ジオ・ポンティ
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ジオ・ポンティ(Gio Ponti, 1891年11月11日 - 1979年9月16日)は、イタリアの建築家、インダストリアルデザイナー、家具デザイナー。建築・デザイン雑誌『Domus』を創刊したことでも知られる[1]。ジオは通称で、本名はジョヴァンニ(Giovanni)[2]。
1891年、ミラノに父エンリコ・ポンティと母ジョヴァンナ・リゴーネの間に生まれる。1921年、ミラノ工科大学建築学部を卒業し、ミラノにて他の建築家と共同で事務所を立ち上げる。1923年から1930年にかけ、イタリアの陶磁器メーカー、リチャード・ジノリでアートディレクターを務めた。1928年には雑誌ドムスを創刊し、初代編集長を務めた。1961年から1963年にかけ、ミラノ工科大学建築学部教授を務める。
代表作に1951年発表の椅子スーペルレッジェーラ、ミラノのピレリ・ビル(構造家、ピエール・ルイージ・ネルヴィと共同)、デンバー美術館北館(1971年、アメリカ合衆国・コロラド州)などがある。
1979年9月15日、ミラノ市内の自宅にて死去。87歳[3]。
手掛けた建築物等
[編集]- ピレリ・ビル(ミラノ市)
- スカラ座内装(ミラノ市)
- アンドレ・アドリア号内装(豪華客船)
脚注
[編集]- ^ “20世紀西洋人名事典の解説”. コトバンク. 2018年12月16日閲覧。
- ^ “Pónti, Giovanni nell'Enciclopedia Treccani”. Istituto della Enciclopedia Italiana fondata da Giovanni Treccani S.p.A.. 2022年3月26日閲覧。
- ^ 訃報欄 ジオ・ポンチ氏(イタリアの建築・設計家)『朝日新聞』1979年(昭和54年)9月18日朝刊 13版 23面