ジョン・ウォロップ (第2代ポーツマス伯爵)
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第2代ポーツマス伯爵ジョン・ウォロップ(英語: John Wallop, 2nd Earl of Portsmouth、1742年6月29日 – 1797年5月16日)は、グレートブリテン王国の貴族。1749年から1762年までリミントン子爵の儀礼称号を使用した。
生涯
[編集]リミントン子爵ジョン・ウォロップ(1718年 – 1749年、初代ポーツマス伯爵ジョン・ウォロップの長男)とキャサリン・コンデュイット(Catherine Conduitt、1721年頃 – 1750年4月15日、ジョン・コンデュイットの娘)の息子として、1742年6月29日に生まれた[1]。1755年10月1日、オックスフォード大学よりDCLの学位を授与された[2]。1762年11月22日に祖父が死去すると、ポーツマス伯爵の爵位を継承した[1]。
父からアンドーヴァー選挙区とウィットチャーチ選挙区への影響力を継承したが、1774年までにウィットチャーチ選挙区での影響力を失った[3][4]。
1797年5月16日に死去、長男ジョンが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1763年8月27日、ユラニア・フェローズ(Urania Fellowes、1743年1月18日 – 1812年1月29日、コールソン・フェローズの娘)と結婚[1]、3男2女をもうけた[5]。
- ジョン(1767年 – 1853年) - 第3代ポーツマス伯爵。子供なし
- ニュートン(1772年 – 1854年) - 第4代ポーツマス伯爵、庶民院議員。子供あり
- コールソン(1774年 – 1807年8月31日) - 庶民院議員。1802年4月4日、キャサリン・タウンリー・キーティング(Catherine Townley Keatinge、モーリス・キーティングの娘)と結婚
- ユラニア・アナベラ(1844年12月17日没)
- ヘンリエッタ・ドロシア(1780年 – 1862年6月10日) - 1816年1月19日、ジョン・コミンズ・チャーチル(John Comyns Churchill)と結婚
出典
[編集]- ^ a b c d Cokayne, George Edward, ed. (1898). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (U to Z, appendix, corrigenda, occurrences after 1 January 1898, and general index to notes, &c.) (英語). Vol. 8 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 280–281.
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (英語). Vol. 4. Oxford: University of Oxford. p. 1491.
- ^ Namier, Sir Lewis; Brooke, John, eds. (1964). "Andover". The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年10月5日閲覧。
- ^ Namier, Sir Lewis; Brooke, John, eds. (1964). "Whitchurch". The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年10月5日閲覧。
- ^ "Portsmouth, Earl of (GB, 1743)". Cracroft's Peerage (英語). 31 December 2017. 2019年10月5日閲覧。
グレートブリテンの爵位 | ||
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先代 ジョン・ウォロップ |
ポーツマス伯爵 1762年 – 1797年 |
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