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ジョン・ボイル (第3代グラスゴー伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第3代グラスゴー伯爵ジョン・ボイル英語: John Boyle, 3rd Earl of Glasgow1714年11月4日1775年3月7日)は、スコットランド貴族

生涯

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第2代グラスゴー伯爵ジョン・ボイルとヘレン・モリソン(Helen Morison)の長男として生まれた[1]。1740年5月22日に父が死去するとグラスゴー伯爵の爵位を継承した[1]

1744年に第2竜騎兵連隊英語版コルネット英語版として入隊、同年からオーストリア継承戦争のフランドル戦役に参戦して1745年4月のフォントノワの戦いで負傷して[2]片腕を失った[3]。その後、第33歩兵連隊に転じ、1746年6月に大尉に昇進した後、1747年のラウフフェルトの戦いで重傷を負った[2]。1752年4月29日に軍務から引退した[2]

1755年から1757年までグラスゴー大学総長英語版[3]、1764年から1772年までスコットランド教会総会への勅使英語版を務めた[2]

1775年3月7日に死去、息子ジョージが爵位を継承した[1]

家族

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1755年7月11日、エリザベス・ロス(Elizabeth Ross、1791年10月17日没、第13代ロス卿ジョージ・ロス英語版の娘)と結婚[1]、2男3女をもうけた[2]

  • ジョン(1756年3月26日 – ?) - 夭折
  • ジョージ(1766年 – 1843年) - 第4代グラスゴー伯爵
  • エリザベス(1801年2月15日没) - 1786年10月16日、第2代準男爵英語版ジョージ・ダグラスと結婚
  • ヘレン(1780年10月4日没) - 生涯未婚
  • ジェーン(1823年4月30日没) - 生涯未婚

脚注

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  1. ^ a b c d Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. pp. 829–830.
  2. ^ a b c d e Balfour Paul, Sir James, ed. (1907). The Scots Peerage (英語). Vol. iv. Edinburgh: T. and A. Constable. pp. 215–216.
  3. ^ a b "John Boyle 3rd Earl of Glasgow" (英語). University of Glasgow. 2019年5月27日閲覧
公職
先代
カスカート卿英語版
スコットランド教会総会への勅使英語版
1764年 – 1772年
次代
カスカート卿英語版
学職
先代
ウィリアム・ミュア英語版
グラスゴー大学総長英語版
1755年 – 1757年
次代
シェワルトン卿
スコットランドの爵位
先代
ジョン・ボイル
グラスゴー伯爵
1740年 – 1775年
次代
ジョージ・ボイル