ジョシア・ボイデル
ジョシア・ボイデル Josiah Boydell | |
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レンブラントの原画によるジョシア・ボイデル、ジョン・ボイデルによる複製版画 | |
生誕 |
1752年1月18日 ウェールズ、ハワーデン(Hawarden) |
死没 |
1817年3月27日 (65歳没) サリー、シェパートン(Shepperton) |
ジョシア・ボイデル(Josiah Boydell、1752年1月18日 - 1817年3月27日)は、イギリスの美術出版工房の経営者、版画家、版画の下絵画家である。叔父のジョン・ボイデルとともにウィリアム・シェイクスピアの戯曲の場面を同時代の画家たちに描かせて、複製版画で出版した「ボイデル・シェイクスピア・ギャラリー」のプロジェクトを進めたことなどで知られている。
略歴
[編集]ウェールズ北東部のフリントシャーのハワーデン(Hawarden)で、農業をしていたサミュエル・ボイデル(Samuel Boydell: 1727–1783)の息子に生まれた。14歳になった1766年にロンドンに移り、美術出版の仕事を始めていた叔父のジョン・ボイデル(1719-1804)のもとで7年間、徒弟として働いた。ロンドンでは画家のベンジャミン・ウエスト(1738-1820)に絵を学び、版画家のリチャード・アーロム(Richard Earlom: 1743-1822)に版画を学んだ.[1]。
徒弟期間が終わった後も叔父と協力し続け、自らの版画作品を制作し、版画の下絵を描いた。1772年から1779年の間、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会にも作品を出展した。
特筆される仕事の一つは、初代オーフォード伯爵が美術収集品をロシアのエカチェリーナ2世に売却し、ロシアに移される前にその複製版画を、ジョセフ・ファーリントン(Joseph Farington: 1747-1821)とジョージ・ファーリントン(George Farington: 1752-1788)共に制作したことなどがある。
1774年にノース卿(Sir Roger North)の娘と結婚した[1]。
1786年に叔父のジョン・ボイデルの事業である、「ボイデル・シェイクスピア・ギャラリー」(ウィリアム・シェイクスピアの戯曲の場面を同時代の多くの画家たちに描かせ、170点あまりの作品を複製版画としてで出版した。)にも画家として参加した[1]。1804年にジョン・ボイデルが亡くなった後、この事業の原画が宝くじの形で売却した時、当選者の宝石商、工芸家のウィリアム・タッシー(William Tassie: 1777-1860) から買い戻す交渉をしたが成功しなかった[2][3]。
1817年にサリーのシェパートン(Shepperton)で亡くなった。
作品
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ジョン・ボイデルの肖像版画
(原画)ジョシア・ボイデル
(版画)V・グリーン -
『オセロ』5幕2場
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『ヘンリー4世』2巻、4幕4場
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グイド・レーニの作品の複製版画、ボイデルの工房による
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Fagan, L. A., rev. Vivienne W. Painting. "Josiah Boydell (1752–1817)". Oxford Dictionary of National Biography. Oxford University Press. 2004. Retrieved on 17 January 2008. ISBN 0-19-861411-X.