ジョン・ウィンゲイト・ウィークス (陸軍長官)
ジョン・ウィンゲイト・ウィークス John Wingate Weeks | |
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生年月日 | 1860年4月11日 |
出生地 | ニューハンプシャー州ランカスター |
没年月日 | 1926年7月12日 (66歳没) |
死没地 | ニューハンプシャー州ランカスター |
出身校 | 海軍兵学校 |
現職 | 銀行家 |
所属政党 | 共和党 |
配偶者 | マーサ・アローリン・シンクレア |
アメリカ合衆国上院議員 | |
選挙区 | マサチューセッツ州 |
在任期間 | 1913年3月4日 - 1919年3月4日 |
選挙区 | マサチューセッツ州第12選挙区 |
在任期間 | 1905年3月4日 - 1913年3月4日 |
選挙区 | マサチューセッツ州第13選挙区 |
在任期間 | 1913年3月4日 - 1913年3月4日 |
第48代 アメリカ合衆国陸軍長官 (1921年3月5日 - 1925年10月13日) |
ジョン・ウィンゲイト・ウィークス(英語: John Wingate Weeks, 1860年4月11日 - 1926年7月12日)は、アメリカ合衆国の政治家。共和党に所属し、1905年から1913年まで連邦下院議員、1913年から1919年まで連邦上院議員、1921年から1925年まで陸軍長官を務めた。
生い立ちと初期の経歴
[編集]1860年4月11日、ニューハンプシャー州ランカスターにおいて誕生した。父親はウィリアム・デニス・ウィークス (William Dennis Weeks, 1818-1885)、母親はメアリー・ヘレン・ファウラー (Mary Helen Fowler) であった[1]。地元の公立学校で教育を受け、続いて教職を1年務めた[2]。 ウィークスは1881年にメリーランド州アナポリスの海軍兵学校を卒業し、その後アメリカ海軍で士官候補生として2年間勤務した[3]。 1883年に海軍を離れた後はフロリダ州に移り、土木建築および測量の専門家として働いた[2]。1885年から1888年まではオーランド消防局で一等主任を務め[2]、また1886年から1888年まではフロリダ南部鉄道で土地事務長補を務めた[4]。
政治への関与
[編集]ウィークスは1888年にボストンで金融会社 Hornblower and Weeks を共同設立した。堅実で安定した経営を行い、1890年代に銀行経営で財を築いた。次第に、ウィークスは政治に積極的に関与するようになった。最初は地方レベルでの政治に関与し、マサチューセッツ州ニュートンにおいて1899年から1902年まで市会議員を、1903年から1904年まで市長を務めた。ウィークスはその後、国政に関与するようになった。
連邦議会
[編集]ウィークスは連邦下院議員および連邦上院議員として、アメリカ国有林制度の主要部分の設計を行った。1911年のウィークス法では、森林火災防止に関する州政府への補助金の支援など、国有林保全に関わる制度を確立した[5]。
ウィークスは共和党に所属し、1905年3月から1913年3月までマサチューセッツ州選出連邦下院議員を、1913年3月から1919年3月までマサチューセッツ州選出連邦上院議員を務めた。ウィークスは第59議会から第60議会にかけて国務省歳出委員会の委員長を、第61議会に郵政委員会委員長を、第65議会に不要政府書類整理委員会の委員長を務めた[2]。
陸軍長官
[編集]ウィークスは1918年の上院議員選挙で敗北を喫したが、その後も継続して共和党内での国政への影響を残した。1920年の大統領選挙ではウォレン・ハーディングの立候補を早い時期から支持し、ハーディングが大統領に選出されるとウィークスは陸軍長官に指名された。
陸軍長官として、ウィークスは有能で実直で、尊敬を受ける行政官であった。ウィークスは大統領の良き助言者として、第一次世界大戦後の陸軍省の人員削減を導いた。1925年4月、ウィークスは長時間の激務により卒中を引き起こした。そして同年10月、陸軍長官を辞任した。
晩年
[編集]陸軍長官退任から9ヵ月後の1926年7月12日、ウィークスはニューハンプシャー州ランカスターにある避暑用の別荘「マウント・プロスペクト」において死去した。
ウィークスの別荘「マウント・プロスペクト」は、ウィークス州立公園の一部として、観光客向けに公開されている。この近郊にある山は、ウィークスにちなんで「ウィークス山」と名づけられた。
ウィークスの業績を讃えて海軍はラッデロウ級護衛駆逐艦の1隻をウィークス (USS Weeks, DE-285) と命名したが、その建造は1944年にキャンセルされた。その後アレン・M・サムナー級駆逐艦の10番艦がジョン・W・ウィークス (USS John W. Weeks, DD-701) と命名された。ジョン・W・ウィークスは1944年に就役し、1970年に退役した。
家族
[編集]ウィークスは1885年10月7日にマーサ・アローリン・シンクレア (Martha Aroline Sinclair) と結婚した[6]。ウィークスはマーサとの間に以下の子供を儲けた。
- チャールズ・シンクレア・ウィークス (Charles Sinclair Weeks, 1893-1972) - 第13代アメリカ合衆国商務長官。
参考文献
[編集]- Garraty, John A. and Mark C. Carnes. American National Biography, vol. 22, "Weeks, John Wingate". New York : Oxford University Press, 1999.
参照
[編集]- ^ The Family Trails -- Descendants of John Wyck - weeg36.htm - Generated by Personal Ancestral File
- ^ a b c d Biographical Directory of the United States Congress
- ^ U.S. Army Center of Military History
- ^ The Papers of John Wingate Weeks at Dartmouth College
- ^ 大田伊久雄『アメリカ国有林管理の史的展開』114頁, 京都大学学術出版会, 2000年. ISBN 9784876980901
- ^ RootsWeb's WorldConnect Project: D. B. Robinson's Genealogy Database
外部リンク
[編集]- United States Congress. "ジョン・ウィンゲイト・ウィークス (id: W000246)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
- U.S. Army Center of Military History
- John W. Weeks (1860-1926) (Biographical page from Forest History Society website)
アメリカ合衆国下院 | ||
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先代 サミュエル・L・パワーズ |
マサチューセッツ州選出下院議員 マサチューセッツ州12区 1905年 - 1913年3月4日 |
次代 ジェームズ・M・カーレイ |
先代 ウィリアム・S・グリーン |
マサチューセッツ州選出下院議員 マサチューセッツ州13区 1913年3月4日 |
次代 ジョン・J・ミッチェル |
アメリカ合衆国上院 | ||
先代 ウィンスロップ・M・クレイン |
マサチューセッツ州選出上院議員(第2部) 1913年3月4日 - 1919年 同職:ヘンリー・カボット・ロッジ |
次代 デヴィッド・I・ウォルシュ |
公職 | ||
先代 エドワード・L・ピカード |
ニュートン市長 1902年 - 1903年 |
次代 アロンゾ・R・ウィード |
先代 ニュートン・ディール・ベイカー |
アメリカ合衆国陸軍長官 Served under: ウォレン・ハーディング, カルビン・クーリッジ 1921年3月5日 – 1925年10月13日 |
次代 ドワイト・フィリー・デイヴィス |
受賞や功績 | ||
先代 フランク・オレン・ロウデン |
タイム誌の表紙を飾った人物 1923年10月22日 |
次代 ロイ・チャップマン・アンドリュース |