ジャッキー・ファーゴ
ジャッキー・ファーゴ | |
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1961年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
ジャッキー・ファーゴ ワイルドマン・ファーゴ ディック・ビショップ |
本名 | ヘンリー・ファガート |
ニックネーム |
ザ・ファビュラス・ワン 南部の伝説 |
身長 | 180cm |
体重 | 110kg - 114kg |
誕生日 | 1928年5月17日 |
死亡日 | 2013年6月24日(85歳没)[1] |
出身地 |
アメリカ合衆国 ノースカロライナ州 カバラス郡コンコード |
ジャッキー・ファーゴ(Jackie Fargo、本名:Henry Faggart、1928年5月17日 - 2013年6月24日[1])は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ノースカロライナ州コンコード出身。
ゴージャス・ジョージやバディ・ロジャースの影響下にある金髪の伊達男キャラクターとして、テネシーを主戦場に絶大な人気を獲得した[2]。ジェリー・ローラーに先駆ける「元祖・テネシーの帝王」であり[2]、"Southern Legend" の異名を持つ。
来歴
[編集]1950年代前半にデビューした後、ギミック上の兄弟であるドン・ファーゴ(ドン・スティーブンス)とのタッグチーム、ファビュラス・ファーゴ・ブラザーズ(The Fabulous Fargo Brothers)で活動[3]。ヒールの金髪コンビとして、1957年3月30日にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてアントニオ・ロッカ&ミゲル・ペレスと世界タッグ王座を争った[4]。その後もテネシーをはじめジョージアやシカゴなど各地区に参戦し、ジョージアでは1958年8月にスタン・リソワスキー&レジー・リソワスキーから世界タッグ王座を奪取した[1]。
ドンとのコンビを解消後、1961年5月30日にボストン地区でベアキャット・ライトからAAC世界ヘビー級王座を奪取[5]。6月3日にはテネシー州チャタヌーガにてパット・オコーナーのNWA世界ヘビー級王座に挑戦した[6]。以降、ベビーフェイスに転じてニック・グラスの主宰するテネシーのNWAミッドアメリカ地区に定着し、1960年代全般に渡り同地区のスターとして活躍。1965年12月から1966年2月にかけては、当時アメリカ武者修行中だったカンジ・イノキことアントニオ猪木とも度々対戦しており、ヘイスタック・カルホーンをパートナーに猪木&ヒロ・マツダとのタッグマッチも行われた[2]。1967年上期にはトージョー・ヤマモト&プロフェッサー・イトーとミッドアメリカ版のNWA世界タッグ王座を争い[7]、1968年8月にはルー・テーズと組んで南部タッグ王座を獲得している[8]。
1970年8月、日本プロレスに初来日。初戦では星野勘太郎を70秒で下し、テネシーで胸を貸した猪木とのシングルマッチも行われた[2]。同じく初来日のアブドーラ・ザ・ブッチャーの活躍に食われ、日本ではインパクトを残すことはできなかったものの[2]、円熟期に入った1970年代もテネシーのヒーローとなって活躍。ザ・シークなど他地区からスポット参戦してくる大物ヒールも迎撃した[9]。1974年には若手ヒール時代のジェリー・ローラーを相手に南部ジュニアヘビー級王座を巡る抗争を展開[10]、以降もローラーとは遺恨試合を繰り広げた。
1977年、NWAミッドアメリカの番頭格だったジェリー・ジャレットがローラーをエースにメンフィスにて新団体CWAを設立すると、1979年よりファーゴもCWAに移籍。フェイスターンしたローラーと新旧の帝王コンビを組み、オースチン・アイドル&ダッチ・マンテルやブロンド・ボンバーズ(ラリー・レイザム&ウェイン・ファリス)などのチームと対戦した。同年11月にはCWAに登場したニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級王座に連続挑戦[11]。翌1980年6月には息子のランディ・ファーゴをパートナーに、ジプシー・ジョー&スカル・マーフィーからAWA南部タッグ王座を奪取した[12]。その後はセミリタイアし、彼のニックネーム "The Fabulous One" をチーム名としたスティーブ・カーン&スタン・レーンのファビュラス・ワンズのマネージャー役などを担当。悪党マネージャーのジミー・ハートとも抗争し、1982年11月8日にはハートとのランバージャック・マッチが行われた[4]。
1984年の引退後は、1991年にCWAの後継団体USWAに登場[4]。1995年には、ジョー・ルダック、フィル・ヒッカーソン、エディ・ギルバートらと共に "Memphis Wrestling Hall of Fame" に迎えられている。2000年代前半には、盟友のジェリー・ジャレットが創設したTNAの興行に顔を見せた[1]。
2013年6月24日死去(85歳没)[13]。同年、NWA殿堂に迎えられた[14]。
得意技
[編集]獲得タイトル
[編集]- NWA南部ジュニアヘビー級王座:5回[10]
- NWAミッドアメリカ・ヘビー級王座:3回[15]
- NWAミッドアメリカ・タッグ王座:5回(w / トージョー・ヤマモト×2、ジョージ・グラス×3)[16]
- NWA世界タッグ王座(ミッドアメリカ版):15回(w / ドン・ファーゴ×9、ジョー・ファーゴ、マリオ・ミラノ、レン・ロッシー、ハーブ・ウェルチ、ロバート・フラー、ジェリー・ジャレット)[7]
- NWA南部タッグ王座(ミッドアメリカ版)/ AWA南部タッグ王座:22回(w / ドン・ファーゴ×2、レスター・ウェルチ×3、テックス・ライリー、マリオ・ミラノ×2、ソニー・ファーゴ×3、レン・ロッシー×2、ルー・テーズ、デニス・ホール、ジェリー・ジャレット×4、ドン・グリーン、ランディ・ファーゴ)[8]
- アトランティック・アスレティック・コミッション
- AAC世界ヘビー級王座:1回[5]
- NWAシカゴ
脚注
[編集]- ^ a b c d “Jackie Fargo”. Online World of Wrestling. 2014年2月16日閲覧。
- ^ a b c d e 『Gスピリッツ Vol.19』P65-75「カンジ・イノキのアメリカ武者修行 第4回 略奪事件直前の『空白』」(2011年、辰巳出版、ISBN 9784777808922)
- ^ “The Fargo Brothers”. Online World of Wrestling. 2011年9月7日閲覧。
- ^ a b c “Jackie Fargo”. Cagematch.net. 2011年9月7日閲覧。
- ^ a b “AAC/BTW World Heavyweight Title [Massachusetts]”. Wrestling-Titles.com. 2015年8月11日閲覧。
- ^ “The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1961”. Wrestling-Titles.com. 2011年9月7日閲覧。
- ^ a b “NWA World Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2011年9月7日閲覧。
- ^ a b “NWA Southern Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2011年9月7日閲覧。
- ^ “Memphis/CWA #36 Page #2”. Kayfabe Memories.com. 2011年9月7日閲覧。
- ^ a b “NWA Southern Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年9月7日閲覧。
- ^ “The USWA matches fought by Jackie Fargo in 1979”. Wrestlingdata.com. 2014年7月9日閲覧。
- ^ “AWA Southern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年9月7日閲覧。
- ^ “Jackie Fargo Passes Away At Age 85”. eWrestling News. 2013年6月24日閲覧。
- ^ a b “National Wrestling Alliance Hall of Fame”. Wrestling-Titles.com. 2016年4月16日閲覧。
- ^ “NWA Mid-America Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年9月7日閲覧。
- ^ “NWA Mid-America Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年9月7日閲覧。
- ^ “NWA World Tag Team Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2016年4月16日閲覧。
- ^ “NWA World Tag Team Title [Illinois & Wisconsin]”. Wrestling-Titles.com. 2016年4月16日閲覧。
- ^ “NWA Southern Tag Team Title [Gulf Coast]”. Wrestling-Titles.com. 2016年4月16日閲覧。