ジュール・ド・ゴンクール
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ジュール・ド・ゴンクール Jules de Goncourt | |
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エルンスト・フリードリヒ・フォン・リファルトによって描かれた肖像画 | |
誕生 |
1830年12月17日 フランス王国 |
死没 |
1870年6月20日(39歳没) フランス帝国 |
職業 | 小説家・美術評論家 |
国籍 | フランス |
ウィキポータル 文学 |
ジュール・アルフレ・ユオー・ド・ゴンクール(フランス語: Jules Alfred Huot de Goncourt フランス語: [ɡɔ̃kuʁ]、1830年12月17日 パリ - 1870年6月20日 パリ)はフランスの小説家・美術評論家。
略歴
[編集]1830年12月17日、パリで生まれた[1]。祖父は弁護士で、土地を購入してフランス王ルイ16世により貴族に叙され[2]、父はナポレオン・ボナパルト期の陸軍士官だった[3]。兄であるエドモン・ド・ゴンクールとは常に共同執筆を行い[1]、エドモンが口述、ジュールが筆記した後、2人で推敲して著作を完成させた[2]。最初は18世紀フランスと日本の歴史を研究し、後に小説を書くようになった[1]。歴史に関する著作では自筆の手紙など多くの一次資料が用いられ[1]、小説家としては自然主義に属した[3]。
1870年6月20日、梅毒によりパリで死去した[1][2]。
著作
[編集]兄エドモンとの共同執筆
- 『18××年』(En 18…、1854年[2])
- 『大革命期のフランス社会史』(1854年、歴史[2])
- Portraits intimes du XVIIIe siècle(1857年、歴史[1])
- 『マリ・アントアネット伝』(Histoire de Marie-Antoinette、1858年、歴史[2])
- 『18世紀の芸術』(L’Art du XVIIIe siècle、1859年 – 1875年、歴史[4])
- 『シャルル・ドゥマイイ』(Charles Demailly、1860年[2])
- 『尼僧フィロメーヌ』(Sœur Philomène、1861年、小説[2])
- 『18世紀の女性』(La Femme au XVIIIe siècle、1862年、歴史[4])
- 『ルネ・モープラン』(Renée Mauperin、1864年、小説[3])
- 『ジェルミニー・ラセルトゥー』(Germinie Lacerteux、1865年、小説[5])
- 『マネット・サロモン』(Manette Salomon、1867年、小説[3])
- 『ジェルベゼ夫人』(Madame Gervaisais、1869年、小説[2])
- 『日記』(Journal、9巻、1887年 – 1896年出版[1]) - 最初はジュールとエドモンの兄弟2人で書いていたが、1870年のジュールの死以降は、兄エドモンが没時まで継続。
- 『売笑婦エリザ』(La Fille Eliza、1877年) - 途中でジュールが亡くなったため兄エドモンが完成。
伝記
[編集]- 斎藤一郎『ゴンクール兄弟とその時代』 水声社、2021年。ISBN 4801005969
出典
[編集]- ^ a b c d e f g Symons, Arthur (1911). . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 12 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 231.
- ^ a b c d e f g h i 「ゴンクール(兄弟)」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 。コトバンクより12 November 2020閲覧。
- ^ a b c d 「ゴンクール兄弟」『世界大百科事典 第2版』 。コトバンクより12 November 2020閲覧。
- ^ a b 「ゴンクール兄弟」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』 。コトバンクより12 November 2020閲覧。
- ^ 「ゴンクール」『デジタル大辞泉』 。コトバンクより12 November 2020閲覧。
外部リンク
[編集]- Jules de Goncourt - Faded Page (Canada)
- ジュール・ド・ゴンクールの作品 (インターフェイスは英語)- プロジェクト・グーテンベルク
- ジュール・ド・ゴンクールに関連する著作物 - インターネットアーカイブ