ジュリオ・セルジオ・ベルタニョーリ
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名前 | ||||||
本名 |
ジュリオ・セルジオ・ベルタニョーリ Júlio Sérgio Bertagnoli | |||||
カタカナ | ジュリオ・セルジオ | |||||
ラテン文字 | JÚLIO SÉRGIO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ブラジル イタリア | |||||
生年月日 | 1978年11月8日(46歳) | |||||
出身地 | リベイラン・プレト | |||||
身長 | 187cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1995-1998 | ボタフォゴSP | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2000 | ボタフォゴSP | 2 | (0) | |||
2000 | セルトンジーニョ | 0 | (0) | |||
2000 | インテル・デ・ベベドウロ | 0 | (0) | |||
2001 | フランカーナ | 0 | (0) | |||
2001 | マルトロン | 0 | (0) | |||
2002 | コメルシアウ | 0 | (0) | |||
2002-2004 | サントス | 41 | (0) | |||
2005 | ジュヴェントゥージ | 0 | (0) | |||
2006 | アメリカSP | 0 | (0) | |||
2006-2013 | ローマ | 49 | (0) | |||
2011-2012 | → レッチェ (loan) | 10 | (0) | |||
2014 | コメルシアウ | 0 | (0) | |||
1999-2014 | 通算 | 102 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2015-2016 | CRAC | |||||
2017 | セルトンジーニョ | |||||
2017 | オリンピア | |||||
2018 | プルデントポリス | |||||
2018 | リネンセ | |||||
2019 | マリーリア | |||||
2021 | コリチーバ (暫定) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月24日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジュリオ・セルジオ・ベルタニョーリ(Júlio Sérgio Bertagnoli, 1978年11月8日 - )は、ブラジル・リベイラン・プレト出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。
祖父がイタリア人であるため、イタリア国籍も保有している。
経歴
[編集]現役時代
[編集]1995年にボタフォゴSPのユースチームでキャリアをスタートし、1999年にトップチームに昇格。その後は控えのゴールキーパーとしてブラジル国内のクラブを渡り歩き、2002年に名門サントスFCへ移籍。ここでレギュラーを掴み、2度の優勝に貢献した。2005年はECジュヴェントゥージ、2006年はアメリカSPに所属し、同年にASローマへ1年+インセンティブ3年の契約でテスト入団した[1]。
入団当初はチームの守護神・ドニの控えの第2GKとして位置づけされていたものの2008-09シーズン終了時まで公式戦の出場はなく、2008年にアルトゥールが移籍してきて以降は第3GKに降格した。しかし当時の監督であったルチアーノ・スパレッティの信頼は厚く「セリエA最高の第3GKだ」と評価した[2]。
2009-10シーズンはドニの負傷に加え、アルトゥールも不調であったことから2009年8月30日のユヴェントスFC戦でスターティングメンバーに抜擢され、セリエAデビューを果たした。この試合では3ゴールを奪われて敗戦し、スパレッティも辞任することとなったが、後任のクラウディオ・ラニエリは初戦となったACシエーナ戦でジュリオ・セルジオを起用し勝利した。UEFAヨーロッパリーグのフラムFC戦でドニが再び負傷したため途中出場すると、その後は先発起用され、SSラツィオとのローマ・ダービーでもラツィオを無失点に抑え勝利に貢献した。ローマ退団後の2014年にブラジルへ帰国し、古巣のコメルシアウFCでプレーした後に現役を引退。
指導者時代
[編集]2015年よりカンピオナート・パウリスタ・セリエA3のAAフランカーナに指揮官として復帰することになっていたが、クラブの財政問題により契約を解除した[3]。同年6月13日、カンピオナート・ブラジレイロ・セリエDのクルーベ・レクレアチーヴォ・アトレチコ・カタラーノの監督に就任した[4]。2016年3月31日、1-4で敗戦したアナーポリスFC戦後に辞任することを発表した[5]。
同年10月5日、ジョゼ・カルロス・セホーンの後任として2017年よりセルトンジーニョFCを指揮することが決定した[6]。
所属クラブ
[編集]- ボタフォゴSP 1999-2000
- セルトンジーニョFC 2000
- インテル・デ・ベベドウロ 2000
- AAフランカーナ 2001
- クルーベ・マルトロン 2001
- コメルシアウFC 2002
- サントスFC 2002-2004
- ECジュヴェントゥージ 2005
- アメリカSP 2006
- ASローマ 2006-2013
獲得タイトル
[編集]- サントス
- ローマ
- コッパ・イタリア : 2006-07, 2007-08
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 2007
脚注
[編集]- ^ SOTTOSCRITTO CONTRATTO ECONOMICO PER LE PRESTAZIONI DEL PORTIERE BERTAGNOLI JULIO SERGIO asroma.it.2006年7月10日
- ^ Felice di fare il terzo portiere ma aspetto la mia occasione Corriere della Sera 2007年6月11日
- ^ “Júlio Sérgio pede demissão da Francana e presidente deixa cargo”. globoesporte.com (2015年1月8日). 2016年11月24日閲覧。
- ^ “Série D: Crac confirma Júlio Sérgio, bicampeão brasileiro pelo Santos, como treinador”. Futebol Interior (2015年6月13日). 2016年11月24日閲覧。
- ^ “Crac demite técnico Júlio Sérgio após goleada sofrida contra o Anápolis”. globoesporte.com (2016年3月31日). 2016年11月24日閲覧。
- ^ “Sertãozinho anuncia ex-goleiro Júlio Sérgio como novo técnico para 2017”. globoesporte.com (2016年10月5日). 2016年11月24日閲覧。
外部リンク
[編集]- Júlio Sérgio - player profile Transfermarkt
- Júlio Sérgio - manager profile Transfermarkt