ジャン1世 (ラ・マルシュ伯)
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ジャン1世 Jean I | |
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ラ・マルシュ伯 | |
在位 | 1362年 - 1393年 |
出生 |
1344年 |
死去 |
1393年6月11日 フランス王国、ヴァンドーム |
埋葬 | フランス王国、ヴァンドーム、聖ジョルジュ協同教会 |
配偶者 | ヴァンドーム女伯カトリーヌ |
子女 | 本文参照 |
家名 | ブルボン家 |
父親 | ラ・マルシュ伯ジャック1世 |
母親 | ジャンヌ・ド・シャティヨン |
ジャン1世・ド・ブルボン(フランス語:Jean I de Bourbon, 1344年 - 1393年6月11日)は、ラ・マルシュ伯ジャック1世とジャンヌ・ド・シャティヨンの次男[1]。ラ・マルシュ伯(在位:1362年 - 1393年)。
生涯
[編集]ジャン1世はポワティエの戦いにおいて捕らわれ、身代金を要求された。1362年、父の死後まもなく兄ピエール2世もブリニェの戦いで戦死し、ジャン1世がラ・マルシュ伯位を継承した。
ジャン1世は百年戦争において大きな役割を果たし、リムーザンをイングランドより取り戻した後に同地の総督となった。また、1366年にベルトラン・デュ・ゲクランのカスティーリャ遠征に参加した。1374年に義兄ヴァンドーム伯ブシャール7世が死去し、ジャン1世は妻の権利によりヴァンドーム伯およびカストル伯となった。
ジャン1世は1382年に行われたフランス王シャルル6世のフランドル遠征(ローゼベーケの戦いで終わる)に参加し、1392年にブルターニュで戦った。
ジャン1世はヴァンドーム城およびラヴァルダン城を再建した。
結婚と子女
[編集]1364年9月28日、ジャン1世はヴァンドーム伯ジャン6世の娘でヴァンドーム女伯のカトリーヌ(1412年没)と結婚した[2]。
- ジャック2世(1370年 - 1438年) - ラ・マルシュ伯、カストル伯[1]
- イザベル(1373年生) - ポワシーの修道女
- ルイ(1376年 - 1446年) - ヴァンドーム伯[1]
- ジャン(1378年 - 1457年) - カロンシー領主、1416年頃にウー伯フィリップ・ダルトワの娘カトリーヌと結婚したが、子女なし。1420年にル・マンで愛妾のジャンヌ・ド・ヴァンドモワと結婚し、子女をもうけた。
- アンヌ(1380年頃 - 1408年) - 1401年にモンパンシエ伯ジャン2世・ド・ベリー(1401年没)と結婚、1402年に上バイエルン=インゴルシュタット公ルートヴィヒ7世と再婚。
- マリー(1386年 - 1463年9月11日以降) - クロワ領主ジャン・ド・ベヌと結婚
- シャルロット(1388年 - 1422年1月15日) - 1411年にニコシアでキプロス王ジャニュと結婚
脚注
[編集]- ^ a b c Potter 1995, p. 376.
- ^ Famiglietti 1992, p. 302.
参考文献
[編集]- Famiglietti, R. C. (1992). Tales of the Marriage Bed from Medieval France (1300-1500). Picardy Press
- Potter, David (1995). Keen, Maurice. ed. A History of France, 1460–1560: The Emergence of a Nation State. Macmillan
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