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ジギスムント・フランツ・フォン・エスターライヒ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジギスムント・フランツ
Sigismund Franz
オーストリア大公

出生 (1630-11-27) 1630年11月27日
死去 (1665-06-25) 1665年6月25日(34歳没)
配偶者 ヘートヴィヒ・フォン・プファルツ=ズルツバッハ
父親 オーストリア大公レオポルト5世
母親 クラウディア・デ・メディチ
役職 グルク司教
トレント司教
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ジギスムント(またはジークムント・フランツ・フォン・エスターライヒ=ティロル(Sigismund(Sigmund) Franz von Österreich-Tirol, 1630年11月27日 - 1665年6月25日)は、オーストリア大公(前方オーストリア大公)。前方オーストリア(Vorderösterreich)とチロルを治めた。大公レオポルト5世クラウディア・デ・メディチの次男。

生涯

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グルク教区ケルンテン)の司教トレントの司教領主となっていたが、1662年に死去した兄フェルディナント・カール大公に男子がなかったため、その後継者となった。1665年7月3日にプファルツ=ズルツバッハクリスティアン・アウグストの娘ヘートヴィヒと代理結婚式を挙げるが、その3週間後に花嫁と対面しないまま病死した。

ジギスムント・フランツが子供のないまま死去したことにより、オーストリア・ハプスブルク家の分家でレオポルト5世以来続いていた前方オーストリア大公の家系(ハプスブルク=ティロル家)は断絶し、所領は姪クラウディア・フェリーツィタスの夫でもある神聖ローマ皇帝レオポルト1世が相続した。

爵位・家督
先代
フェルディナント・カール
前方オーストリア大公
1662年 - 1665年
次代
レオポルト1世
爵位・家督
先代
フェルディナント・カール
チロル伯
1662年 - 1665年
次代
レオポルト1世