ジョン・キング (第2代キング男爵)
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第2代キング男爵ジョン・キング(英語: John King, 2nd Baron King FRS、1706年1月13日洗礼 – 1740年2月10日)は、グレートブリテン王国の貴族、政治家。
生涯
[編集]初代キング男爵ピーター・キングとアン・セイズ(Anne Seys、1689年頃 – 1767年7月1日、リチャード・セイズの娘)の長男として生まれ、1706年1月13日にセント・クレメント・デーンズで洗礼を受けた[1]。1723年11月15日、ケンブリッジ大学クレア・カレッジに入学、同年にM.A.の学位を修得した[2]。
1727年イギリス総選挙で与党ホイッグ党の候補としてローンストン選挙区から出馬、当選を果たした[3]。以降は与党の一員として投票したが、消費税法案の議決では欠席した[3]。1734年イギリス総選挙ではローンストン選挙区とエクセター選挙区の両方で当選したが[3]、どちらの代表として議員を務めるかを決める前の1734年7月22日に父が死去したため、キング男爵の爵位を継承[1]、庶民院議員を退任した。
1735年1月9日、王立協会フェローに選出された[4]。また、1726年から1740年までOut-Ranger of Windsor Forestを務めた[3]。
戦列艦ルビーに乗ってポルトガル王国へ療養に行く途上、1740年2月10日にリスボン沖で死去した[1][3]。オッカムで埋葬された[1]。弟ピーターが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1726年5月、エリザベス・フライ(Elizabeth Fry、1711年5月3日 – 1734年1月28日、ジョン・フライの娘)と結婚した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire (英語). Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 275–276.
- ^ "John KING (KN723J)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ a b c d e Cruickshanks, Eveline (1970). "KING, John (1706-40).". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年8月25日閲覧。
- ^ "King; John (1706 - 1740); 2nd Baron King of Ockham". Record (英語). The Royal Society. 2019年8月25日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 ヘンリー・ヴェイン ジョン・フレンド |
庶民院議員(ローンストン選挙区選出) 1727年 – 1734年 同職:アーサー・トレメイン 1727年 – 1734年 サー・ウィリアム・モーリス準男爵 1734年 |
次代 アーサー・トレメイン サー・ウィリアム・モーリス準男爵 |
先代 フランシス・ドルー ジョン・ベルフィールド |
庶民院議員(エクセター選挙区選出) 1734年 同職:トマス・ボール |
次代 トマス・ボール サー・ヘンリー・ノースコート準男爵 |
公職 | ||
先代 リチャード・マンデン |
Out-Ranger of Windsor Forest 1726年 – 1740年 |
次代 キング男爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ピーター・キング |
キング男爵 1734年 – 1740年 |
次代 ピーター・キング |