38 | 5 | 20 | 13 | 26 | 42 | 30 | 18位 | 3回戦敗退 | フリアン・ロメロ | 6 | ||
1995-96 | セグンダ・ディビシオン | 38 | 7 | 11 | 20 | 30 | 52 | 32 | 19位 | 2回戦敗退 | ゴラン・ストイリコヴィッチ | 15 | ||
1996-97 | セグンダ・ディビシオンB | 38 | 12 | 9 | 17 | 44 | 54 | 45 | 16位 | 1回戦敗退 | ペペ・メル | 17 | ||
1997-98 | セグンダ・ディビシオンB | 38 | 17 | 6 | 15 | 45 | 40 | 57 | 7位 | ナチョ・シエラ | 20 | |||
1998-99 | セグンダ・ディビシオンB | 38 | 21 | 9 | 8 | 50 | 23 | 72 | 1位 | アンドレス・クリエル | 13 | |||
1999-00 | セグンダ・ディビシオン | 42 | 13 | 9 | 20 | 39 | 51 | 48 | 19位 | 1回戦敗退 | カイク ホセ・ロドリゲス・パラード |
10 | ||
2000-01 | セグンダ・ディビシオン | 42 | 8 | 11 | 23 | 42 | 65 | 35 | 21位 | ベスト64 | マイケル・ハーマン | 12 | ||
2001-02 | セグンダ・ディビシオンB | 38 | 17 | 10 | 11 | 57 | 43 | 61 | 5位 | ベスト64 | イニャキ・センサーノ | 11 | ||
2002-03 | セグンダ・ディビシオン | 42 | 13 | 14 | 15 | 52 | 55 | 53 | 11位 | ベスト32 | ゲオルゲ・クライオヴェアヌ | 9 | ||
2003-04 | セグンダ・ディビシオン | 42 | 20 | 16 | 6 | 55 | 38 | 76 | 2位 | ベスト64 | ミチェル | 15 | ||
2004-05 | ラ・リーガ | 38 | 12 | 11 | 15 | 38 | 46 | 47 | 13位 | ベスト16 | ミチェル セルヒオ・パチョン |
5 | ||
2005-06 | ラ・リーガ | 38 | 15 | 9 | 14 | 54 | 49 | 54 | 9位 | ベスト16 | マリアーノ・ペルニア ヴェリコ・パウノヴィッチ |
10 | ||
2006-07 | ラ・リーガ | 38 | 14 | 10 | 14 | 39 | 33 | 52 | 9位 | 準優勝 | ダニ・グイサ | 11 | ||
2007-08 | ラ・リーガ | 38 | 12 | 11 | 15 | 44 | 48 | 47 | 14位 | 準優勝 | UEFAカップ | ベスト8 | マヌエル・デル・モラル フアン・アルビン |
7 |
2008-09 | ラ・リーガ | 38 | 10 | 12 | 16 | 50 | 56 | 42 | 17位 | ベスト32 | ロベルト・ソルダード | 13 | ||
2009-10 | ラ・リーガ | 38 | 17 | 7 | 14 | 58 | 48 | 58 | 6位 | ベスト4 | ロベルト・ソルダード | 16 | ||
2010-11 | ラ・リーガ | 38 | 12 | 8 | 18 | 49 | 60 | 44 | 16位 | ベスト16 | UEFAヨーロッパリーグ | グループステージ敗退 | マヌエル・デル・モラル | 9 |
2011-12 | ラ・リーガ | 38 | 12 | 11 | 15 | 40 | 51 | 47 | 11位 | ベスト32 | ミクー | 12 | ||
2012-13 | ラ・リーガ | 38 | 13 | 8 | 17 | 43 | 47 | 47 | 10位 | ベスト16 | ディエゴ・カストロ | 7 | ||
2013-14 | ラ・リーガ | 38 | 11 | 9 | 18 | 35 | 54 | 42 | 13位 | ベスト16 | ペドロ・レオン アンヘル・ラフィタ |
7 | ||
2014-15 | ラ・リーガ | 38 | 10 | 7 | 21 | 33 | 64 | 37 | 15位 | ベスト8 | アルバロ・バスケス | 7 | ||
2015-16 | ラ・リーガ | 38 | 9 | 9 | 20 | 37 | 67 | 36 | 19位 | ベスト32 | パブロ・サラビア | 7 | ||
2016-17 | セグンダ・ディビシオン | 42 | 18 | 14 | 10 | 55 | 43 | 68 | 3位 | 2回戦敗退 | ホルヘ・モリーナ | 20 | ||
2017-18 | ラ・リーガ | 38 | 15 | 10 | 13 | 42 | 33 | 55 | 8位 | ベスト32 | アンヘル | 13 | ||
2018-19 | ラ・リーガ | 38 | 15 | 14 | 9 | 48 | 35 | 59 | 5位 | ベスト8 | ホルヘ・モリーナ ハイメ・マタ |
14 | ||
2019-20 | ラ・リーガ | 38 | 14 | 12 | 12 | 43 | 37 | 54 | 8位 | 2回戦敗退 | UEFAヨーロッパリーグ | ベスト16 | ハイメ・マタ | 11 |
2020-21 | ラ・リーガ | 38 | 9 | 11 | 18 | 28 | 43 | 38 | 15位 | 2回戦敗退 | ハイメ・マタ アンヘル |
5 | ||
2021-22 | ラ・リーガ | 38 | 8 | 15 | 15 | 33 | 41 | 39 | 15位 | 2回戦敗退 | エネス・ウナル | 15 |
欧州の成績
[編集]シーズン | 大会 | ラウンド | 対戦相手 | ホーム | アウェー | 合計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2007–08 | UEFAカップ | プレーオフ | トゥウェンテ | 1–0 | 2–3 (a.e.t.) |
3–3 (a) | |
グループG | トッテナム | — | 2–1 | 1位 | |||
ハポエル・テルアビブ | 1–2 | — | |||||
AaB | — | 2–1 | |||||
アンデルレヒト | 2–1 | — | |||||
ラウンド16 | AEKアテネ | 3–0 | 1–1 | 4–1 | |||
準々決勝 | ベンフィカ | 1–0 | 2–1 | 3–1 | |||
準決勝 | バイエルン・ミュンヘン | 3–3 (a.e.t.) |
1–1 | 4–4 (a) | |||
2010–11 | UEFAヨーロッパリーグ | プレーオフ | APOEL | 1–0 | 1–1 (a.e.t.) |
2–1 | |
グループH | OB | 2–1 | 1–1 | 3位 | |||
ヤング・ボーイズ | 1–0 | 0–2 | |||||
シュトゥットガルト | 0–3 | 0–1 | |||||
2019-20 | UEFAヨーロッパリーグ | グループC | バーゼル | 0-1 | 1-2 | 2位 | |
クラスノダール | 3-0 | 2-1 | |||||
トラブゾンスポル | 1-0 | 1-0 | |||||
ラウンド32 | アヤックス | 2-0 | 1-2 | 3-2 | |||
ラウンド16 | インテル | 0-2 |
現所属メンバー
[編集]- 2024年1月12日現在[33]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
|
※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権、星印はEU圏外選手を示す。
リザーブチーム
[編集]注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
|
ローン移籍
[編集]- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
|
- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
|
スタッフ
[編集]役職 | 氏名 |
---|---|
監督 | ホセ・ボルダラス |
アシスタントコーチ | ナチョ・フェルナンデス |
パトリ | |
GKコーチ | フアンホ・ロア |
フィジカルコーチ | アルベルト・ベロカル |
歴代会長
[編集]- アントニオ・デ・ミゲル 1983-1992
- フランシスコ・フローレス 1992-2000
- フェリペ・ゴンサレス 2000-2001
- ドミンゴ・レボシオ 2001
- アンヘル・トーレス 2002-
歴代監督
[編集]- ルイス・サンチェス・ドゥケ 1994-95
- エミリオ・クルス 1995
- ルイス・アンヘル・ドゥケ 1996
- マヌエル・ガルシア・カルデロン 1997-98
- サンティアゴ・マルティン・プラード 1998-00
- フアンホ 2000
- マノロ・カノ 2000
- ゴンサロ・ウルタード 2001
- フェリネス 2001-03
- ペペ・ミル 2003
- ホス・ウリベ 2003-04
- キケ・サンチェス・フローレス 2004-2005
- ベルント・シュスター 2005-2007
- ミカエル・ラウドルップ 2007-2008
- ビクトル・ムニョス 2008-2009
- ミチェル 2009-2011
- ルイス・ガルシア・プラサ 2011-2014
- コスミン・コントラ 2014
- キケ・サンチェス・フローレス 2015
- パブロ・フランコ 2015
- フラン・エスクリバ 2015-2016
- フアン・エスナイデル 2016
- ホセ・ボルダラス 2016-2021
- ミチェル 2021
- キケ・サンチェス・フローレス 2021-2023
- ホセ・ボルダラス 2023-
歴代所属選手
[編集]GK
[編集]- セルヒオ・サンチェス・サンチェス 2003-2005
- ロベルト・アボンダンシェリ 2006-2009
- オスカル・ウスタリ 2007-2012
- ハコボ・サンス 2008-2009
- ヴラディミル・ストイコヴィッチ 2008-2009
- ジョルディ・コディーナ 2009-
- メジェリ・バラージュ 2015-2016
DF
[編集]- ダビド・ベレンゲル 2003-2010
- ハビエル・パレデス 2003-2005
- ラウール・アルビオル 2004-2005
- マリアーノ・ペルニア 2004-2006
- コスミン・コントラ 2005-2009
- アレクシス 2006-2007, 2012-2016
MF
[編集]- マリオ・コテロ 2003-2009
- フランシスコ・ガジャルド 2003-2004
- ガビ 2004-2005
- ハイメ・ガビラン 2005-2006,2008-2014
- ファビオ・セレスティーニ 2005-2010
- フアン・アンヘル・アルビン 2006-2011
- フランシスコ・ソウザ 2006-2009
- ハビエル・カスケーロ 2006-2012
- エステバン・グラネロ 2007-2009
- パブロ・エルナンデス 2007-2008
- ルベン・デ・ラ・レー 2007-2008
- オイゲン・ポランスキ 2008-2009
- アドリアン・ゴンサレス 2008-2010
- ラファ・ロペス 2008-
- ダニエル・パレホ 2009-2011
- デレク・ボアテング 2009-2011
- ペドロ・レオン 2009-2010, 2011-2016
- ペドロ・リオス 2009-2012
- メディ・ラセン 2011-2018
- サミール 2014.1-2015.2
- 柴崎岳 2017-2019
- マチュー・フラミニ 2018-2019
FW
[編集]- ルイス・アラゴネス 1957-1958
- ジカ・クライオベアヌ 2002-2006
- リキ 2004-2006
- ダニエル・ゴンサレス・グイサ 2005–2007
- ヴェリコ・パウノヴィッチ 2005-2007
- マヌエル・デル・モラル 2006-2011
- ケパ・ブランコ 2007-2010
- イケチュク・ウチェ 2007-2009
- ホフレ・ゲロン 2008-2010
- ロベルト・ソルダード 2008-2010
- アンヘル・ロドリゲス 2017-2021
脚注
[編集]- ^ CARTA ROYAL EMIRATES GROUP ヘタフェCF公式サイト
- ^ Getafe sale to Dubai is confirmed The National
- ^ “ヘタフェがスタジアム名変更…アルフォンソ・ペレス氏の不適切な性差別的発言受け名前を削除…”. 超WORLDサッカー! (2023年10月5日). 2024年1月7日閲覧。
- ^ 木村浩嗣 (2023年10月7日). “女子スポーツへの発言が問題視され、スタジアムから個人名が外される”. footballista.jp. 2024年1月7日閲覧。
- ^ En 1945 se comenzaba a crear un histórico ヘタフェCF公式サイト
- ^ Los primeros encuentros en el Campo del Regimiento de Artillería ヘタフェCF公式サイト
- ^ En Tercera en Las Margaritas ヘタフェCF公式サイト
- ^ a b El actual Getafe CF Getafe history
- ^ Vuelve a resurgir a lo más alto ヘタフェCF公式サイト
- ^ El estadio del Getafe CF ヘタフェCF公式サイト
- ^ 2003/04 Spanish Second Division match reports
- ^ Spain – Regional Analysis RSSSF
- ^ ESPNsoccernet Match Report
- ^ ESPNsoccernet Match Report
- ^ 2005/06 Spanish Primera Transfers
- ^ 2005/06 Spanish Primera Standings, Matchday 8
- ^ 2005/06 Spanish Primera Final Table
- ^ Spain send for Pernia Sky Sports、2006年5月30日
- ^ Pernia completes Atletico transfer CNN、2006年6月30日
- ^ 2006/07 Spanish Primera Final Table
- ^ ESPNsoccernet Match Report
- ^ ESPNsoccernet Match Report
- ^ ESPNsoccernet Match Report
- ^ Schuster confirmed as new Real coach The Guardian、2007年7月9日
- ^ Getafe appoint Laudrup as Schuster's replacement Reuters、2007年7月9日
- ^ UEFA Cup Group G UEFA.com
- ^ ESPNsoccernet Match Report
- ^ Heartbreak for Getafe as Bayern fight back FourFourTwo、2008年4月10日
- ^ Valencia win Copa del Rey FIFA.com、2008年4月16日
- ^ “Goals from Romelu Lukaku and Christian Eriksen saw Inter Milan beat Getafe to reach the Europa League quarter-finals.”. BBCスポーツ. 2020年8月5日閲覧。
- ^ “アヤックスがEL32強敗退…指揮官は相手のラフプレー乱発に不満「正常なプレーは難しい」”. Goal. 2020年2月28日閲覧。
- ^ “El 'scouting' de Míchel a la plantilla del Getafe” (スペイン語). マルカ (2021年5月27日). 2021年5月27日閲覧。
- ^ “Getafe CF - Temporada 2021/2022”. 2022年1月29日閲覧。
外部リンク
[編集]公式サイト
[編集]公式SNS
[編集]- ヘタフェCF (@GetafeCF) - X(旧Twitter)
- ヘタフェCF (@getafecf) - Instagram
- ヘタフェCF (GetafeCF) - Facebook
- ヘタフェCF (@getafecf) - TikTok
- ヘタフェCF - YouTubeチャンネル
サポータークラブ
[編集]公式ファンサイト
[編集]