コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ジョン・セシル (第5代エクセター伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第5代エクセター伯爵ジョン・セシル。ピーター・レリーの作品に基づくメゾチント

第5代エクセター伯爵ジョン・セシル英語: John Cecil, 5th Earl of Exeter1648年ごろ – 1700年8月29日)は、イングランド王国の貴族、政治家。1678年に爵位を継承するまでバーリー卿Lord Burghley)の儀礼称号を使用した。「旅する伯爵」(Travelling Earl)というあだ名で知られる。

生涯

[編集]
葬式での記念像。ピエール=エティエンヌ・モンノー英語版作、セント・マルティン教会英語版所蔵。

第4代エクセター伯爵ジョン・セシル(1628年 – 1678年2月1日)と1人目の妻フランシス(Frances、1630年12月2日 – 1669年12月2日、旧姓マナーズ(Manners)、第8代ラトランド伯爵ジョン・マナーズ英語版の娘)の息子として、1648年ごろに生まれた[1]スタンフォード・スクール英語版で教育を受けた後、1667年6月18日にケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ英語版に進学した[2]

地元のノーサンプトンシャーでは1670年から1684年ごろまで治安判事を務め[3]、1675年4月にノーサンプトンシャー選挙区英語版の補欠選挙でイングランド庶民院英語版に当選した[4]。おそらくは無投票当選だった[4]。議会では法案委員会10件に指名された一方、演説は1677年3月2日に義兄のキャヴェンディッシュ卿ウィリアム・キャヴェンディッシュ(のち初代デヴォンシャー公爵)を擁護した一度きりだった[3]。1678年2月1日に父からエクセター伯爵位を継承して、貴族院に移った[2][3]1679年3月イングランド総選挙英語版ではスタンフォード選挙区英語版で選挙活動をしたが、貴族院では活動が少なかった[3]。1688年の名誉革命ではウィリアム3世を支持したものの、以降はトーリー党の1人として、ウィリアム・アンド・メアリーへの宣誓を拒否した臣従宣誓拒否者英語版の1人になった[1][3]

有名なグランド・ツーリストであり、1679年、1683年、1699年の3度にわたって大陸ヨーロッパに向かい、イタリアで絵画を多数購入した[3]。邸宅であるバーリー・ハウス英語版はイタリア旅行で購入したものに満ちていた。

1700年8月29日に腹膜炎によりパリの近くで死去[3]、10月20日にスタンフォードのセント・マルティン教会英語版に埋葬された[1]。同名の息子ジョン・セシルが伯爵位を継承した[2]

家族

[編集]
妻アンの肖像画。ピーター・レリーの作品に基づくメゾチント、1690年ごろ。

1670年5月4日、アン・キャヴェンディッシュ(Anne Cavendish、1649年ごろ – 1703年6月10日、第3代デヴォンシャー伯爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの娘)と結婚[1]、4男4女をもうけた[3]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 219–220.
  2. ^ a b c "Cecil, John, Lord Burghley (CCL667J)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  3. ^ a b c d e f g h Ferris, John. P. (1983). "CECIL, John, Lord Burghley (c.1648-1700), of Burghley House, Northants.". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年1月26日閲覧
  4. ^ a b Edwards, E. R.; Ferris, John. P. (1983). "Northamptonshire". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年1月26日閲覧
  5. ^ Watson, Paula; Cruickshanks, Eveline (2002). "CECIL, John, Lord Burghley (1674-1721), of Burghley House, Northants.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年1月26日閲覧
  6. ^ Watson, Paula; Cruickshanks, Eveline (2002). "CECIL, Hon. William (bef.1682-1715), of Snape Hall, Yorks.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年1月26日閲覧
  7. ^ Cruickshanks, Eveline; Wynne, Sonya (2002). "CECIL, Hon. Charles (c.1683-1726).". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年1月26日閲覧
  8. ^ Hayton, D. W. (2002). "BOYLE, Hon. Charles II (1674-1731).". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年1月26日閲覧

外部リンク

[編集]
イングランド議会 (en
先代
ジャスティニアン・アイシャム準男爵英語版
ジョージ・クラーク
庶民院英語版議員(ノーサンプトンシャー選挙区英語版選出)
1675年 – 1678年
同職:ジョージ・クラーク
次代
ジョージ・クラーク
マイルズ・フリートウッド
イングランドの爵位
先代
ジョン・セシル
エクセター伯爵
1678年 – 1700年
次代
ジョン・セシル