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ジョン・パーカー (初代ボリンドン男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョシュア・レノルズによる肖像画、1770年ごろ。

初代ボリンドン男爵ジョン・パーカー英語: John Parker, 1st Baron Boringdon FRS1735年? – 1788年4月27日)は、グレートブリテン王国の政治家、貴族。トーリー党に所属し、1761年から1784年まで庶民院議員を務めた[1]

生涯

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ジョン・パーカー(John Parker、1768年4月18日没、ジョージ・パーカーの息子[2])と妻キャサリン(Catherine、旧姓ポーレット(Poulett)、初代ポーレット伯爵ジョン・ポーレットの娘)の息子として、1735年ごろに生まれた[3]。1753年10月23日、オックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[4]

1761年イギリス総選挙では第2代シェルバーン伯爵ウィリアム・ペティ第3代ビュート伯爵ジョン・ステュアートの後援を受けて、パーカーのボドミン選挙区英語版での当選を手配した[1]。1762年5月に議員を辞任して、代わりにビュート伯爵の後援を受けてデヴォン選挙区英語版の補欠選挙に出馬、当選を果たした[1]。以降1768年1774年1780年に再選した[5]

ヘンリー・フォックスが1762年12月に作成した議員リストによれば、七年戦争の予備講和条約を支持した[1]。1764年2月に一般逮捕状をめぐる採決で野党に同調して投票した[1]。この時期に作成された議員リストでは分類が異なることが多く、初代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=ホリスの分類では「確実な友」(sure friend、1764年5月)、第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトソン=ウェントワースの分類では「支持」(pro、1765年7月)と「チャタム派」(Chatham、1766年11月)とされた[1]。『英国議会史英語版』によれば、実際にはトーリー党所属でカントリのジェントルマンとして投票し、グラフトン公爵内閣期(1768年 – 1770年)とノース内閣期(1770年 – 1782年)では常に野党に同調して投票した[1]シェルバーン伯爵内閣期(1782年 – 1783年)では1783年2月にアメリカ独立戦争の予備講和条約に賛成票を投じ、フォックス=ノース連立内閣期(1783年)では5月に選挙法改正に賛成票を投じ、11月に採決にかけられたチャールズ・ジェームズ・フォックスの東インド法案には投票しなかった[1]

1767年4月9日、王立協会フェローに選出された[6]

1784年イギリス総選挙で投票せずに議員を退任[1]、同年5月18日にグレートブリテン貴族であるデヴォンシャーにおけるボリンドンのボリンドン男爵に叙された[3][7]

1788年4月27日、デヴォンにある自邸で死去、息子ジョン英語版が爵位を継承した[3]

家族

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2人目の妻テリーザ英語版の肖像画。ジョシュア・レノルズ画、1770年から1772年ごろ。

1764年1月10日、フランシス・ホート(Frances Hort、1764年没、聖職者ジョサイア・ホート英語版の娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[3]

1769年5月18日、テリーザ・ロビンソン英語版(1745年1月1日 – 1775年12月21日、初代グランサム男爵トマス・ロビンソンの娘)と再婚[3]、1男1女をもうけた[1]

競馬

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ボリンドン男爵は下記の優勝馬を所有した。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j Namier, Sir Lewis (1964). "PARKER, John (?1735-88), of Boringdon, Devon". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月1日閲覧
  2. ^ a b Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. pp. 1438–1439.
  3. ^ a b c d e Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 220.
  4. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (L to R) (英語). Vol. 3. Oxford: University of Oxford. p. 1067.
  5. ^ Cannon, J. A. (1964). "Devon". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月1日閲覧
  6. ^ "Parker; John (c 1735 - 1788); 1st Baron Boringdon". Record (英語). The Royal Society. 2021年8月1日閲覧
  7. ^ "No. 12541". The London Gazette (英語). 8 May 1784. p. 1.
  8. ^ Norgate, Gerald le Grys (1895). "Parker, John (1772-1840)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 43. London: Smith, Elder & Co. pp. 248–250.
  9. ^ Thorne, R. G. (1986). "VILLIERS, Hon. George (1759-1827), of Portman Square, Mdx.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月1日閲覧
  10. ^ Muir, J. B. (1890). Raciana, Or, Raiders' Colours of the Royal, Foreign, and Principal Patrons of the British Turf from 1762 to 1883 (英語). London: J. B. Muir. p. 174.

外部リンク

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グレートブリテン議会英語版
先代
サー・ウィリアム・アービー準男爵英語版
ジョージ・ハント英語版
庶民院議員(ボドミン選挙区英語版選出)
1761年 – 1762年
同職:ジョージ・ハント英語版
次代
ジョージ・ハント英語版
サー・クリストファー・トレイス
先代
サー・ウィリアム・コートネイ準男爵
サー・リチャード・バンプフィールド準男爵英語版
庶民院議員(デヴォン選挙区英語版選出)
1762年 – 1784年
同職:サー・リチャード・バンプフィールド準男爵英語版 1762年 – 1776年
ジョン・ウォルター 1776年 – 1779年
ジョン・ロール英語版 1780年 – 1784年
次代
ジョン・ロール英語版
ジョン・ポレックスフェン・バスタード英語版
グレートブリテンの爵位
爵位創設 ボリンドン男爵
1784年 – 1788年
次代
ジョン・パーカー