ジェイムズ・ガスコイン=セシル (第2代ソールズベリー侯爵)
第2代ソールズベリー侯爵 ジェイムズ・ガスコイン=セシル James Gascoyne-Cecil 2nd Marquess of Salisbury | |
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生年月日 | 1791年4月17日 |
没年月日 | 1868年4月12日(76歳没) |
出身校 | オックスフォード大学クライスト・チャーチ |
所属政党 | (トーリー党→) 保守党 |
称号 |
ガーター勲章勲爵士 (KG) 枢密顧問官 (PC) |
配偶者 |
(1) フランセス・ガスコイン (2) メアリー・サックヴィル=ウェスト |
親族 |
初代ダウンシャー侯爵 (祖父) 第3代ソールズベリー侯爵 (子) 初代バルフォア伯爵 (孫) 第4代ソールズベリー侯爵 (孫) |
内閣 | 第1次ダービー内閣 |
在任期間 | 1852年2月27日 - 1852年12月17日 |
内閣 | 第2次ダービー内閣 |
在任期間 | 1858年2月26日 - 1859年6月11日 |
庶民院議員 | |
選挙区 |
ウェイマス=メルカム=レジス選挙区 ハートフォード選挙区 |
在任期間 |
1813年 - 1817年 1817年 - 1823年 |
第2代ソールズベリー侯爵ジェイムズ・ブラウンロウ・ウィリアム・ガスコイン=セシル(英: James Brownlow William Gascoyne-Cecil, 2nd Marquess of Salisbury, KG, PC、1791年4月17日 - 1868年4月12日)は、イギリスの貴族、政治家。
第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリーの内閣で王璽尚書や枢密院議長を務めた。ソールズベリー侯爵を相続する1823年までは、「クランボーン子爵」の儀礼称号で称されていた。
経歴
[編集]宮内長官(Lord Chamberlain; 王室侍従長)や郵政大臣(Postmaster General; 逓信公社総裁)を務めた初代ソールズベリー侯爵ジェイムズ・セシルの長男「ジェイムズ・ブラウンロウ・ウィリアム・セシル」として生まれる[1]。母親のエミリー・メアリー・ヒルは、初代ダウンシャー侯爵ウィルズ・ヒルの娘。
イートン・カレッジを経てオックスフォード大学クライスト・チャーチで教育を受け、1813年に修士号(M.A.)を取得[1]。
1813年から1817年までウェイマス・アンド・メルカム・レジス選挙区選出[1]の、1817年から襲爵により貴族院に移る1823年までハートフォード選挙区選出[1]の庶民院議員。第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリーが1852年に組閣した第1次内閣で王璽尚書[2]、1858年に組閣した第2次内閣で枢密院議長(Lord President of the Council)となる[3]。
また1826年に枢密顧問官に列せられ[1]、1842年にガーター勲章を授けられた[4]。
なお彼は、1841年より1868年までミドルセックス州の統監(Lord Lieutenant of Middlesex)も務めた[1]。
栄典
[編集]爵位
[編集]1823年6月13日の父ジェイムズ・セシルの死去により以下の爵位を継承した[1][5]
- 第2代ソールズベリー侯爵 (2nd Marquess of Salisbury)
- (1789年8月18日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
- 第8代ソールズベリー伯爵 (8th Earl of Salisbury)
- 第8代クランボーン子爵 (8th Viscount Cranborne)
- エッセンドンの第8代セシル男爵 (8th Baron Cecil of Essendon)
勲章
[編集]- 1842年、ガーター勲章(騎士団)ナイト(KG)[1][5]
家族
[編集]ソールズベリーは二回結婚した。1人目の妻フランセス・メアリー・ガスコイン(1802年1月25日 - 1839年10月15日)とは1821年2月2日に結婚した。同年3月22日には、勅許を得て「ガスコイン=セシル」へ改姓した[1]。彼女との間の子供に、爵位を相続したクランボーン子爵ロバート・アーサー・タルボット・ガスコイン=セシルや、ジェイムズ・メイトランド・バルフォアと結婚しアーサー・バルフォア(後に初代バルフォア伯爵)を生んだレディ・ブランチ・メアリー・ハリエット・ガスコイン=セシル(1825年 - 1872年5月16日)らがいる。
2人目の妻となったレディ・メアリー・キャサリン・サックヴィル=ウェスト(1824年7月23日 - 1900年12月6日)は第5代デ・ラ・ウォー伯爵ジョージ・サックヴィル=ウェストの娘で、1847年4月29日に結婚した。彼女との間の子供に、第10代ギャロウェイ伯爵アラン・ステュアートと結婚したレディ・メアリー・アラベラ・アーサー・ガスコイン=セシル(1850年4月26日 - 1903年8月18日)らがいる。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i Lundy, Darryl. “James Brownlow William Gascoyne-Cecil, 2nd Marquess of Salisbury” (英語). thepeerage.com. 2012年1月8日閲覧。
- ^ "No. 21296". The London Gazette (英語). 27 February 1852. p. 634.
- ^ "No. 22103". The London Gazette (英語). 26 February 1858. p. 1019.
- ^ "No. 20090". The London Gazette (英語). 12 April 1842. p. 1017.
- ^ a b Heraldic Media Limited. “Salisbury, Marquess of (GB, 1789)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年7月22日閲覧。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr James Cecil
- "ジェイムズ・ガスコイン=セシルの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
- ジェイムズ・ガスコイン=セシル - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会 | ||
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先代 サー・ジョン・マレー トマス・ウォレス ジョン・ブロードハースト ヘンリー・トレイル |
ウェイマス=メルカム=レジス選挙区 1813年–1817年 同一選挙区同時当選者 サー・ジョン・マレー マスタートン・ユーア クリストファー・アイドル |
次代 サー・ジョン・マレー マスタートン・ユーア クリストファー・アイドル アドルファス・ダルリンプル |
先代 エドワード・クーパー ニコルソン・カルバート |
ハートフォード選挙区選出庶民院議員 1817年–1823年 同一選挙区同時当選者 ニコルソン・カルバート |
次代 ニコルソン・カルバート トマス・バイロン |
公職 | ||
先代 第2代ミントー伯爵 |
王璽尚書 1852年 |
次代 第8代アーガイル公爵 |
先代 第2代グランヴィル伯爵 |
枢密院議長 1858年–1859年 |
次代 第2代グランヴィル伯爵 |
名誉職 | ||
先代 第4代ポートランド公爵 |
ミドルセックス統監 1841年–1868年 |
次代 第2代ウェリントン公爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ジェイムズ・セシル |
第2代ソールズベリー侯爵 1823年–1868年 |
次代 ロバート・ガスコイン=セシル |