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ジャン・リオラン

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ジャン・リオラン

ジャン・リオラン(Jean Riolan (the Younger)、1580年2月20日[1](1577年2月15日生まれとも[2]) - 1657年2月19日)はフランスの解剖学者、医師である。

略歴

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同名でやはりパリ大学の教授を務めたジャン・リオラン(1539–1605)の息子に生まれた。フランス王室の侍医を務め、フランス国王アンリ4世のの2番目の王妃で後にフランスを追放されたマリー・ド・メディシスの侍医として生涯仕えた。

後にパリ植物園となるルイ13世が設立した王立薬草園の取得に貢献した。

主著は 『人類学』"Anthropographie" (1618)、『解剖書』 "Opuscula anatomica" (1649)などがある。アルブレヒト・フォン・ハラーによって、動脈弓のひとつに「リオランの動脈弓」の名がつけられた[3]

守旧的な学者で、多くの新しい学説に異議を唱えたことで知られ、「医化学派」(パラケルスス主義)と論争し、トーマス・バルトリンリンパ腺の発見[4]ウイリアム・ハーベー血液循環説を批判し[5]ヨハン・フェスリンクとも論争した。

著作

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参考文献

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  1. ^ Jean Riolan (1580-1657) data.bnf.fr
  2. ^ Dictionnaire universel, géographique, statistique, historique et politique de la France, vol. 5, 1805
  3. ^ Riolanの動脈弓とDrummondの辺縁動脈について 日獨医報 第51巻 第 3 号 2006
  4. ^ Bartholin lui avait dédié son livre Vasa lymphatica avec ses éloges (« Maximo … anatomico » (« très grand anatomiste »). Le dédicataire avait republié l'ouvrage en France la même année, tout en le faisant précéder d'une attaque en règle : dans la seule page 2, Bartholin se voit traiter de faux modeste, de montagne qui accouche d'une souris et d'homme de mauvaise foi (parce qu'il prétend ajouter à Pecquet).
  5. ^ Sur ce sujet : Roger French, William Harvey's Natural Philosophy, Cambridge University Press, 2006 ISBN 0521031087, 9780521031080.