ジョン・ブラウン (第3代キルメイン男爵)
第3代キルメイン男爵ジョン・キャヴェンディッシュ・ブラウン(英語: John Cavendish Browne, 3rd Baron Kilmaine、1794年6月11日 – 1873年1月13日)は、アイルランド貴族。保守党に属し、1849年から1873年までアイルランド貴族代表議員を務めた[1]。
生涯
[編集]第2代キルメイン男爵ジェームズ・コールフィールド・ブラウンと妻アン(Anne、旧姓キャヴェンディッシュ(Cavendish)、1774年3月22日 – 1863年7月6日、第2代準男爵サー・ヘンリー・キャヴェンディッシュと初代ウォーターパーク女男爵サラ・キャヴェンディッシュの娘)の息子として、1794年6月11日にウェストミーズ県ゴールズトンで生まれ、7月30日に同地で洗礼を受けた[1]。1811年7月1日、ダブリン大学トリニティ・カレッジに入学した[1]。1825年5月23日に父が死去すると、キルメイン男爵位を継承した[1]。
1849年6月22日にアイルランド貴族代表議員に選出され[2]、1873年に死去するまで務めた[3]。貴族院では保守党に属した[1]。
1873年1月13日にダブリンで死去、18日にメイヨー県ニールで埋葬された[1]。
家族
[編集]1822年1月4日、イライザ・ライアン(Eliza Lyon、1834年12月1日没、デイヴィッド・ライアンの娘)と結婚[1]、3男4女をもうけた[4]。結婚にあたり、義父から29,000ポンド与えられた[5]。
- ジェームズ・ライアン(1822年11月19日 – 1860年9月5日) - イートン・カレッジで教育を受けた。陸軍の軍人で、クリミア戦争に参戦した。生涯未婚[1]。
- イザベラ・アン(1822年と1824年の間[6] – 1916年3月16日) - 1844年9月9日、第8代ボーモント男爵マイルズ・ステイプルトン(1854年8月16日没)と結婚、子供あり[4][7]。
- アグネス・ジョージアナ(1824年[6] – 1898年6月27日) - 1849年6月12日、第6代準男爵サー・ジョージ・サミュエル・アバークロンビー(1872年11月15日没)と結婚、子供あり[4]。
- ジョン・ハウ・モンタギュー(John Howe Montague、1828年3月14日 – 1860年6月3日) - 陸軍軍人、生涯未婚[1]。
- キャヴェンディッシュ(1830年1月15日 – 1855年3月22日) - 生涯未婚、セヴァストポリ包囲戦で戦死[1]。
- ルイーザ・キャサリン(1831年10月26日[6] – 1877年1月14日) - 1859年6月9日、ロバート・ヒギンソン・ボローズ(Robert Higginson Borrowes、1901年2月2日没)と結婚[4]。
- エミリー・アン(1833年3月14日 – 1923年9月29日) - 1853年6月20日、第2代ラーガン男爵チャールズ・ブラウンロー(1882年1月16日没)と結婚、子供あり[4][8]。
1839年9月3日、メアリー・ロウ(Mary Law、1816年1月21日 – 1888年4月23日、チャールズ・ユワン・ロウ閣下の娘)と再婚[1]、3男5女をもうけた[4]。
- メアリー・イリナ・フランシス(Mary Eleanor Frances、1841年3月22日[6] – 1869年10月28日) - 1861年6月17日、ジョージ・バゴット(George Bagot、1867年5月9日没)と結婚。1868年4月30日、トマス・アステル・セント・クィンティン(Thomas Astell St. Quintin、トマス・セント・クィンティンの息子)と再婚[4]。
- ジュリア・ソフィア(1842年5月21日[6] – 1909年2月15日) - 生涯未婚[4]。
- フランシス・ウィリアム(1843年3月24日 – 1907年11月9日) - 第4代キルメイン男爵[1]。
- エドワード・マイルズ・デイヴィッド(1844年10月22日 – 1878年7月27日) - 海軍軍人、生涯未婚[4]。
- ガートルード・イリナ・ウィルヘルミナ(Gertrude Eleanor Wilhelmina、1846年4月1日[6] – 1876年2月1日) - 生涯未婚[4]。
- イーヴリン(Evelyne、1848年1月5日[6] – 1878年4月22日) - 1867年11月20日、サー・オーウェン・テューダー・バーン(1909年2月3日没)と結婚、子供あり[4]。
- チャールズ・マシアス(Charles Matthias、1849年2月24日 – 1849年4月10日[6])
- アーサー・ヘンリー(1850年4月29日 – 1908年5月3日) - 1885年1月29日、クロティルダ・ジョージナ・ドン=ウォーコップ(Clotilde Georgina Don-Wauchope、1945年1月24日没、第8代準男爵サー・ジョン・ドン=ウォーコップの娘)と結婚、子供あり[9]。
- クレメンティナ(Clementina、1852年5月10日[6] – 1864年12月6日) - 生涯未婚[4]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Husee to Lincolnshire). Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 256.
- ^ "No. 20993". The London Gazette (英語). 29 June 1849. p. 2084.
- ^ "No. 23948". The London Gazette (英語). 14 February 1873. p. 638.
- ^ a b c d e f g h i j k l Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. pp. 1142–1143.
- ^ "John Cavendish Browne 3rd Baron Kilmaine". Legacies of British Slavery (英語). Centre for the Study of the Legacies of British Slavery. 2021年12月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i Lodge, Edmund (1858). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (27th ed.). London: Hurst and Blackett. pp. 326–327.
- ^ Swinhoe, E. M., ed. (1937). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council and Knightage (英語) (95th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 5.
- ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1932). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Lindley to Moate). Vol. 8 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 282.
- ^ Townend, Peter, ed. (1963). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (103rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 1355.
外部リンク
[編集]- "ジョン・ブラウンの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
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