ジョナサン・ケイン
ジョナサン・ケイン Jonathan Cain | |
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ジョナサン・ケイン(2018年) | |
基本情報 | |
出生名 | Jonathan Leonard Friga |
別名 | ジョニー・リー |
生誕 | 1950年2月26日(74歳)[1] |
出身地 | アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ |
ジャンル | ハードロック、ポップ・ロック、プログレッシブ・ロック、スムーズジャズ、CCM |
職業 | ミュージシャン、歌手、ソングライター |
担当楽器 | ボーカル、キーボード、ギター |
活動期間 | 1965年 - |
共同作業者 | ベイビーズ、ジャーニー、バッド・イングリッシュ |
公式サイト |
jonathancain |
ジョナサン・ケイン(Jonathan Cain、本名:ジョナサン・レナード・フリガ、1950年2月26日 - )は、アメリカのミュージシャン、歌手、ソングライター。ジャーニーのキーボード奏者およびリズム・ギタリストとして最もよく知られている。また、ベイビーズやバッド・イングリッシュとも活動している。ケインは2017年にジャーニーのメンバーとしてロックの殿堂入りを果たした[2]。また、コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックのアーティストとしてソロ活動も行っている。
生い立ちと教育
[編集]ケインはシカゴでレナードとナンシー・フリガの子として生まれた。8歳の時にアコーディオンのレッスンを始め、10代になる頃にはパーティーやクラブでアコーディオンとピアノを演奏していた。やがてギター、ベース、ハーモニカも演奏するようになった。ケインは1958年に起きたアワー・レディー・オブ・ザ・エンジェルス・スクール火災の生存者で、この火災では生徒92人と修道女3人が亡くなっている[3]。
1968年、ケインはシカゴ郊外のイリノイ州フランクリンパークにあるイースト・レイデン高校を卒業し[1]、後にシカゴ音楽院に入学した。
業績
[編集]イリノイ州サウスピーキンのゴールデン・ボイスで録音したテープをもとに、ジョニー・リー(Johnny Lee)としてダイアル・レーベルから45回転レコードを2枚リリースした後、無名の独立系レーベル「October」からジョナサン・ケインの名前で45回転レコードをリリースした[4]。1976年、ケインはベアズヴィル・レコードからジョナサン・ケイン・バンド名義でアルバム『ウィンディー・シティー・ブレイクダウン』をリリース。1979年、ベイビーズに加入し、アルバム『ユニオン・ジャック』と『オン・ジ・エッヂ』に参加した。
1980年、ケインはベイビーズを離れ、ロック・バンド、ジャーニーに加入し、キーボード担当であったグレッグ・ローリーの代わりを務めた[5]。ケインはアルバム『エスケイプ』で初めてコラボレーションし、オールミュージックで「ロック界最高のオープニング・キーボード・リフの1つ」と評された[6]「ドント・ストップ・ビリーヴィン」などの曲を作曲し、ピアノを演奏してジャーニーがチャートのトップに躍り出るのを助けた。おそらく彼の最も注目すべき貢献は、バンドでのツアー生活について歌ったジャーニーのバラード「時への誓い (Faithfully)」の単独作詞者となったことであろう。ケインはその後、少なくとも13枚のジャーニーのアルバムやコンピレーションに登場した。
ジミー・バーンズが歌う「ワーキング・クラス・マン」はケインの作品の1つで、バーンズの代表曲とされている。
ケインは、元ベイビーズのバンド仲間であるジョン・ウェイトとリッキー・フィリップス、同じくジャーニーのバンド仲間であるニール・ショーン、そして後にジャーニーのドラマーとなるディーン・カストロノヴォと再び結集し、バッド・イングリッシュを結成。バンドは1990年代初頭に解散するまでに2枚のアルバムをリリースした。
1996年、アルバム『エスケイプ』時のジャーニーのメンバーによって再結成がなされ、アルバム『トライアル・バイ・ファイアー』をレコーディングした。ハワイでのハイキング中に股関節を負傷して手術が必要になり、1998年にスティーヴ・ペリーが再びバンドを脱退。ジャーニーは、1998年から2006年まではスティーヴ・オージェリー、2006年から2007年まではジェフ・スコット・ソート、2007年から現在までアーネル・ピネダという3人のリード・シンガーを擁して活動を続けている。
ケインはジャーニーのコンサートで毎回ピアノ・ソロを演奏することで知られており、通常はバンドが「オープン・アームズ」を演奏する直前に演奏する。彼は1980年に初めてバンドに加入した時からこの伝統を始めた。
ジャーニーでの活動に加え、ケインは8枚のソロ・アルバムをリリースし、ジャーニーのメンバーであるニール・ショーンのソロ・アルバムにも参加している。彼のソロ活動には、2016年以降のクリスチャン・ミュージックへの転向後の作品も含まれている。
ケインは、妻のポーラ・ホワイトが牧師を務めるシティ・オブ・デスティニーで礼拝リーダーを務めている[7]。
2018年5月、ケインは自伝『Don't Stop Believin': The Man, the Band, and the Song That Inspired Generations』を出版し、作家となった[8]。
私生活
[編集]ケインは3回結婚している。最初の妻は歌手のテイン・マクルーアで、1983年のヒット曲「時への誓い (Faithfully)」を彼女のために書いた。
1989年、2番目の妻エリザベス・イヴェット・フラートンと結婚し、マディソン(1993年)、双子のリザとウェストン(1996年)の3人の子供がいる[1]。2人は2014年末に離婚した。マディソンはスティーヴ・ルカサーの息子トレヴァー・ルカサーと結婚している[9]。
2015年4月、牧師のポーラ・ホワイトと結婚した[10]。2人にとって3度目の結婚。2人はフロリダ州アポプカに住んでいる。
ジョナサンにはトーマスとハロルドという2人の弟がいる[1]。
ケインとデヴィッド・カルムスキーはテネシー州ナッシュビルのレコーディング・スタジオ、アディクション・サウンドを設計・建設した。
ケインは敬虔なクリスチャンで、それがクリスチャン・ミュージックの創作と発信の仕事に反映されていると考えている[11]。
2022年11月、ケインはドナルド・トランプの邸宅マー・ア・ラゴでのパーティーで、自身が共同作曲した「ドント・ストップ・ビリーヴィン」を披露した。ジャーニーのバンドメイト、ニール・ショーンの弁護士はケインに手紙を送り、政治的なイベントで演奏することで「ジャーニー・ブランド」を傷つけたと非難し、そのようなイベントでジャーニーを代表するのを控えるよう求めた[12]。
ディスコグラフィ
[編集]リーダー・アルバム
[編集]- 『ウィンディー・シティー・ブレイクダウン』 - Windy City Breakdown (1977年、Bearsville/Wounded Bird) ※ジョナサン・ケイン・バンド名義
- 『バック・トゥ・ジ・イノセンス』 - Back to the Innocence (1995年、Intersound)
- 『ピアノのある風景』 - Piano with a View (1995年、Higher Octave) ※旧邦題『ピアノ・ウィズ・ア・ヴュー』
- 『ボディ・ランゲージ』 - Body Language (1997年、Higher Octave)
- 『フォー・ア・ライフ・タイム』 - For a Lifetime (1998年、Higher Octave)
- Namaste (2001年、Wildhorse)
- Anthology (2001年、One Way)
- Animated Movie Love Songs (2002年、One Way)
- Bare Bones (2004年、AAO)
- Where I Live (2006年、AAO)
- What God Wants to Hear (2016年、Identity)
- Unsung Noel (2017年)
- The Songs You Leave Behind (2018年)
- More Like Jesus (2019年)
- Piano Worship (2020年)
- Freedom In Your Grace (2020年)
- Arise (2022年)
- Christmas is Love (2022年)
シングル
[編集]- "Just What The Doctor Ordered"/"The Road That Leads to Nowhere" (1970年、Dial) ※ジョニー・リー名義
- "Travelin' Rock N' Roll Band"/"Song Of The City" (1972年、Dial) ※ジョニー・リー名義
- "Til It's Time to Say Goodbye"/"Ladies' Night" (1975年、October [OCT 1001-AS(BS)])
受賞歴
[編集]彼は、スティーヴ・ペリーと共作した「オープン・アームズ」と「クライング・ナウ (Who's Crying Now)」で、2つのBMIソングライター賞を受賞した。ペリーとショーンと共作したジャーニーの曲「ラヴ・ア・ウーマン (When You Love a Woman)」は、1997年のグラミー賞にノミネートされた。
脚注
[編集]- ^ a b c d “Jonathan Cain Biography”. jonathancain.com (2003年). August 20, 2006時点のオリジナルよりアーカイブ。July 7, 2020閲覧。
- ^ “Inductees: Journey”. Rock & Roll Hall of Fame. December 20, 2016閲覧。
- ^ “The Jonathan Cain Picture Pages”. Superiorpics.com. February 3, 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。June 6, 2017閲覧。
- ^ Illinois Entertainer. (September 1981).
- ^ Daniels 2011, pp. 48–51.
- ^ “Don't Stop Believin' - Journey - Song Info”. AllMusic. June 2, 2018閲覧。
- ^ “Jonathan Cain” (英語). Paula White Ministries. 2021年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。August 25, 2020閲覧。
- ^ Greene, Andy (April 26, 2018). “Journey Keyboardist Jonathan Cain's New Memoir: 10 Things We Learned” (英語). Rolling Stone. オリジナルの2020-08-08時点におけるアーカイブ。 August 25, 2020閲覧。.
- ^ “Madison Friga-Cain and Trev Lukather”. Zola. 2024年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月16日閲覧。
- ^ “Megachurch pastor Paula White marries 'Don't Stop Believin' rocker Jonathan Cain”. Christian Today (April 30, 2015). June 6, 2017閲覧。
- ^ Strong, Amber C. (February 14, 2017). “Rock Star Jonathan Cain's Journey to Christ” (英語). オリジナルの2023年4月5日時点におけるアーカイブ。 August 25, 2020閲覧。
- ^ Sisario, Ben (2022年12月22日). “Journey Guitarist to Bandmate Who Played for Trump: No Political Gigs” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331 2022年12月22日閲覧。
出典
[編集]- Daniels, Neil (2011). The Untold Story of Journey. London: Omnibus Press. ISBN 978-1-84938-657-9
- Cain, Jonathan (2018). Don't Stop Believin': The Man, the Band, and the Song that Inspired Generations. Grand Rapids: Zondervan. ISBN 9780310351955