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ジェリー・ローリングス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェリー・ローリングス
Jerry Rawlings

ジェリー・ローリングス(2019年撮影)

任期 1993年1月7日2001年1月7日
副大統領 カウ・ンケンセン・アルカー英語版
ジョン・アッタ・ミルズ

任期 1981年12月31日1993年1月7日

任期 1979年6月4日1979年9月24日

出生 (1947-06-22) 1947年6月22日
英領ゴールド・コーストアクラ
死去 (2020-11-12) 2020年11月12日(73歳没)
ガーナの旗 ガーナアクラ
政党 国民民主会議

ジェリー・ジョン・ローリングス英語: Jerry John Rawlings1947年6月22日 - 2020年11月12日)は、ガーナ共和国第8代および第10代国家元首、第4共和政の初代大統領。アクラ出身。

プロフィール

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ガーナ空軍大尉だった1979年に軍事クーデターフレッド・アクフォ英語版軍事政権を打倒し、軍事革命評議会(AFRC)議長に就任[1]。第8代国家元首となったもののすぐに民政移管をおこない、ヒラ・リマン英語版大統領に政権を移譲する。しかし、リマン政権は機能不全を起こし、経済の停滞が続いたため、1981年に2度目のクーデターを起こし、今度は長期軍事政権を布いた。

ローリングスは、当初社会主義を志向したものの、やがて1983年以降構造調整を実施し、ガーナ経済は年率5%程度の安定成長を遂げるようになり、これによって政情も安定した。

1992年民主化を実施し、複数政党制を導入。大統領選挙では政情の安定及び経済発展を評価され、第4共和政の初代大統領に就任[2]1996年の選挙でも大勝するも、憲法の三選禁止の規定により、2000年の大統領選挙には出馬しなかった。

2020年11月12日に首都アクラの病院で73歳で死去[3]

政権運営と政治姿勢

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ローリングスは大統領に在任中『民衆がエリートに押しつぶされたなら、軍隊は民衆に自由を与えるべきだ』と述べていた。彼の政治的立場は、軍部出身でありながらエリート階級構造、政府高官らの汚職や腐敗を批判するポピュリズム、大衆迎合的な物であったとされる。また、白い服を着用し、大柄な体格顎髭サングラス姿で住民と話し合うその様は「よく響く太い声でクマのような大男」とさえ呼ばれ、その親しみやすさから現在でもガーナの現代史に深い影響を与えている。ローリングスのそういった姿勢は、ブルキナファソの革命家トーマス・サンカラギニア暫定大統領であるママディ・ドゥンブヤにも影響を与えた。

在任中にはクワメ・エンクルマが推進した反帝国主義的な外交政策を行い、かつ反米的な物であった。内政面でも、当初は左派的な政策を実施したが、1983年以降は構造調整やIMFからの借款で経済を建て直した。

脚注

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  1. ^ 片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」叢文社 2005年 ISBN 4-7947-0523-9 239ページ
  2. ^ 高根務『ガーナ 混乱と希望の国』p.121, アジア経済研究所、2003年11月7日 ISBN 978-4258051045
  3. ^ “Jerry Rawlings: Ghana's ex-president dies aged 73”. BBC News. BBC. (2020年11月12日). https://www.bbc.com/news/world-africa-54916096 2020年11月13日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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公職
先代
(第四共和政移行)
ガーナの旗 ガーナ共和国大統領
第四共和政初代:1993-2001
次代
ジョン・アジェクム・クフォー
先代
ヒラ・リマン英語版
ガーナの旗 ガーナ共和国国家元首
第10代:1981-1993
次代
(第四共和政で再選)
先代
フレッド・アクフォ英語版
ガーナの旗 ガーナ共和国国家元首
第8代:1979
次代
ヒラ・リマン英語版
外交職
先代
ニセフォール・ソグロ
西アフリカ諸国経済共同体議長
第16代:1994 - 1996
次代
サニ・アバチャ