ジョン・デービッド・ディーギュ・ラ・トゥッシュ
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ジョン・デービッド・ディーギュ・ラ・トゥッシュ(John David Digues La Touche、1861年6月5日 - 1935年5月6日)は、フランスのユグノーを先祖に持ち、イングランドで教育を受け、中国で役人として働き、引退後はアイルランドに住んだ鳥類学者である[1]。
略歴
[編集]フランス、アンドル=エ=ロワール県のトゥールで生まれた。ラ・トゥッシュ家はユグノーを先祖にもつ。教育はイングランドのバース近郊の町で受けた。南京条約で設けられた中国の西洋人が管理する関税徴収機関、清朝海事関税庁(Imperial Maritime Customs Service、大清皇家海関総税務司)で1821年から働き、1921年まで中国に住んだ。引退後はアイルランドのダブリンや、アイルランドの海岸の町Newtownmountkennedyなどに住んだ[1]。マヨルカ島で冬を過ごし、帰国中の船中で死亡した。
中国での役人の時代に、中国の鳥類などの動物の観察や標本を集め、著書、『中国東部の鳥類の手引き』("A Handbook of the Birds of eastern China":1925–1934)をロンドンの出版社から出版した[2] 。鳥類以外に爬虫類、哺乳類の標本も集めた[3]。中国固有のヒタキ科の鳥類 Niltava davidi などを記載した。
ロンドン自然史博物館のオールドフィールド・トーマスによって、スミイロオヒキコウモリ(Tadarida latouchei)の学名に献名された。
参考文献
[編集]- ^ a b “Obituary: John David Digues La Touche”. Ibis 77 (4): 889–890. (1935). doi:10.1111/j.1474-919X.1935.tb01642.x. October, 1935 issue.
- ^ “China (East & South)”. Avian Review. 31 October 2013閲覧。
- ^ Boulenger, George A. (1899). “On a collection of reptiles and batrachians made by Mr. J. D. La Touche in N.W. Fokien, China”. Proceedings of the Zoological Society of London 1899: 159-172 .