ジョセフ・ブラットン
ジョセフ・K・ブラットン Joseph K. Bratton | |
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生誕 |
1926年4月4日 アメリカ合衆国 ミネソタ州セントポール |
死没 |
2007年6月2日 (81歳没) アメリカ合衆国 バージニア州マクレーン |
所属組織 | アメリカ陸軍 |
軍歴 | 1948年 - 1984年 |
最終階級 | 中将(Lieutenant General) |
墓所 | アーリントン国立墓地 |
ジョセフ・K・ブラットン(Joseph K. Bratton, 1926年4月4日 - 2007年6月2日)は、アメリカの軍人、原子力工学者。アメリカ陸軍工兵隊の将校で、工兵隊長などを務めた。最終階級は中将。
経歴
[編集]1926年、ミネソタ州セントポールに生まれる。1948年、陸軍士官学校を卒業し、工兵隊に配属される。1949年から1952年まではオーストリア駐留の工兵大隊に勤務し、1953年から1954年までは韓国駐留の第13工兵戦闘大隊に勤務。その後、ドイツ駐留の第4機甲師団第24工兵大隊の大隊長を経て、第159工兵集団の指揮官としてベトナム戦争に参加する。こうした工兵としての職務の他、ブラットンはいくつかの参謀職も務めている。1967年から1969年まではスタンリー・リーザー陸軍長官の軍事補佐官を務め、1970年から1972年まで統合参謀本部付秘書官を務めた。また1959年にマサチューセッツ工科大学にて原子力工学の修士学位(master's degree)を修得していた事から、1972年から1975年までは欧州連合軍最高司令部(SHAPE)付の核活動責任者を務めた。工兵隊南太平洋方面司令官を1979年から1980年まで務め、1980年から1984年まで工兵隊総司令官として務めた後、中将の階級で退役した。
2007年6月2日、動脈瘤により81歳で死去。アーリントン国立墓地に埋葬された[1]。
受章歴
[編集]1段目 | 防衛殊勲章 | 陸軍殊勲章 | レジオン・オブ・メリット[2] | |
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2段目 | 銅星章[3] | 統合作戦称揚章 | 陸軍称揚章[4] | 陸軍業績章 |
3段目 | 第二次世界大戦戦勝記念記章 | 占領軍記章 | 国防従軍章[3] | 朝鮮戦争従軍記章[5] |
4段目 | ベトナム戦争従軍記章[6] | 国軍名誉勲章(南ベトナム) | 国連メダル朝鮮戦争章(国連) | ベトナム戦線記念記章 |
脚注
[編集]This article contains public domain text from “Lieutenant General Joseph K. Bratton”. Portraits and Profiles of Chief Engineers. 2005年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2005年8月20日閲覧。
軍職 | ||
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先代 ジョン・W・モリス |
アメリカ陸軍工兵隊司令官 1980–1984 |
次代 エルヴィン・ハイバーク三世 |