ジャック・ブランシャール
表示
ジャック・ブランシャール Jacques Blanchard | |
---|---|
Gérard Edelinckによる肖像版画 | |
生誕 |
1600年10月1日 パリ |
死没 |
1638年11月10日 パリ |
ジャック・ブランシャール(Jacques Blanchard、姓はBlanchartとも、1600年10月1日[1] - 1638年11月10日)は、フランスの画家である。ローマやヴェネツィアで修行し、1636年にパリで宮廷画家になった。
略歴
[編集]パリで生まれた。父親はリヨンの出身で、母親は画家のジェローム・ボレリ(Jérôme Baullery)の娘で[2]、叔父に画家のニコラ・ボレリ(Nicolas Baullery)がいる[3]。兄のジャン・バティスト・ブランシャール(Jean-Baptiste Blanchard: 1595-1665)も画家、版画家になった。
兄とともに叔父のニコラ・ボレリの弟子になった。1620年から、リヨンの画家、オラス・ルブラン(Horace Le Blanc)の工房で働いた後、1624年、兄とともにローマに移った。1626年からヴェネツィアで修行し、ヴェネツィア派の色彩に重点を置くスタイルを学び、16世紀ヴェネツィア派のティツィアーノ・ヴェチェッリオの作品から影響を受けた。1628年にはトリノでサヴォイア公、カルロ・エマヌエーレ1世のために働いた。
1629年からパリで働き、パリではシモン・ヴーエ(1590-1649)やルイ・ブローニュ(Louis Boullogne: 1609-1674)、クロード・ヴィニョン(1593-1670)といった画家たちと働き、1636年に王室の画家に任命された。
1638年に38歳でパリで病没した。息子のガブリエル・ブランシャール(Gabriel Blanchard: 1630–1704)も画家になった。
作品
[編集]-
聖母子と幼児聖ヨハネ (1628/1629)
シカゴ美術館蔵 -
幼児聖ヨハネらと聖家族
-
『聖イレーネに介抱される聖セバスティアヌス 』
アムステルダム国立美術館蔵
脚注
[編集]- ^ Charles Perrault, Les Hommes illustres qui ont paru en France pendant ce siècle, chez Antoine Dezallier, 1700, tome 2, p. 93-94 (lire en ligne)
- ^ Ou Bolleri Bollery, mais son frère signe Baullery.
- ^ Contrat d'apprentissage au Minutier Central des notaires parisiens, daté du 31 janvier 1631, cote au Minutier central : CV 191. Ce contrat est cité in-extenso par Jacques Thuillier dans le catalogue de l'exposition de Rennes de 1998, pp. 43-44.
参考文献
[編集]- Charles Perrault: Les hommes illustres qui ont paru en France pendant ce siècle. Band 2, Paris 1700, S. 92–93 (Digitalisat).
- Eugène Vial: Blanchard, Jacques. In: Ulrich Thieme, Felix Becker (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 4: Bida–Brevoort. Wilhelm Engelmann, Leipzig 1910, S. 92–93 (Textarchiv – Internet Archive).
- Jacques Thuillier: Jacques Blanchard 1600–1638. Musée des Beaux-Arts de Rennes, Rennes 1998, ISBN 2-901430-33-3.