ジョン・ケネディ (第2代ケネディ卿)
第2代ケネディ卿ジョン・ケネディ(英語: John Kennedy, 2nd Lord Kennedy PC、1454年10月12日以前 – 1508年7月24日以降)は、スコットランド貴族。
生涯
[編集]初代ケネディ卿ギルバート・ケネディと1人目の妻キャサリン(Katherine、旧姓マクスウェル(Maxwell)、初代マクスウェル卿ハーバート・マクスウェルの娘)の長男として[1]、1454年10月12日までに生まれた[2]。
1479年ごろに父が死去すると、ケネディ卿位を継承した[3]。
ジェームズ3世の治世にスコットランド枢密院の枢密顧問官を務め[2]、1484年9月21日にノッティンガムでスコットランド王国とイングランド王国が3年間の休戦協定を締結したときはスコットランド側の保証人の1人を務めた[1]。1485年4月18日にイングランドとの講和交渉におけるスコットランド代表8人のうちの1人として、イングランドへのセーフ・コンダクトを与えられ、1486年7月3日にはイングランドとの3年間の休戦協定締結を目的として、ヘンリー7世へのスコットランド代表として派遣された[1]。
父が初代バカン伯爵ジェームズ・ステュアートから購入したTraboyachの領地を取得したが、父の債務も継承しており、結果としては父と同じく借金返済が遅れがちになった[1]。1505年2月12日にギルバート・ケネディ(Gilbert Kennedy)からCoiffの領地を購入した[1]。
1508年7月24日と1509年5月23日に死去、息子デイヴィッドが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1460年3月25日までにエリザベス・モンゴメリー(Elizabeth Montgomerie、初代モンゴメリー卿アレグザンダーモンゴメリーの娘)と結婚、1男1女をもうけた[1]。
- デイヴィッド(1471年以前 – 1513年9月9日) - 第3代ケネディ卿、初代カセルス伯爵[1][2]
- キャサリン(Katherine、1488年以降没) - 1465年9月15日にトマス・ケネディ(Thomas Kennedy、ギルバート・ケネディの息子)と結婚、子供あり[1]
1467年8月24日と1471年4月12日の間にエリザベス・ヘイ(Elizabeth Hay、1500年4月17日没、初代ハントリー伯爵アレグザンダー・ゴードンの娘、第2代エロル伯爵ニコラス・ヘイの未亡人)と再婚[2]、3男4女をもうけた[1]。
- アレグザンダー(1506年以降没) - 庶子アレグザンダーとジョージが1542年7月6日にスコットランド王ジェームズ5世により嫡子として承認された[1]。息子ヒューはスコットランド女王メアリー1世の治世に活躍した人物である[1]
- ジョン(1481年7月以前 – 1508年11月以降[1])
- ウィリアム(1481年7月以前[1] – ?)
- エリザベス - サー・ウィリアム・コルヴィル(Sir William Colville)と結婚したが、2人の結婚は近親婚を理由に1498年8月までに解消された[1]。娘エリザベスが嫡子かどうかについて争われたが、庶子として認定されることはなかった[1]
- ジャネット(1543年以降没) - 1492年にアレグザンダー・ゴードン(Alexander Gordon、ジョン・ゴードンの息子)と婚約したが、2人は1497年9月25日時点でも正式に結婚していなかった[1]。1498年には(ジャネット自身の主張によれば)第5代アンガス伯爵アーチボルド・ダグラスと結婚したが、彼女がアンガス伯爵夫人として呼称された記録はなかった[1]。1499年ごろにスコットランド王ジェームズ4世の愛人になり、初代マリ伯爵ジェームズ・ステュアートをもうけた[1]。ジェームズ4世はジャネットが結婚しないことを条件にダーナウェイ城を与えたが、ジャネットはそれを破って1505年3月までに初代ボスウェル卿ジョン・ラムゼイと結婚したとされた[1]。ジャネットとボスウェル卿は1508年2月までに離婚した[1]
- マーガレット - 1500年2月4日までに初代エイヴォンデール卿アレグザンダー・ステュアートと結婚。2人の婚約に基づき、ケネディ卿は1502年3月7日に100スコットランド・ポンドの持参金支払いを決定した[1]
- ヘレン - ロバート・グラハム(Robert Graham、1528年没)と結婚、2女をもうけた[1]。1531年12月までにアダム・ボイド(Adam Boyd、アレグザンダー・ボイド閣下の息子)と再婚、子供あり[1]
その後、エリザベス・ケネディ(Elizabeth Kennedy、1533年5月以降没)と再婚したとされる[2]。また、『オックスフォード英国人名事典』では4度結婚したとしている[3]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x Paul, James Balfour, Sir, ed. (1905). The Scots Peerage (英語). Vol. II. Edinburgh: David Douglas. pp. 454, 456–460.
- ^ a b c d e Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 121.
- ^ a b MacQueen, Hector L. (28 September 2006) [23 September 2004]. "Kennedy family". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/54242。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
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