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ジャパンカップ ボウリング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャパンカップ ボウリング
開始年 1985年
終了年 2014年
主催 日本プロボウリング協会(JPBA)
全米プロボウラーズ協会(PBA)
前回優勝 大韓民国の旗パク・キョンシン(2014年)
最多優勝 アメリカ合衆国の旗パーカー・ボーンIII(4回)
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ジャパンカップ ボウリング英語ROUND1 JAPAN CUP BOWLING )は、日本プロボウリング協会(JPBA)と全米プロボウラーズ協会(PBA)の共催により2014年まで開催されていた日本プロボウリングの国際大会である。2012年より2014年まではラウンドワンの特別協賛により大会名を「ラウンドワン ジャパンカップ ボウリング」として開催されていた。

概要

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  • 1985年 日本プロボウリング協会(JPBA)が、全米プロボウラーズ協会(PBA)の協力の下、第1回大会を開催。
この大会より試合方式を大きく変更。アマチュア選手にも出場の門戸が開かれた。
  • 第21回大会(2005年)より、TV決勝は東京体育館特設レーンにおけるアリーナ決勝として開催。
この大会より女子プロ選手(女子プロボウラー)2名が、JPBAの推薦により出場。
  • 第23回大会(2007年)は、試合方式のうち、2次予選〜ラウンドロビンが準決勝トーナメントに変更。
またTV決勝ステップラダーがTV決勝トーナメントに変更。
  • 第24回大会(2009年)は、4月26日にTV決勝が東京体育館特設レーンにおけるアリーナ決勝として開催。
本大会予選は開催センターが品川プリンスホテルボウリングセンターだが本大会予選の詳細は2009年1月現在、下記『競技方法の変遷』に記載の内容が予定されている。
  • 第25回大会(2010年)は、4月22日から25日にかけて開催。アマ選抜大会から本大会予選までは品川プリンスホテルボウリングセンター、本大会準決勝およびTV決勝は東京ポートボウルで行われた。TV決勝は上位8名のトーナメントにより争われ、トミー・ジョーンズが3度目の優勝。
  • 2011年は開催されなかった。
  • 第27回大会2013年)は、加藤祐哉が第4回大会優勝の酒井武雄以来、25年ぶりの日本人選手による優勝を成し遂げた。日本人選手としての優勝は、第1回大会優勝の谷口健を含め、3人目。なお今回は久しぶりに女子プロボウラーも数名出場した。テレビ中継はCS放送スカイ・A sports+が初めて放映した(TVファイナル完全中継)。
  • 第28回大会2014年)は、大会史上初めて韓国プロボウリング協会(KPBA)所属の韓国人選手、パク・キョンシンが優勝した。また、アマチュア選手の宮澤拓哉がTVファイナルに進出する健闘を見せた(TVファイナル1回戦敗退)。

大会結果・歴代優勝者

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開催年 優勝選手 大会詳細
1 1985年 日本の旗谷口健
2 1986年 アメリカ合衆国の旗ピート・ウェーバー
3 1987年 ベネズエラの旗アムレト・モナチェリ
4 1988年 日本の旗酒井武雄
5 1989年 アメリカ合衆国の旗ランディ・ピーダセン
6 1990年 アメリカ合衆国の旗クリス・ウォーレン
7 1991年 アメリカ合衆国の旗ウォルター・レイ・ウィリアムズJr.
8 1992年 アメリカ合衆国の旗パーカー・ボーンIII
9 1993年 アメリカ合衆国の旗ピート・ウェーバー
10 1994年 アメリカ合衆国の旗ブライアン・ボス
11 1995年 ベネズエラの旗アムレト・モナチェリ
12 1996年 アメリカ合衆国の旗スティーブ・ウィルソン
13 1997年 アメリカ合衆国の旗ダグ・ケント
14 1998年 アメリカ合衆国の旗パーカー・ボーンIII
15 1999年 アメリカ合衆国の旗パーカー・ボーンIII
16 2000年 アメリカ合衆国の旗パーカー・ボーンIII
17 2001年 アメリカ合衆国の旗ボブ・ラーンJr.
18 2002年 アメリカ合衆国の旗ロバート・スミス
19 2003年 アメリカ合衆国の旗クリス・バーンズ
20 2004年 アメリカ合衆国の旗トミー・ジョーンズ
21 2005年 アメリカ合衆国の旗トミー・ジョーンズ
22 2006年 アメリカ合衆国の旗ウォルター・レイ・ウィリアムズJr.
23 2007年 フィンランドの旗ミカ・コイブニエミ
24 2009年 アメリカ合衆国の旗パトリック・アレン
25 2010年 アメリカ合衆国の旗トミー・ジョーンズ
26 2012年 フィンランドの旗ミカ・コイブニエミ 大会詳細
27 2013年 日本の旗加藤祐哉 大会詳細
28 2014年 大韓民国の旗パク・キョンシン 大会詳細

競技方法の変遷

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(2004年以降はプロアマ各選抜大会を除く)

1985年 - 2003年
32名でラウンドロビン→6名でTV決勝ステップラダー方式(1Gマッチ)
2004年
192名で1次予選18G→63名で2次予選9G→32名でラウンドロビン→9名でTV決勝ステップラダー方式(1Gマッチ、6 - 9位はシュートアウトで選出)
2005年
192名で1次予選10G→63名で2次予選10G→32名でラウンドロビン→9名でTV決勝ステップラダー方式(1Gマッチ、6 - 9位はシュートアウトで選出)
2006年
144名で1次予選12G→72名で2次予選8G→32名でラウンドロビン→9名でTV決勝ステップラダー方式(1Gマッチ、6 - 9位はシュートアウトで選出)
2007年
144名で予選12G→64名で準決勝トーナメント(2G先取)→8名でTV決勝トーナメント方式(1Gマッチ)
2009年
144名で予選12G→48名で準決勝トーナメント(3G先取)→8名でTV決勝トーナメント方式(1Gマッチ)
2010年
144名で予選12G→48名で準決勝トーナメント(4G先取)→8名でTV決勝トーナメント方式(1Gマッチ)
2012年 -
176名(プロ126名・アマ50名)で予選10G→64名で準決勝トーナメント(3G先取)→8名でTV決勝トーナメント方式(1Gマッチ)[1]

脚注

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  1. ^ a b JAPANCUP_Youkou.pdf

関連項目

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外部リンク

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