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ジュアン・マッシア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジュアン・マッシア・イ・プラツ(Joan Massià i Prats, 1890年2月14日 - 1969年6月11日)は、スペインヴァイオリン奏者。[1][2][3]

生涯

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バルセロナ出身。7歳でバルセロナ音楽院でピアノを学びながらペレス・アギーレにヴァイオリンを師事し、1900年に音楽院を卒業した。1902年にベルギーに留学し、ブリュッセル音楽院ウジェーヌ・イザイ門下のアレフレッド・マルショの薫陶を受けた。1906年に帰国して独奏者として活動を始め、アルフレード・クエル、ジュセプ・ガランゴウ、ガスパール・カサド等と弦楽四重奏団を結成したり、ギレルモ・ガルガンタとホセ・リカルト・マタスとでピアノ三重奏団を結成したりした。

1911年にはカタルーニャ聖歌隊の主宰するバッハ祭でのヨハン・ゼバスティアン・バッハミサ曲の演奏に参加し、アルベルト・シュヴァイツァーとも共演するようになった。

1923年からブランシュ・セルヴァとデュオを組み、セルヴァが病に倒れた後はセルヴァの弟子のマリア・カルボネルとデュオを組んだ。

1944年からバルセロナ音楽院で室内楽を講じ、1959年には同音楽院のヴァイオリン科教授となった。

バルセロナにて没。

脚注

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  1. ^ Joan”. 2020年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月7日閲覧。
  2. ^ ジュアン・マッシア - Discogs
  3. ^ アーカイブ 2020年4月7日 - ウェイバックマシン