ジェリー・ペイトン
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2012年のペイトン | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ジェラルド・ジョセフ・ペイトン Gerald Joseph Peyton | |||||
ラテン文字 | Gerry Peyton | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アイルランド | |||||
生年月日 | 1956年5月20日(68歳) | |||||
出身地 | イングランド バーミンガム | |||||
身長 | 188cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
ユース | ||||||
1974-1975 | アザーストーン・タウン | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1975-1977 | バーンリー | 30 | (0) | |||
1977-1986 | フラム | 345 | (0) | |||
1984 | → サウスエンド・ユナイテッド (loan) | 10 | (0) | |||
1986-1991 | ボーンマス | 202 | (0) | |||
1991-1993 | エヴァートン | 0 | (0) | |||
1991-1992 | → ボルトン・ワンダラーズ (loan) | 1 | (0) | |||
1992 | → ノリッジ (loan) | 0 | (0) | |||
1992 | → ブレントフォード (loan) | 19 | (0) | |||
1993 | → チェルシー (loan) | 1 | (0) | |||
1993-1994 | ウェストハム・ユナイテッド | 0 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1977-1992 | アイルランド | 33 | (0) | |||
1983 | U-21アイルランド | 2 | (0) | |||
1992 | アイルランドB | 1 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1995-1997 | ジュビロ磐田(GKコーチ) | |||||
1997-1998 | ヴィッセル神戸(GKコーチ) | |||||
1998-2000 | AIK(GKコーチ) | |||||
2001-2003 | フラム(GKコーチ) | |||||
2003-2018 | アーセナル(GKコーチ) | |||||
2018-2019 | 清水エスパルス(コーチ) | |||||
2020-2021 | オディシャ(コーチ) | |||||
2021 | オディシャ(暫定) | |||||
2021-2022 | 相生学院高等学校 | |||||
2023 | 横浜FC (セットプレーコーチ兼アナリスト) | |||||
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ジェリー・ペイトン(Gerald Joseph "Gerry" Peyton, 1956年5月20日 - )は、アイルランドの元同国代表サッカー選手。ポジションはGK。
経歴
[編集]選手歴
[編集]イングランド・バーミンガムにて生まれる。1976年7月にバーンリーFCでプロデビューを果たし、翌年10月にフラムFCに移籍。1981-82シーズンにフットボールリーグ・サードディビジョン(現在のEFLリーグ2)のPFA年間ベストイレブンを受賞する[1]。1984年にはサウスエンド・ユナイテッドFCに短期ローンを経験している。その後フラムに復帰し、1986年まで在籍した。
1986年、AFCボーンマスに移籍。1986-87シーズンにサードディビジョンで優勝を果たし、再びFA年間ベストイレブンを受賞[2]。
1991年、エヴァートンFCに移籍するが、短期ローンでボルトン・ワンダラーズFC、ノリッジ・シティFC、ブレントフォードFC、チェルシーFCを渡り歩くこととなった。1993年夏にウェストハム・ユナイテッドFCに移籍して1シーズン過ごした後に引退。プロ選手としてイングランドのリーグで通算600試合以上に出場した。
代表歴
[編集]アイルランド代表で公式戦33試合に出場した。出場機会はなかったもののUEFA欧州選手権1988および1990 FIFAワールドカップに代表の一員としてベンチ入りしている[3][4]。
指導者歴
[編集]選手引退後は指導者に転身し、主にゴールキーパーコーチを務めてきた。日本のジュビロ磐田とヴィッセル神戸でそれぞれ1995年から1997年、1997年から1998年にかけてゴールキーパーコーチを務め、1998年から2シーズンスウェーデンのAIKソルナでゴールキーパーコーチを務めた。2001年から2シーズン古巣のフラムFCでジャン・ティガナ監督の下でゴールキーパーコーチを務め、エトヴィン・ファン・デル・サールらを指導した。
2003年からはアーセナルFCのゴールキーパーコーチとしてアーセン・ベンゲル監督の下でイェンス・レーマン、ウカシュ・ファビアンスキ、ヴォイチェフ・シュチェスニー、エミリアーノ・マルティネスらを指導してきた[5]。
2018年7月14日、清水エスパルスのコーチに就任[6]。2019年5月15日にゴールキーパーコーチに配置転換され[7]、同年6月23日に双方合意の上で契約解除となった[8]。
2020年6月、インディアン・スーパーリーグのオディシャFCのアシスタントコーチに就任し、スチュアート・バクスター監督を補佐することとなった[9]。2021年2月にバクスターが解任されてペイトンが暫定監督を務めた[10]。
2021年6月1日、カマタマーレ讃岐監督に就任したゼムノビッチ・ズドラブコの後任として相生学院高等学校サッカー部監督に就任[11][5]。
2023シーズンより横浜FCのセットプレーコーチ兼アナリストに就任。[12]
脚注
[編集]- ^ Lynch. The Official P.F.A. Footballers Heroes. p. 144
- ^ Lynch. The Official P.F.A. Footballers Heroes. p. 146
- ^ “Where are they now? Ireland's Euro '88 squad”. The 42 (2016年6月4日). 2021年6月20日閲覧。
- ^ Daniel McDonnell (2015年6月8日). “The Heroes of Italia 90 - Where are they now?”. Independent.ie. 2021年6月20日閲覧。
- ^ a b 加部究 (2021年6月19日). “なぜアーセナルで世界トップクラスのGKを育てたアイルランド人指導者は、日本の高校で監督を引き受けたのか?”. サッカーダイジェスト. 2021年6月20日閲覧。
- ^ 『ジェリー ペイトン コーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)清水エスパルス、2018年7月14日 。2021年6月20日閲覧。
- ^ 『ジェリー ペイトン ゴールキーパーコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)清水エスパルス、2019年5月15日 。2021年6月20日閲覧。
- ^ 『ジェリー ペイトンGKコーチ 契約解除のお知らせ』(プレスリリース)清水エスパルス、2019年6月23日 。2021年6月20日閲覧。
- ^ “ISL: Odisha FC signs Gerry Peyton as assistant coach”. SPORTSTAR (2020年6月26日). 2021年6月20日閲覧。
- ^ “IISL 2020-21: Odisha appoint Gerald Peyton as interim coach”. ESPN (2021年2月4日). 2021年6月20日閲覧。
- ^ 『ジェリーペイトン 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)相生学院高等学校、2021年6月1日 。2021年6月20日閲覧。
- ^ ジェリー ペイトン氏 セットプレーコーチ兼アナリスト就任のお知らせ 横浜FC 2022年12月30日