ジョン・プロビー (初代カリスフォート男爵)
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初代カリスフォート男爵ジョン・プロビー(英語: John Proby, 1st Baron Carysfort, KB, PC(I)、1720年11月25日 - 1772年10月18日)は、イギリスの政治家でアイルランドの貴族。
経歴
[編集]1720年11月25日に庶民院議員ジョン・プロビーとその妻ジェーン(初代ゴア男爵ジョン・ルーソン=ゴアの娘)の息子として生まれる[1][2]
ケンブリッジ大学ジーザス・カレッジで学び、 バチェラー・オブ・アーツとマスター・オブ・アーツの学位を取得した[3][2]。インナー・テンプルでも学ぶ[3]。
1747年から1754年にかけてスタンフォード選挙区から選出されてホイッグ党所属のグレートブリテン王国議会庶民院議員を務める。ついで1754年から1768年にかけてはハンティンドンシャー選挙区から選出される[3][2]。
1752年1月23日にアイルランド貴族爵位カリスフォート男爵に叙せられた[1][2]。アイルランド貴族爵位であるため、グレートブリテン王国貴族院に列することはなかった。
1752年から1754年にかけてイングランド・首位グランドロッジのグランドマスターを務める[1][2]。
1752年4月から7月までと1763年から1765年まで海軍省政務次官(Lord of the Admiralty)を務める[3][2]。1758年にはアイルランド枢密顧問官に列する[1][2]。
栄典
[編集]爵位
[編集]- 1752年1月23日、ウィックロー県におけるカリスフォートの初代カリスフォート男爵 (Baron Carysfort, of Carysfort in the County of Wicklow)[1]
勲章
[編集]家族
[編集]1750年に第2代アレン子爵ジョシュア・アレンの娘エリザベスと結婚。彼女との間に以下の2子を儲ける[2][1]。
- 第1子(長男)ジョン・ジョシュア・プロビー (1751-1828) - 第2代カリスフォード男爵位を継承
- 第2子(長女)エリザベス・プロビー (1752-?) - トマス・ジェイムズ・ストアーと結婚。
出典
[編集]- ^ a b c d e f Heraldic Media Limited. “Carysfort, Baron (I, 1752 - 1909)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年10月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j Lundy, Darryl. “John Proby, 1st Baron Carysfort” (英語). thepeerage.com. 2015年10月1日閲覧。
- ^ a b c d "Proby, John (PRBY737J)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
グレートブリテン議会 | ||
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先代 ウィリアム・ノエル ジョン・プロビー |
スタンフォード選挙区 選出庶民院議員 1747年–1754年 同一選挙区同時当選者 バーリー卿 1747 ロバート・バーバー (1747年–1754年) |
次代 ロバート・バーバー ジョン・ハーヴィー=サースビー |
先代 コールソン・フェローズ エドワード・ワートリー・モンタギュー |
ハンティンドンシャー選挙区 選出庶民院議員 1754年–1768年 同一選挙区同時当選者 コールソン・フェローズ 1754–1761 マンデヴィル子爵 1761年–1762年 チャールズ・モンタギュー 1762–1765 ロバート・バーナード 1765–1768 |
次代 ヒンチングブルック子爵 初代ルドロー伯爵 |
フリーメイソン | ||
先代 第5代バイロン男爵 |
イングランド・首位グランドロッジ グランドマスター 1752年–1753年 |
次代 カーナーヴォン侯爵 |
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初代カリスフォート男爵 1752年–1772年 |
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