ジョン・ブラウン (第4代スライゴ侯爵)
第4代スライゴ侯爵ジョン・トマス・ブラウン(英語: John Thomas Browne, 4th Marquess of Sligo、1824年9月10日 – 1903年12月30日)は、イギリスの貴族、政治家。自由党に所属し、庶民院議員(在任:1857年 – 1868年)を務めた[1]。1896年までジョン・ブラウン卿の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
[編集]第2代スライゴ侯爵ハウ・ピーター・ブラウンと妻ヘスター・キャサリン(Hester Catherine、旧姓ド・バーグ(de Burgh)、1800年1月16日 – 1878年2月17日、第13代クランリカード伯爵ジョン・トマス・ド・バーグの娘)の四男として、1824年9月10日にメイヨー県のウェストポート・ハウスで生まれ、10月2日にウェストポートで洗礼を受けた[1]。
ゴスポートの海軍学校で教育を受けた後、1837年にイギリス海軍に入隊した[1]。1843年12月31日に船員になるための試験に合格した後、航海士として測量船ビーコンに配属され、1846年5月21日に大尉としての任官令状を受けた[2]。1849年までに半給になり[2]、1850年12月に海軍から引退した[1]。最終階級は大尉[1]。
1857年イギリス総選挙でメイヨー選挙区から出馬して当選、1868年まで務めた[1]。1862年に下級大蔵卿への就任を打診されたが拒否した[1]。
1896年12月30日に兄ジョージ・ジョンが死去すると、スライゴ侯爵位を継承した[1]。
1903年12月30日に生涯未婚のままウェストポート・ハウスで死去、1904年1月2日にウェストポート墓地に埋葬された[1]。死去時点で118,000ポンド(2022年時点の£12,789,160と同等[3])の遺産を残した[1]。弟ヘンリー・ユリックが爵位を継承した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1953). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Skelmersdale to Towton) (英語). Vol. 12.1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 25–26.
- ^ a b O'Byrne, William R. (1849). . A Naval Biographical Dictionary (英語). London: John Murray. p. 135.
- ^ イギリスのインフレ率の出典はClark, Gregory (2024). "The Annual RPI and Average Earnings for Britain, 1209 to Present (New Series)". MeasuringWorth (英語). 2024年5月31日閲覧。
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ジョージ・ヘンリー・ムーア ロジャー・パーマー |
庶民院議員(メイヨー選挙区選出) 1857年 – 1868年 同職:ロジャー・パーマー 1857年 – 1865年 ビンガム卿 1865年 – 1868年 |
次代 ジョージ・ヘンリー・ムーア ビンガム卿 |
アイルランドの爵位 | ||
先代 ジョージ・ジョン・ブラウン |
スライゴ侯爵 1896年 – 1903年 |
次代 ヘンリー・ユリック・ブラウン |