ジョン・アースキン (第21代マー伯爵)
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第21代マー伯爵[注釈 1]ジョン・アースキン(英語: John Erskine, 21st Earl of Mar、1668年9月没)は、スコットランド貴族、軍人。1634年から1654年までアースキン卿の儀礼称号を使用した[3]。
生涯
[編集]第20代マー伯爵ジョン・アースキンとクリスチャン・ヘイ(Christian Hay、1668年5月24日没、第9代エロル伯爵フランシス・ヘイの娘)の息子として生まれた[3]。
1640年にはスコットランド軍で戦っていたが、1641年にチャールズ2世側に寝返り、1645年9月13日のフィリップホフの戦いにも参戦した[3]。チャールズ2世側についた結果、24,000マークの罰金を課された[3]。
1654年に父が死去すると、マー伯爵の爵位を継承したが、父の代に没収された領地は1660年の王政復古でようやく返還された[3]。王政復古の時点ですでに目が見えなくなったが、1661年1月1日のスコットランド議会開会式で宝剣を持つ役割を務めた[3]。
1668年9月に死去、息子チャールズが爵位を継承した[3]。
家族
[編集]1641年、エリザベス・スコット(Elizabeth Scott、1621年11月 – 1647年7月23日以前、の娘)と結婚した[2]。
1647年10月8日、メアリー・マッケンジー/ジーン・マッケンジー(Mary Mackenzie[3]/Jean Mackenzie[2]、1668年5月没[3]/1674年9月15日以降没[2]、第2代シーフォース伯爵ジョージ・マッケンジーの娘)と再婚、2男3女をもうけた[2]。
- チャールズ(1650年 – 1689年) - 第22代マー伯爵
- ジョージ(1676年6月21日没)
- バーバラ(1690年8月没) - 1670年9月7日、第2代ダグラス侯爵ジェイムズ・ダグラスと結婚、子供あり
- メアリー(1695年以前没) - 1673年8月5日、第11代グレンカーン伯爵ジョン・カニンガムと結婚、子供あり
- ソフィア(1734年6月以降没) - 1676年、第3代ピットスリゴのフォーブス卿アレクサンダー・フォーブスと結婚、子供あり
注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Round, John Horace (1911). . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 17 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 665–666.
- ^ a b c d e "Mar, Earl of (S, 1114)". Cracroft's Peerage (英語). 18 March 2013. 2019年11月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 235–236.
スコットランドの爵位 | ||
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先代 ジョン・アースキン |
マー伯爵 1654年 – 1668年 |
次代 チャールズ・アースキン |