ジャカルタ日本人学校
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ジャカルタ日本人学校 | |
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過去の名称 | 日本国大使館付属ジャカルタ日本人学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | ジャカルタ日本人学校維持会 |
設立年月日 | 1968年11月21日 |
学期 | 3学期制 |
所在地 |
インドネシア JL.ELANG BINTARO JAYA SEKTOR 9 PERIGI LAMA, TANGERANG, INDONESIA座標: 南緯6度16分59.7秒 東経106度41分53.2秒 / 南緯6.283250度 東経106.698111度 |
公式サイト | 公式サイト |
ジャカルタ日本人学校(正式:日本国大使館付属ジャカルタ日本人学校 英語:Jakarta Japanese School)はインドネシアの首都ジャカルタの郊外にある[注 1]、在インドネシア日本人のための初等、中等(中学校)教育を行う日本人学校。略称はJJS。校歌は、中村保が作詞し、松田敏江が作曲を手掛けた「椰子の葉陰に」
沿革
[編集]- 1968年 日本語補習学校開校
- 1969年 TEBET UTARAにて日本国大使館付属ジャカルタ日本人学校として開校(在籍児童11名)
- 1970年 文集「みなみ十字」第1号完成
- 1970年 第1回卒業式(小学部男子1名、女子1名)
- 1970年 中学部併設
- 1971年 幼稚部入園式
- 1972年 小中学部がPASAR MINGGUの新校舎へ移転
- 1975年 校歌・校章の制定、幼稚部がPASAR MINGGUへ移転
- 1978年 新校舎へ移転
- 1979年 インドネシア共和国における国際学校として認可
- 1996年 小中学部がBINTARO JAYAの新校舎へ移転
- 1997年 文部省より3年間の「国際教育・文化交流推進校」の指定
- 2000年 文部省より海外子女教育研究「特殊教育の推進」の指定
- 2003年 文部科学省より3年間「国際教育・文化交流推進校」の指定
- 2006年 幼稚部がBINTARO JAYAの新校舎に移転
著名な出身者・関係者
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 現在の所在地BINTARO JAYAは、ジャカルタ特別州ではなく、それに隣接するタンゲラン県にある。
出典
[編集]- ^ “サイサイがイで初ライブ 梅村さん「特別な場所」”. じゃかるた新聞. PT. BINA KOMUNIKA ASIATAMA (2015年8月12日). 2020年12月21日閲覧。
- ^ 梅村妃奈子 (2016年9月8日). “#🇹🇭🛫🛬🇮🇩”. ひなんちゅ(SILENT SIREN) 公式ブログ - LINE BLOG. 2020年12月21日閲覧。
参考文献
[編集]Available online:
- "14年ぶり1000人超 ジャカルタ日本人学校の在校生数 上海、バンコク、シンガポール、香港に続く アジア地域で増加顕著 (2012年08月31日)" (Archive). じゃかるた新聞 (The Daily Jakarta Shimbun).
- "251人、笑顔で新たに挑戦 在校生数、過去最高に JJSが入学式 (2014年04月15日)" (Archive). じゃかるた新聞.
- "黄組が連覇 1組増え5組で熱戦 ジャカルタ日本人学校体育祭 (2013年06月17日)" (Archive). じゃかるた新聞.
- 桐生 直 (前ジャカルタ日本人学校 校長; 群馬県前橋市立第五中学校 校長). "ジャカルタ日本人学校における実践と課題 ― 安全対策の事例を通して" (Archive). 東京学芸大学.
Available offline:
- 水野 豊生. "(アジアの派遣研修員報告・インドネシア)平穏さを取り戻しつつあるジャカルタ日本人学校." Asia-Oceania report (アジア・オセアニア情報) (71), 29-33, 1999-10. 大和銀総合研究所アジア・オセアニア研究部. See profile at CiNii.
- 石井 光信. "危機に遭遇したジャカルタ日本人学校--休校から再開までの4週間 (特集 インドネシア暴動に見る危機対応)." 日外協マンスリ- (209), 19-23, 1998-09. 日本在外企業協会. See profile at CiNii.
- 波多野 哲次. "解説:新しいアジアの建築を目指して2 (ジャカルタ日本人学校 波多野哲次/パシフィックコンサルタンツインターナショナル)." 新建築 72(4), 224-226, 1997-04. 新建築社. See profile at CiNii.
- "ジャカルタ日本人学校 波多野哲次/パシフィックコンサルタンツインターナショナル." 新建築 72(4), 220-226, 1997-04. 新建築社. See profile at CiNii.