ジョン・スティーヴンソン・ラウントリー
ジョン・スティーヴンソン・ラウントリー(John Stephenson Rowntree、1834年5月2日 - 1907年4月13日)は、ヨークの製菓会社ラウントリーズの役員、イギリスにおけるクエーカー運動の改革者。
ラウントリーは、父ジョセフ・ラウントリー(1801年 - 1859年)とその妻であった母サラ・スティーヴンソン(Sarah Stephenson、1807年 - 1888年)の間の長男として、1834年5月2日に生まれた[1]。
ラウントリーは、1858年8月25日に、エリザベス・ホウサム(Elizabeth Hotham、1835年 – 1875年)と結婚した。ふたりの間には、9人の子どもが生まれた。妻に先立たれた後、ラウントリーは1878年4月10日に、ヘレン・ドンカスター(Helen Doncaster、1833年 – 1920年)と再婚した。
ラウントリーの著書『Quakerism Past and Present』(1859年)は24歳のときに書かれた、19世紀イギリスのクエーカーの状況について分析した内容であり、いくつかの改革的主張を訴えたものであった[2]。ラウントリーは、ヨークにおけるクエーカーの教育を支援し、女性教師の育成や、より一般的に女性へのより高い教育への支援を行なった。1875年から1878年にかけては、『The Friend』の編集者も務めた。
ラウントリーは、熱心な植物学者であり、鋭敏な考古学者でもあり、ヨークの歴史の中でしばしば言及されている。1880年にはヨークのロード・メイヤーとなり、市財政の立て直しに尽力した。
ラウントリーは、1907年4月13日にロンドンで死去した。彼の死後、彼の書いた文章の一部が、回顧録とともに、フィービー・ドンカスター (Phoebe Doncaster) によってまとめられ『John Stephenson Rowntree, his life and work』として刊行された[3]。
脚注
[編集]- ^ ODNB article by Edward H. Milligan, ‘Rowntree, Joseph (1801–1859)’, [1] accessed 21 Jan 2007.
- ^ Allott, Stephen (1994). John Wilhelm Rowntree (1868-1905) and the beginnings of Modern Quakerism. York: Sessions Book Trust. pp. 29–30. ISBN 1-85072-137-8
- ^ Doncaster, Phoebe (1908). John Stephenson Rowntree, his life and work. London: Headley Brothers