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ジュリア・ソーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジュリア・ソーン
Julia Thorne
マサチューセッツ州副知事夫人
In role
1983年3月6日 – 1985年1月2日
知事マイケル・デュカキス
前任者Susan Dwight (1975)
後任者Jan Cellucci (1991)
個人情報
生誕Julia Stimson Thorne
(1944-09-16) 1944年9月16日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク市
死没2006年4月27日(2006-04-27)(61歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州コンコード
死因膀胱癌
配偶者
  • ジョン・ケリー
    (結婚 1970年; 離婚 1988年)
  • リチャード・チャールズワース (結婚 1997年)
子供
親族デイヴィッド・ソーン英語版(双子の兄弟)
職業著述家

ジュリア・スティムソン・ソーン(Julia Stimson Thorne、1944年9月16日 - 2006年4月27日)は、アメリカ合衆国の著述家であり、離婚後に第68代国務長官となるジョン・ケリーの最初の妻である。

生涯

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ソーンはニューヨーク市1944年9月16日に生まれた。父はランドン・ケッチャム・ソーン・ジュニア(Landon Ketchum Thorne, Jr.)、母はアリス・バリー(Alice Barry)である[1]。父方の祖先には、オランダからアメリカに渡り、信教の自由の獲得のために戦ったジョン・ボーン英語版がおり、ソーンは11代目になる。フラッシング抗議書英語版に署名したウィリアム・ソーン・シニアも祖先である。夫になるジョン・ケリーとは、17世紀のエリザベス・フォーンズ英語版が共通の祖先となる。母方の曾祖父にジャーナリストのデイヴィッド・S・バリー英語版がいる[2][3]。双子の兄弟であるデイヴィッド・ソーン英語版は、後に外交官になった。

父の仕事の関係で、幼少期のほとんどをイタリアローマで過ごした[4][2]。1962年にフォックスクロフト・スクール英語版を卒業した[2] 。また、ニューヨークインテリアデザイン学校英語版ラドクリフ大学の授業も聴講した[1]

夫となるジョン・ケリーとは1963年に初めて会った。ケリーはソーンの双子の兄弟のデイヴィッドの級友だった。1970年5月23日にケリーと結婚した。結婚式では、2世紀以上前に作られたドレスを着用した[2]。ケリーとの間にアレクサンドラヴァネッサという2人の娘をもうけた[1]。ケリーは1983年にマサチューセッツ州副知事、1985年に上院議員となった。

ケリーとの結婚生活で、ソーンには鬱病の兆候が見られるようになった。この時期に1度だけ自殺しようとしたこともあると後に書いている[4]。1980年代、ソーンは鬱病についての啓発活動を行うための非営利団体"Depression Initiative"を設立した[1]。ケリーとは、6年間別居した後、1988年7月25日に離婚した[1]。1997年にリチャード・J・チャールズワース(Richard J. Charlesworth)と結婚し、モンタナ州ボーズマンに移った[1]

1990年に鬱病を克服し、それ以降はケリーとも友好的な関係を築いた[5]。2004年にケリーが大統領選挙に出馬した際には、ソーンも支援を行っている[6]

2006年4月27日膀胱癌によりマサチューセッツ州コンコードの友人宅で死去した[1]

著書

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1993年、鬱病を発症した様々な人の記録を集めたラリー・ロススタインとの共著"You Are Not Alone: Words of Experience and Hope for the Journey Through Depression"(あなたは一人じゃない: 鬱病を乗り越える旅の経験と希望の言葉)(ISBN 0-06-096977-6)を出版した[4]アン・ランダース英語版は、「この小さな本が、命の恩人となり、あなたがこれまでに支払った中で最高の10ドルになるかもしれない」と書いている[7]

1996年には"A Change of Heart: Words of Experience and Hope for the Journey Through Divorce"(心の変化: 離婚を乗り越える旅の経験と希望の言葉)(ISBN 0-06-095105-2)を発刊した。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g “Julia Thorne, 61; Author Was Former Wife of John Kerry”. The Los Angeles Times. (April 29, 2006). https://www.newspapers.com/clip/37638425 October 21, 2019閲覧。 
  2. ^ a b c d Randolph, Nancy (May 24, 1970). “Julia Stimson Thorne Bride of John Kerry”. Daily News. https://www.newspapers.com/clip/37693730/ October 22, 2019閲覧。 
  3. ^ “John Kerry Weds Miss Julia Thorne”. The New York Times. (May 24, 1970). https://www.nytimes.com/1970/05/24/archives/john-kerry-weds-miss-julia-thorne.html 
  4. ^ a b c Doten, Patti (March 8, 1994). “Defying Depression”. The Boston Globe: p. 51. https://www.newspapers.com/clip/37639368/ October 21, 2019閲覧。  “Defying Depression”. The Boston Globe: p. 55. (March 8, 1994). https://www.newspapers.com/clip/37639551/ October 21, 2019閲覧。 
  5. ^ Madame Ex”. November 23, 2005時点のオリジナルよりアーカイブ。April 29, 2006閲覧。; The Washingtonian; July 1996
  6. ^ Beam, Alex (December 3, 2002). “A Slight Problem With the Kerry Profile”. The Boston Globe. https://www.newspapers.com/clip/37695146/ October 22, 2019閲覧。 
  7. ^ Landers, Ann (December 5, 1993). “New Book Deals With Illness 21 Million Suffer”. The Press-Tribune. https://www.newspapers.com/clip/37639865/ October 21, 2019閲覧。 

外部リンク

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