ジョン・シモンズ (歴史家)
ジョン・シモンズ(John Symonds、1730年1月28日 – 1807年2月18日)は、ケンブリッジ大学の現代史の教授(Regius Professor of History の前身)を務めた、イングランドの学者。
経歴
[編集]1730年1月28日に、サフォーク州ホリングスヒース (Horningsheath)(後のホリンガー)で、小教区の教区牧師を務めていた同名の父ジョン・シモンズ(1757年没)と、その妻で、パケナムの准男爵サー・ウィリアム・スプリング (Sir William Spring) の娘であったメアリ (Mary)(1774年没)との間の長男として生まれた[1][2]。
ケンブリッジ大学のセント・ジョンズ・カレッジに学び、1752年に学士(B.A.)を得て卒業した。1753年にピーターハウスのフェローに選ばれ、1754年に修士(M.A.)を得た。1747年には法曹院のひとつであるミドル・テンプルに入り、1756年に法曹資格を得た(Call to the bar)[1][3]。
1771年に、トマス・グレイが死去し、シモンズは現代史教授の後任に指名され、翌1772年には、勅許により法学博士(LL.D.)となって、トリニティ・カレッジに移った。1807年2月18日、シモンズは、レコーダー(地域裁判所判事)を務めていたベリー・セント・エドマンズで、未婚のまま死去し、パケナムに埋葬された[1]。
遺言によって、蔵書はケンブリッジの歴史図書館へ寄贈された。このため彼は、同図書館の創始者と見なされている[4]。
おもな著作
[編集]シモンズのおもな著作には以下がある[1]。
- Remarks on an Essay on the History of Colonisation (on a work by William Barron), London, 1778
- The Expediency of revising the Present Edition of the Gospels and Acts of the Apostles, Cambridge, 1789
- The Expediency of revising the Epistles, Cambridge, 1794
シモンズは、アーサー・ヤングの『農業年鑑 (Annals of Agriculture)』にも寄稿していた[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e Lee, Sidney, ed. (1898). . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 55. London: Smith, Elder & Co.
- ^ "Symonds, John (SMNS712J)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ "Symonds, John (SMNS747J)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ Endowments of the University of Cambridge. Cambridge University Press Archive. p. 184
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