ジョアン・ラポルタ
ジョアン・ラポルタ・イ・エストルゥーチ(Joan Laporta i Estruch , 1962年6月29日 - )は、スペイン・バルセロナ出身の弁護士。ラ・リーガのFCバルセロナ会長。
経歴
[編集]バルセロナ大学を卒業して弁護士となった。1998年のFCバルセロナ会長選挙でホセ・ルイス・ヌニェスが再選を果たした半年後、「エレファント・ブレウ(Elefant blau)」という組織を結成して、理事会に会長の不信任投票を要求したことで注目を集める。そして2003年の会長選挙においてデビッド・ベッカムの獲得を公約に掲げ、豊富な政治資金を使った選挙戦を繰り広げ当選を果たした。
ベッカム獲得は成らなかったものの、スポーツ部門のサンドロ・ロセイ副会長の活躍でブラジルのロナウジーニョの獲得に成功。長いヌニェス時代で硬直化したクラブに変革をもたらし、2004-05、2005-06シーズンのリーガ・エスパニョーラ2連覇、2005-06シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ優勝など、ヨーロッパで最も成功したクラブとしての地位を復活させた[1]。
2010年6月30日、任期満了に伴いFCバルセロナ会長を退任した[2]。後任はサンドロ・ロセイ。
2015年会長選に出馬するも、前会長であるジョゼップ・マリア・バルトメウに1万以上の投票差をつけられ惨敗した。
2020年11月、バルトメウ辞任に伴う会長選への出馬を表明した。他候補を大きく上回る数の署名を提出し[3]、世論調査でも大きくリードし[4]、サンティアゴ・ベルナベウ近郊に横断幕を掲示して話題を集める[5]など終始選挙戦を優位に進めた[6]。2021年3月8日の投票では過半数の30,184票を集め、ビクトル・フォント(16,679票)、トニ・フレイシャ(4,769票)を破り新会長に選出された[7][8]。選挙後には規定の保証金の工面が難航し、選挙やり直しの可能性も報じられたが、銀行保証を受け3月17日に正式に会長に就任した[9]。就任式では去就が取り沙汰されるメッシの残留に尽力する意向を示した[10]。
脚注
[編集]- ^ “ラポルタ会長「さらに成功を続けねばならない」”. livedoor スポーツ (2006年9月4日). 2010年9月5日閲覧。
- ^ “バルサ、チキSDが退任”. asahi.com (2010年6月29日). 2010年9月5日閲覧。
- ^ “選挙管理委員会は、ジョアン・ラポルタ、ビクトル・フォント、トニ・フレイシャを会長候補に発表”. www.fcbarcelona.jp (2021年1月14日). 2021年3月18日閲覧。
- ^ “迫るバルサの会長選挙 世論調査ではラポルタの圧勝”. SPORT 日本語版 (2021年1月29日). 2021年3月18日閲覧。
- ^ “ラポルタ ベルナベウ近くの横断幕に言及「選手たちも喜んでいた」”. SPORT 日本語版 (2020年12月22日). 2021年3月18日閲覧。
- ^ “混迷バルサ、7日に実施される会長選はどうなる? 番記者の見立ては――【現地発】”. サッカーダイジェストWeb (2021年3月4日). 2021年3月18日閲覧。
- ^ “ジョアン・ラポルタ、FCバルセロナの新会長”. www.fcbarcelona.jp (2021年3月8日). 2021年3月18日閲覧。
- ^ “バルサ、ジョアン・ラポルタ氏が新会長に選出…メッシの去就にも影響か”. サッカーキング (2021年3月8日). 2021年3月18日閲覧。
- ^ ““選挙やり直しの可能性”から一転…ラポルタ氏、銀行保証を受けて正式にバルサ会長就任へ”. サッカーキング (2021年3月17日). 2021年3月18日閲覧。
- ^ 「サッカー=バルセロナ会長ラポルタ氏、メッシ残留に「全力を尽くす」」『Reuters』2021年3月18日。2021年3月18日閲覧。
先代 エンリック・レイナ カルラス・トゥスケッツ(会長代行) |
バルセロナ歴代会長 2003-2010 2021- |
次代 サンドロ・ロセイ |