ジャンヌ・ド・ダンマルタン
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ジャンヌ・ド・ダンマルタン Jeanne de Dammartin | |
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カスティーリャ・レオン王妃 | |
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在位 | 1237年 - 1252年 |
別称号 |
オマール女伯 ポンチュー女伯 |
出生 |
1220年頃 |
死去 |
1279年3月16日 フランス王国、アブヴィル |
埋葬 | フランス王国、アルグル、ヴァロワール修道院 |
結婚 |
1237年 ブルゴス 1254年頃 |
配偶者 | カスティーリャ=レオン王フェルナンド3世 |
ファルヴィーおよびラ・エレル領主ジャン・ド・ネール | |
子女 |
フェルナンド レオノール ルイス ヒメノ フアン ギー イド |
家名 | ダンマルタン家 |
父親 | オマール伯シモン・ド・ダンマルタン |
母親 | ポンチュー女伯マリー |
宗教 | ローマ・カトリック |
ジャンヌ・ド・ダンマルタン (Jeanne de Dammartin、1220年頃 - 1279年3月16日)は、フランスのオマール女伯、ポンチュー女伯。オマール伯シモン・ド・ダンマルタンとポンチュー女伯マリーの子。母方の祖母はフランス王女アデル。
生涯
[編集]1230年頃、父シモンがフランス王ルイ9世との婚約を整えるが、後にルイによって破棄された[1]。1237年、ブルゴスにてカスティーリャ・レオン王フェルナンド3世と結婚し、5子をもうけた。カスティーリャ語ではフアナ・デ・ダンマルティン(Juana de Danmartín)と呼ばれた。
- フェルナンド(1238年 - 1264年) - オマール伯
- レオノール(1241年 - 1290年) - ポンチューおよびモントルイユ女伯。1254年にイングランド王エドワード1世と結婚。
- ルイス - マルチェダおよびスエロス領主
- ヒメノ(1244年没)
- フアン(1244年没)
1252年にフェルナンド3世に先立たれると、ジャンヌは引退し自分の領地に戻った。1254年頃、ファルヴィーおよびラ・エレル領主ジャン・ド・ネールと再婚、2子をもうけた。
- ギー - アルスレーヌおよびオカンクール領主
- イド(フィリップ) - フランス元帥ロベール8世ベルトラン・ド・ブリックベックと結婚
1259年、従姉であるブローニュ女伯およびダンマルタン女伯マティルド・ド・ダンマルタンが死ぬと、ジャンヌはブローニュ伯領の相続を目論んだ。しかし、パリ高等法院は1262年に裁定を下し、ブローニュ伯領はアデライード・ド・ブラバン(母がブローニュ女伯マリーの娘)に、ダンマルタン伯領はル・ヴォーマン領主マチュー・ド・トリに相続させた。
脚注
[編集]- ^ François César Louandre, Histoire ancienne et moderne d'Abbeville et son arrondissement, 1834, p. 96.
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