コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ジョン・ウォロップ (第2代ポーツマス伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第2代ポーツマス伯爵ジョン・ウォロップ英語: John Wallop, 2nd Earl of Portsmouth1742年6月29日1797年5月16日)は、グレートブリテン王国の貴族。1749年から1762年までリミントン子爵儀礼称号を使用した。

生涯

[編集]

リミントン子爵ジョン・ウォロップ(1718年 – 1749年、初代ポーツマス伯爵ジョン・ウォロップの長男)とキャサリン・コンデュイット(Catherine Conduitt、1721年頃 – 1750年4月15日、ジョン・コンデュイットの娘)の息子として、1742年6月29日に生まれた[1]。1755年10月1日、オックスフォード大学よりDCL英語版の学位を授与された[2]。1762年11月22日に祖父が死去すると、ポーツマス伯爵の爵位を継承した[1]

父からアンドーヴァー選挙区英語版ウィットチャーチ選挙区英語版への影響力を継承したが、1774年までにウィットチャーチ選挙区での影響力を失った[3][4]

1797年5月16日に死去、長男ジョン英語版が爵位を継承した[1]

家族

[編集]

1763年8月27日、ユラニア・フェローズ(Urania Fellowes、1743年1月18日 – 1812年1月29日、コールソン・フェローズの娘)と結婚[1]、3男2女をもうけた[5]

  • ジョン英語版(1767年 – 1853年) - 第3代ポーツマス伯爵。子供なし
  • ニュートン英語版(1772年 – 1854年) - 第4代ポーツマス伯爵、庶民院議員。子供あり
  • コールソン英語版(1774年 – 1807年8月31日) - 庶民院議員。1802年4月4日、キャサリン・タウンリー・キーティング(Catherine Townley Keatinge、モーリス・キーティングの娘)と結婚
  • ユラニア・アナベラ(1844年12月17日没)
  • ヘンリエッタ・ドロシア(1780年 – 1862年6月10日) - 1816年1月19日、ジョン・コミンズ・チャーチル(John Comyns Churchill)と結婚

出典

[編集]
  1. ^ a b c d Cokayne, George Edward, ed. (1898). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (U to Z, appendix, corrigenda, occurrences after 1 January 1898, and general index to notes, &c.) (英語). Vol. 8 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 280–281.
  2. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (英語). Vol. 4. Oxford: University of Oxford. p. 1491.
  3. ^ Namier, Sir Lewis; Brooke, John, eds. (1964). "Andover". The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年10月5日閲覧
  4. ^ Namier, Sir Lewis; Brooke, John, eds. (1964). "Whitchurch". The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年10月5日閲覧
  5. ^ "Portsmouth, Earl of (GB, 1743)". Cracroft's Peerage (英語). 31 December 2017. 2019年10月5日閲覧
グレートブリテンの爵位
先代
ジョン・ウォロップ
ポーツマス伯爵
1762年 – 1797年
次代
ジョン・ウォロップ英語版