コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ジェームズ・スミス・ブッシュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェームズ・スミス・ブッシュ

James Smith Bush
生誕 (1825-06-15) 1825年6月15日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ロチェスター
死没 (1889-11-11) 1889年11月11日(64歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州イサカ
別名 James Smith
配偶者 サラ・フリーマン
ハリエット・エレノア・フェイ
オバディア・ブッシュ英語版
ハリエット・スミス
家族 ブッシュ家
テンプレートを表示

ジェームズ・スミス・ブッシュ: Rev. James Smith Bush1825年6月15日 - 1889年11月11日)は、アメリカ合衆国弁護士米国聖公会司祭、宗教作家。ブッシュ家の一員で、第41代アメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュの曾祖父、第43代大統領ジョージ・W・ブッシュの高祖父にあたる。

略歴

[編集]

ロチェスターオバディア・ブッシュ英語版1797年 - 1851年)とハリエット・スミス(1800年 - 1867年)の息子として生まれた。

イェール大学

[編集]

1841年イェール大学に入学し(class of 1844)、以来イェール大学はブッシュ家の長い伝統になった。孫プレスコット・ブッシュ、曾孫ジョージ・H・W・ブッシュ[1]ウィリアム・H・T・ブッシュ、玄孫ジョージ・W・ブッシュ、来孫バーバラ・ピアース・ブッシュも同校の卒業生である。1883年Wolf's Headの設立を支持した300人余りのイェール卒業生、教職員の一人である。卒業後にロチェスターへ戻り、法律を学んで1847年に法曹界に入った。

最初の結婚

[編集]

1851年サラトガ・スプリングズ在住のサラ・フリーマンと結婚したが、18カ月後の出産中に死亡した。

その後、同地の聖公会教会のRectorと神学を学んだ。1855年助祭に叙階され、ニュージャージー州オレンジ英語版に新たに造られたグレイス教会の教区牧師となった。

再婚

[編集]

1859年2月24日、サミュエル・ハワードとスーザン(・シェルマン)・フェイの娘のハリエット・エレノア・フェイとニューヨーク市のトリニティ教会で結婚した。ハリエットはジョージア州サバンナ生まれである。父はイングランド生まれでアメリカに移民したジョン・フェイから6代目にあたる。1656年5月30日スピードウェル英語版号に乗りグレーブゼンドを出航、1656年6月27日に到着した[2]

子供

[編集]
  1. ジェームズ・フリーマン - ニュージャージー州エセックスで1860年6月15日生。
  2. サミュエル・プレスコット・ブッシュ - ニュージャージー州オレンジで1863年10月4日生。
    「サミュエル」は、ハリエット・フェイの祖父サミュエル・プレスコット・フィリップス・フェイの名にちなんで名付けられた。
  3. ハリエット・モンフォール - 1871年11月14日生。
  4. エレノア・ハワード - 1873年11月7日生。

経歴

[編集]

1865年から1866年にかけて、教会からサバティカルを与えられ[3]マゼラン海峡を通り、装甲艦モニター艦でジョン・ロジャーズ (en(ブッシュの教区民[3])と国際親善としてサンフランシスコへと旅をした。公式にはロジャーズの秘書としてであったが[4]、"活動的なチャプレン"と見なされ[3]、船上で活動し、モンテビデオで出会ったドイツ系アメリカ人ブレット・ハート英語版のため船上結婚式まで行っている [5]。偶然にも、ロジャーズによる調停が失敗した後、艦隊はチンチャ諸島戦争スペイン語版英語版におけるスペイン海軍によるバルパライソ砲撃英語版を目撃した。[3]

1867年から1872年にかけて、サンフランシスコのグレース大聖堂に招かれたが、家族のこともあり、わずか5年しかいなかった。発明家ハニバル・グッドウィン英語版と共にいたことは The Californianマーク・トウェインの週刊コラムで風刺された[6]

1872年にウェストブライトン英語版で昇天教会からの電話を受け取った。1884年、教会のラッフル (Raffleをめぐる紛争(金時計は競売にかけられ、彼はこれを賭博と見なした[7])の中、辞任した[8]

1883年、同僚R. ヒーバー・ニュートン英語版Uses of the Bible に対応して、説話集 More Words About the Bible を出版した。1885年に出版した Evidence of FaithThe Literary Worldにより "clear, simple, and unpretending" と評価され、神に対しての超自然現象を要約したものであった[9] According to the same journal, both works fit into the broad church movement.[10] The Boston Advertiser called the latter work "the best statement of untrammeled spiritual thought" among recent books.[11]

その後、ブッシュはコンコードへ引退し、1888年に完全に米国聖公会を離れ、ユニテリアン主義となった。このストレスが、後の人生において健康に悪影響を及ぼした。イサカに引っ越した後、1889年に落ち葉をかき集めている最中に突然死した。

著作

[編集]

説話集

[編集]
  • The Atonement. A sermon, preached before the convention of the Diocese of New Jersey, on Wednesday, the 27th day of May, A.D. 1863. (1863). OCLC 31430725 
  • Death of president Lincoln. A sermon, preached in Grace Church, Orange, N.J., Easter, April 16, 1865. (1865). OCLC 21467720. https://archive.org/details/deathofpresident00bush 
  • Building on Christ: a sermon preached at the opening of St. Paul's Church, San Rafael, October 10th, 1869. (1869). OCLC 1022229 

[編集]

参考文献

[編集]
  1. ^ http://www.yaledailynews.com/crosscampus/2010/06/25/prescott-s-bush-jr-44-dies-87/, retrieved 6/27/10
  2. ^ Vital Records of Southborough, Massachusetts, To the End of the Year 1849. Worcester, Massachusetts: Published by Franklin P. Rice, 1903.
  3. ^ a b c d Charles Edgar Clark (1917). My Fifty Years in the Navy. Little, Brown and Company. https://books.google.co.jp/books?id=riRCAAAAIAAJ&pg=PA129&dq=pacific+monadnock+vanderbilt&redir_esc=y&hl=ja#PPA145,M1 
  4. ^ “For the Pacific Coast: Departure of the Vanderbilt and the Monadnock”. ニューヨーク・タイムズ. (October 25, 1865). http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9503E3DC133EEE34BC4D51DFB667838E679FDE 2008年1月6日閲覧。 
  5. ^ ブレット・ハート英語版. The Cruise of the "Monadnock". https://books.google.co.jp/books?id=5PUAAAAAYAAJ&pg=PA17&dq=pacific+monadnock+vanderbilt&redir_esc=y&hl=ja#PPA366,M1 
  6. ^ Years of Grace, Part I: Chapel to "Cathedral" - gracecathedral.org - Retrieved January 8, 2007 Archived 2002年10月6日, at the Wayback Machine.
  7. ^ “Resigned Because of a Raffle”. ニューヨーク・タイムズ. (December 30, 1883). http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9402E7DB1538E033A25753C3A9649D94629FD7CF 2008年1月6日閲覧. "The Rev. James S. Bush has resigned as Pastor of the Church of the Ascension, at West Brighton. A short time ago a fair was held in the church, when a gold watch was put up for chances and won by Erastus Brooks. The Rev. Mr. Bush was opposed to the raffle, which he considered gambling. There was considerable feeling in the church on account of the Pastor's wishes not being respected." 
  8. ^ “A Pastor Chides His Flock; The Rev. Mr. Bush's Farewell Sermon at West Brighton”. ニューヨーク・タイムズ. (January 28, 1884). http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9E02E0D61538E033A2575BC2A9679C94659FD7CF 2008年1月6日閲覧. "Peace now prevails in the Church of the Ascension at West Brighton, Staten Island, and raffles and such things may hold sway without let or hindrance. The Rector, the Rev. James S. Bush, who opposed the employing of games of chance to raise money for the church, has severed ..." 
  9. ^ The Evidence of Faith. (1885). https://books.google.co.jp/books?id=ykoDAAAAYAAJ&pg=PA59&dq=james.s.bush+evidence+of+faith&redir_esc=y&hl=ja#PPA59,M1 
  10. ^ News and Notes. (1889). https://books.google.co.jp/books?id=aSs-AAAAMAAJ&pg=PA487&dq=james.s.bush+broad&ie=ISO-8859-1&redir_esc=y&hl=ja 
  11. ^ Books of Religion (advertising). Houghton Mifflin. (1891). https://books.google.co.jp/books?id=HzU3AAAAMAAJ&pg=RA1-PA6&dq=evidence.of.faith+james.s.bush&ie=ISO-8859-1&redir_esc=y&hl=ja#PRA1-PA7,M1  As quoted by publisher.

外部リンク

[編集]