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ジョン・ケネディ (第2代ケネディ卿)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第2代ケネディ卿ジョン・ケネディ英語: John Kennedy, 2nd Lord Kennedy PC、1454年10月12日以前 – 1508年7月24日以降)は、スコットランド貴族

生涯

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初代ケネディ卿ギルバート・ケネディと1人目の妻キャサリン(Katherine、旧姓マクスウェル(Maxwell)、初代マクスウェル卿ハーバート・マクスウェルの娘)の長男として[1]、1454年10月12日までに生まれた[2]

1479年ごろに父が死去すると、ケネディ卿位を継承した[3]

ジェームズ3世の治世にスコットランド枢密院英語版の枢密顧問官を務め[2]、1484年9月21日にノッティンガムスコットランド王国イングランド王国が3年間の休戦協定を締結したときはスコットランド側の保証人の1人を務めた[1]。1485年4月18日にイングランドとの講和交渉におけるスコットランド代表8人のうちの1人として、イングランドへのセーフ・コンダクトを与えられ、1486年7月3日にはイングランドとの3年間の休戦協定締結を目的として、ヘンリー7世へのスコットランド代表として派遣された[1]

父が初代バカン伯爵ジェームズ・ステュアート英語版から購入したTraboyachの領地を取得したが、父の債務も継承しており、結果としては父と同じく借金返済が遅れがちになった[1]。1505年2月12日にギルバート・ケネディ(Gilbert Kennedy)からCoiffの領地を購入した[1]

1508年7月24日と1509年5月23日に死去、息子デイヴィッドが爵位を継承した[1]

家族

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1460年3月25日までにエリザベス・モンゴメリー(Elizabeth Montgomerie初代モンゴメリー卿アレグザンダーモンゴメリー英語版の娘)と結婚、1男1女をもうけた[1]

  • デイヴィッド(1471年以前 – 1513年9月9日) - 第3代ケネディ卿、初代カセルス伯爵[1][2]
  • キャサリン(Katherine、1488年以降没) - 1465年9月15日にトマス・ケネディ(Thomas Kennedy、ギルバート・ケネディの息子)と結婚、子供あり[1]

1467年8月24日と1471年4月12日の間にエリザベス・ヘイ(Elizabeth Hay、1500年4月17日没、初代ハントリー伯爵アレグザンダー・ゴードン英語版の娘、第2代エロル伯爵ニコラス・ヘイの未亡人)と再婚[2]、3男4女をもうけた[1]

その後、エリザベス・ケネディ(Elizabeth Kennedy、1533年5月以降没)と再婚したとされる[2]。また、『オックスフォード英国人名事典』では4度結婚したとしている[3]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x Paul, James Balfour, Sir, ed. (1905). The Scots Peerage (英語). Vol. II. Edinburgh: David Douglas. pp. 454, 456–460.
  2. ^ a b c d e Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 121.
  3. ^ a b MacQueen, Hector L. (28 September 2006) [23 September 2004]. "Kennedy family". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/54242 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
スコットランドの爵位
先代
ギルバート・ケネディ
ケネディ卿
1479年ごろ – 1508年/1509年
次代
デイヴィッド・ケネディ