ジャスティン・ウィットロック・ダート・シニア

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ジャスティン・ウィットロック・ダート・シニア
生誕 (1907-08-17) 1907年8月17日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国アメリカ合衆国イリノイ州エバンストン
死没 (1984-01-26) 1984年1月26日(76歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
出身校 ノースウェスタン大学
職業

社長(ダート産業)

支社長(ウォルグリーン社
雇用者

ダート産業(1941-1980)

ウォルグリーン社(1930-1940)
配偶者

ジェーン・ブライアン・ダート(1940-1984)

ルース・ウォルグリーン・ダート・スティーブン(1929-1939)
子供 5人(ジャスティン・ダート・ジュニアを含む)

ガイ・ウィットロック・ダート[1]

ローラ・ケース・ウィットロック・ダート[1]
受賞 大統領自由勲章
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ジャスティン・ウィットロック・ダート・シニア(Justin Whitlock Dart Sr. 1907年8月17日-1984年1月26日)はアメリカ合衆国の実業家。薬局業界の俊英として知られる。ロナルド・レーガンと親交があり、レーガン大統領政権下では非公式の政治顧問団にも所属した。

生涯[編集]

1907年8月17日イリノイ州エバンストンに生まれる。ペンシルベニアのマーサーズバーグアカデミーで予備校時代を過ごす。ノースウェスタン大学でフットボールを始め、二度オール・ビッグ・テン・カンファレンスのメンバーに選ばれた。

大学卒業後、1929年にルース・ウォルグリーンと結婚。義理の父にあたるチャールズ・ウォルグリーンが所有するウォルグリーン薬局チェーンの経営に携わる。ウォルグリーン社に勤めていた時に、薬局において調剤窓口を導入した。そうすることで客の医療に対する関心のプライバシーを守り、購入可能な他の薬を諦めさせる効果があった。

1939年ルース・ウォルグリーンと離婚し、まもなくウォルグリーン社を辞める。

1940年に元映画女優であるジェーン・ブライアンと結婚。レーガンとの共演経験をもつジェーンを通じてレーガンに出会う。

1943年、ボストンを拠点とするユナイテッド・ドラッグ組合を導く立場となる。組合はリゲット、オウル、ソンタ、レキソールの商標名で運営された。まもなくダートはレキソールの名の下で新たに店を開く。数年のうちにダートはエイボン・プロダクツウェストベンドハウスウェアデュラセル、ラルフウィルソンプラスチック、アーチャーグラス、ホバート社などの株を所有するようになった。それらは総称してダート社と呼ばれた。

1978年、ダートは自身の持ち株をレキソールに売却した。それからほどなくダートは「仕事を終える時、生も終えたい」と言葉を残したと知られる。

1980年、ダートはダート社をクラフトフーズに売却。ダート社は徐々にクラフトフーズに合併された。

ロナルド・レーガンとの関係[編集]

1940年にダートは元映画女優であるジェーン・ブライアンと結婚。レーガンとの共演経験をもつジェーンを通じてレーガンに出会う。

1976年レーガンが共和党の大統領候補になれなかった際、フォードの副大統領となることを勧めるなど、ダートは彼の相談役でもあった。

1981年レーガンが大統領に就任したのち、ダートは非正規顧問団に所属した。同年ダートはレーガンの税・予算削減案を成立させるため、ロビイストとして90の街を回り、6週間で80万ドルを集めた。

1982年にはレーガンによってコムサット(通信衛星の国策会社)の理事に任命された。ダートは生涯を通じてレーガンの友人であり支持者であった。

死去[編集]

1984年うっ血性心不全で死去。享年76歳

受賞歴[編集]

1987年大統領自由勲章を授与された。[2]

家族構成[編集]

ダートは一人目の妻ルース・ウォルグリーンとの間に二人の子をもうける。

二人目の妻で元女優であるジェーン・ブライアンと1939年12月31日に結婚した。1984年のダートの死まで連れ添う。二人には3人の子供がいた。

一度目の結婚で生まれた子の一人がジャスティン・ダート・ジュニアである。ダート・ジュニアは障害を持つ人の権利を求め戦った活動家であり、1989年にブッシュ・シニアより障害者雇用委員会に任命された。また1990年の障害を持つアメリカ人法(ADA)の成立にも尽力した。2002年ポリオによる合併症が原因で死去。

出典[編集]

  1. ^ a b Justin Dart”. NNDB tracking the entire world. NNDB. 2020年7月28日閲覧。
  2. ^ Recipients of the Presidential Medal of Freedom, 1981-1989” [大統領自由勲章受賞者(1981-1989)]. Ronald Reagan Presidential Library & Museum. 2020年8月17日閲覧。

参考文献[編集]