ジュヌビエーブ・ヘッカー
基本情報 | |
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名前 | ジュヌビエーブ・ヘッカー |
国籍 | アメリカ合衆国 |
経歴 |
ジュヌビエーブ・ヘッカー(Genevieve Hecker、1883年11月19日 - 1960年7月29日[1])は米国人アマチュアゴルファー。アパワミスクラブのメンバーで、ニューヨーク都市圏ゴルフ選手権で1900年、1901年、1905年、1906年に優勝した。
若年期
[編集]1883年11月19日、コネチカット州ダリアンで父ジョン・ヘッカーと母ジョージアンナ・ヘッカーの間に生まれた[1]。父親はニューヨークシティで製粉業 (Hecker-Jones-Jewell Milling Company) を営んでいた[2]。
ゴルフキャリア
[編集]ヘッカーはコネチカットで最も古くからあるクラブの一つ、ノロトンにあるウィーバーンゴルフクラブでゴルフを始め、最終的にはチームキャプテンに選ばれるほどの実力を身に着けた。弟ジョージと妹ルイーズもゴルフプレーヤーだった。一家は1901年にアパワミスクラブに移籍した。アパワミスに新しいコースができたのがきっかけだった。ヘッカーはここで1901年と1902年に女子ナショナルゴルフ大会に優勝した[3]。1901年10月にニュージャージー州ユニオン郡スプリングフィールドにあるバルタスロールゴルフクラブで全米女子アマチュア選手権が行われ[4]、優勝。この時はマーガレット・カーチスらとともに首位で予選通過も果たした。翌1902年、マサチューセッツ州ブルックラインのザカントリークラブで行われた全米女子アマでも(2年連続)優勝した。
ヘッカーのゴルフインストラクターはスコットランド系アメリカ人のジョージ・ストラスだった[5]。彼女は女子ともゴルフをしたが、男子と一緒でも問題なくプレーできた。1902年にはアパワミスで男女対抗戦が行われ、彼女が女子のキャプテンを務めた[6]。「彼女のアイアンショットは、国内女子で右に出る者は無く、男子でもわずかであり、まさにチャンピオンのタイトルにふさわしい人物」と評された[7]。
結婚と書籍執筆
[編集]1903年4月に同じアパワミスクラブのメンバーであるチャールズ・T・スタウトと結婚。1904年には女性ゴルファー向けに書かれた初めての書籍である『Golf for Women(女性のゴルフ)』を出版[8]。この中にはアイルランド人ゴルファーでアイリッシュ女子選手権に4回連続優勝、1900年と1903年の全英女子オープンに優勝したローナ・アデアが寄稿した一章が含まれている。
死
[編集]1960年7月29日、ニューヨーク州ブルックリンで死亡。グリーンウッド墓地に埋葬された[2]。
脚注
[編集]- ^ a b Hecker. “Hecker Ancestry”. Ancestry.com. April 22, 2015閲覧。
- ^ a b “Geneview Hecker Stout”. findagrave.com. April 22, 2015閲覧。
- ^ “Miss Kecker Wins Golf Championship Again, Apawamis Player Defeats Miss Wells of Boston by 4 Up in Finals at Brookline”. The World (New York). (October 4, 1902)
- ^ “Fair Golfers From Chicago Enter National Tournament”. The Minneapolis Journal. (September 30, 1901) May 2, 2015閲覧。
- ^ “Strath's Death Removes Oldest of Pro Golfers”. The New York Tribune. (January 26, 1919) April 22, 2015閲覧。
- ^ “Miss Hecker at Apawamis”. The New York Herald (New York). (May 23, 1902)
- ^ “Miss Hecker Is Winner. Apawamis Player Again Captures Woman Championship”. The Chicago Sunday Tribune. (October 5, 1902)
- ^ Golf for Women. New York, NY: Baker & Taylor, Inc.. (1904). ISBN 1-894827-01-5