ジュゼッペ・デ・サンティス
Giuseppe De Santis ジュゼッペ・デ・サンティス | |||||
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別名義 |
ジーノ・デ・サンティス (Gino de Sanctis) ジョー・デ・サンティス (Joe de Santis) | ||||
生年月日 | 1917年2月11日 | ||||
没年月日 | 1997年5月16日(80歳没) | ||||
出生地 | イタリア ラツィオ州ラティーナ県フォンディ | ||||
死没地 | イタリア ラツィオ州ローマ県ローマ | ||||
職業 | 映画監督、脚本家 | ||||
ジャンル | ネオレアリズモ | ||||
活動期間 | 1940年 - 1995年 | ||||
活動内容 |
1940年 脚本家デビュー 1945年 映画監督デビュー | ||||
著名な家族 | 弟 パスクァリーノ・デ・サンティス | ||||
公式サイト | assodesantis.com | ||||
主な作品 | |||||
『にがい米』 | |||||
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ジュゼッペ・デ・サンティス(Giuseppe De Santis, 1917年2月11日 - 1997年5月16日)は、イタリアの映画監督、脚本家である[1][2]。
ジーノ・デ・サンティス (Gino de Sanctis)、ジョー・デ・サンティス (Joe de Santis)ともクレジットされた[1]。
監督作は13作である[1]。
来歴・人物
[編集]1917年2月11日、ラツィオ州ラティーナ県フォンディに生まれる[1][2]。イタリア国立映画実験センター卒業。撮影監督のパスクァリーノ・デ・サンティスは10歳下の弟である[1]。
1940年、カミッロ・マストロチンクェ監督の映画『ドン・パスクヮーレ』に脚本家としてクレジットされたのが、もっとも古い記録である[1]。1945年、マリオ・セランドレイ、マルチェッロ・パリエロ、ルキノ・ヴィスコンティと共同でドキュメンタリー映画『栄光の日々』を監督し、映画監督としてデビューする[1]。1947年に監督した『荒野の抱擁』は、第12回ヴェネツィア国際映画祭に出品され、翌1948年のナストロ・ダルジェント最優秀作品監督賞を『ジョヴァンニ・エピスコーポの殺人』を監督したアルベルト・ラットゥアーダと分け合って受賞した[1]。
1949年に発表した監督作『にがい米』は、同年第3回カンヌ国際映画祭コンペティションに出品され、1951年に行われた第23回アカデミー賞ではアカデミー原案賞にノミネートされた[1]。1955年のサン・セバスティアン国際映画祭では、『恋愛時代』で銀の貝殻賞を受賞する[1]。『荒野の抱擁』『にがい米』『オリーヴの下に平和はない』『恋愛時代』といった作品は、イタリフィルムが輸入し、日本でも同時代に商業公開された[3]。
1988年に行われた第45回ヴェネツィア国際映画祭ではピエトロ・ビアンキ賞を、1995年に行われた第52回ヴェネツィア国際映画祭では功労金獅子賞をそれぞれ受賞する[1]。
1997年5月16日、ラツィオ州ローマ県ローマで心臓発作のため死去した[1][2]。満80歳没。
フィルモグラフィ
[編集]- 『ドン・パスクヮーレ』 Don Pasquale : 監督カミッロ・マストロチンクェ、1940年 - 脚本
- 『郵便配達は二度ベルを鳴らす』 Ossessione : 監督ルキノ・ヴィスコンティ、1943年 - 脚本・台詞・助監督
- 『栄光の日々』 Giorni di gloria : 共同監督マリオ・セランドレイ / マルチェッロ・パリエロ / ルキノ・ヴィスコンティ、ドキュメンタリー映画、1945年 - 監督
- 『欲望』 Desiderio : 監督マルチェッロ・パリエロ / ロベルト・ロッセリーニ、1946年 - 脚本
- 『太陽は再び昇る』 Il sole sorge ancora : 監督アルド・ヴェルガノ、1946年 - 脚本・出演・「伯爵の従者」役
- 『最後の恋』 Ultimo amore : 監督ルイジ・キアリーニ、1947年 - 脚本
- 『荒野の抱擁』 Caccia tragica : 1947年 - 監督・原案・脚色
- 『にがい米』 Riso amaro : 1949年 - 監督・原案・脚色
- 『オリーヴの下に平和はない』 Non c'è pace tra gli ulivi : 1950年 - 監督・原案・脚色
- 『ローマ11時』 Roma ore 11 : 1952年 - 監督・脚本
- 『身代金』 Riscatto : 監督マリオ・ジローラミ、1953年 - 脚本、「ジーノ・デ・サンティス」名義
- 『アンナの夫』 (未公開、DVD発売題) Un marito per Anna Zaccheo : 1953年 - 監督・原案・脚色
- 『禁じられた女たち』 Donne proibite : 監督ジュゼッペ・アマート、1954年 - 脚本
- 『恋愛時代』 Giorni d'amore : 1954年 - 監督・原案・脚色
- 『人間と狼』 Uomini e lupi : 1956年 - 監督・原案・脚色
- 『大爆走』 I fidanzati della morte : 監督ロモロ・マルチェッリーニ、1957年 - 脚本、「ジーノ・デ・サンティス」名義
- 『一年の長い道』 La strada lunga un anno : 1958年 - 監督・脚本
- 『女の部屋』 La garçonnière : 1960年 - 監督・脚本
- 『イタリアの勇士たちよ』[4] Italiani, brava gente : 1964年 - 監督(ドミートリー・ワシーリエフ監督と共同)・脚本 イタリア・ソ連合作映画。第二次大戦下のソ連戦線でのイタリア人兵士たちを描き、ソ連ロケも行われる。ピーター・フォークが軍医役で出演。
- 『神よ俺の銃を許したまえ』 Dio perdoni la mia pistola : 監督マリオ・ガリアッゾ / レオポルド・サヴォーナ、1969年 - 出演・「チャーリー・クラントン」役、「ジョー・デ・サンティス」名義
- Un apprezzato professionista di sicuro avvenire : 1971年 - 監督・原案
- Cinema 3: Episode dated 19 November 1992 : テレビ映画、1992年 - 出演・本人として
- 『明日はまた別の日』 Oggi è un altro giorno : 1995年 - 監督・脚本
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『イタリア映画史入門 1905 - 2003』 : ジャン・ピエロ・ブルネッタ、訳川本英明、鳥影社、2008年7月 ISBN 4862651445
- World Film Directors, Volume One, 1890-1945 : John Wakeman, H. W. Wilson Company, 1987年 ISBN 0824207572, p.227-229
関連項目
[編集]- ネオレアリズモ
- 第23回アカデミー賞 (en:23rd Academy Awards)
- アカデミー原案賞 (en:Academy Award for Best Story)
- 第12回ヴェネツィア国際映画祭 (it:12ª Mostra internazionale d'arte cinematografica di Venezia)
- 第45回ヴェネツィア国際映画祭 (it:45ª Mostra internazionale d'arte cinematografica di Venezia)
- 第52回ヴェネツィア国際映画祭 (en:52nd Venice International Film Festival)
外部リンク
[編集]- Giuseppe De Santis - IMDb
- Giuseppe de Santis - オールムービー
- ジュゼッペ・デ・サンティス - KINENOTE
- ジュゼッペ・デ・サンティス - allcinema
- ジュゼッペ・デ・サンティス - ウェイバックマシン(2014年7月12日アーカイブ分) - movie-fan.jp
- assodesantis.com - 公式ウェブサイト