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ジョアン・カルロス・ドス・サントス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョアン・カルロス
名前
本名 ジョアン・カルロス・ドス・サントス
João Carlos dos Santos
ラテン文字 JOÃO CARLOS
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 1972年9月10日
出身地 ミナスジェライス州セテ・ラゴアス[1]
身長 183cm
体重 88kg
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1993 ブラジルの旗 ECデモクラータ
1994 ブラジルの旗 クルゼイロEC
1995 ブラジルの旗 ECデモクラータ
1996 ブラジルの旗 ECマモレ
1996-1998 ブラジルの旗 クルゼイロEC 13 (1)
1999-2000 ブラジルの旗 コリンチャンス 26 (3)
2001 ブラジルの旗 クルゼイロEC 17 (3)
2002-2003 日本の旗 セレッソ大阪 53 (5)
2004 ブラジルの旗 ボタフォゴFR 18 (1)
2005 ブラジルの旗 ヴィラ・ノヴァFC
2005 ブラジルの旗 パイサンドゥSC 11 (2)
2006 ブラジルの旗 ECデモクラータ
2006 ブラジルの旗 イパチンガFC
通算 138 (15)
代表歴
1999 ブラジルの旗 ブラジル 10 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジョアン・カルロス・ドス・サントス(João Carlos dos Santos、1972年9月10日 - )は、ブラジル出身のサッカー選手およびサッカー指導者。ポジションはディフェンダーセレッソ大阪在籍時の登録名はジョアン

来歴

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1999年、コリンチャンスカンピオナート・ブラジレイロに優勝した。2000年、コリンチャンスはクラブ世界選手権に優勝したが、ジョアン・カルロスはグループ最終戦のアル・ナスルとの試合で負傷交代し、決勝戦ではアジウソンがピッチに立った[2][3]

1999年6月9日のオランダ戦でブラジル代表にデビューした[4]。優勝したコパ・アメリカ1999では途中からレギュラーとして5試合に出場した[5]。準優勝したFIFAコンフェデレーションズカップ1999では4試合に出場し、8-2で大勝したサウジアラビア戦では先制ゴールを挙げている[6]。決勝のメキシコ戦ではアディショナルタイムに2枚目のイエローカードを受けて退場し、またチームも敗れた[6]。このメキシコとの試合がブラジル代表としてのラストマッチとなっている[4]

所属クラブ

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[1]

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1990 マモレ
1991
1992
1993
1994
1995
1996 クルゼイロ 1 0
1997 7 1
1998 5 0
1999 コリンチャンス 11 1
2000 15 2
2001 クルゼイロ 17 3
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 C大阪 5 J2 38 5 - 4 0 42 5
2003 J1 15 0 1 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2004 ボタフォゴ 18 1
2005 ヴィラ・ノヴァ
2005 パイサンドゥ 11 2
2006
2007
通算 ブラジル
日本 J1 15 0 1 0
日本 J2 38 5 - 4 0 42 5
総通算

代表歴

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試合数

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  • 国際Aマッチ 10試合 1得点(1999年)[7]


ブラジル代表国際Aマッチ
出場得点
1999 10 1
通算 10 1

指導経歴

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[1]

出典

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関連項目

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外部リンク

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