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ジョン・ロッジ (歴史学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジョン・ロッジ英語: John Lodge1692年1774年2月22日)は、アイルランド王国で活躍した、イングランド出身のアーキビスト系譜学者。著作『アイルランド貴族名鑑』(The Peerage of Ireland、1754年初版、1789年第2版)で知られる[1]

生涯

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イングランドの聖職者

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農家エドマンド・ロッジ(Edmund Lodge)の息子として、1692年にランカシャーボルトン=ル=サンズ英語版で生まれ、1693年1月22日に同地で洗礼を受けた[2]クラッパム英語版の学校で教育を受けた後[1]、1716年6月26日にケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジに入学、1719年/1720年にB.A.の学位を、1730年にM.A.の学位を修得した[2]。1720年6月12日にリンカーン執事に叙任され、1721年9月23日にイーリーで司祭に叙任された[2]。1722年9月20日にケンブリッジシャーマーチ英語版で説教をする免許を得て、1723年に同地で教区副牧師(curate)に叙任され、1725年6月15日に同地の教区学校英語版校長に任命された[3]

アイルランドにて

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『アイルランド人名事典』(Dictionary of Irish Biography)によると、1732年にはアイルランドに移住した可能性があるが、確実な記録としては1743年に第6代アングルシー伯爵リチャード・アンズリー英語版アルサム男爵位の継承を主張した裁判に出席したことがはじめてだった[4]。ロッジはこの裁判で速記を行い、1744年に裁判の記録を出版した[1]

1742年8月に『アイルランド貴族名鑑』(The Peerage of Ireland)を出版する意向であることを公表し、1754年に4巻で出版を実現させた[4]。『英国人名事典』は『アイルランド貴族名鑑』を「勤勉、正確さと学問の金字塔」(a monument of industry, accuracy and learning)と評し[1]、『オックスフォード英国人名事典』も同様の評価を下したが、現代ではジョージ・エドワード・コケインの『完全貴族名鑑』第2版に取って代わられたとしている[3]。その後、好古家マーヴィン・アーチダル英語版はロッジの貴族名鑑を7巻に大幅加筆して、1789年に第2版を出版した[1]

1751年にはアビー・ストリート英語版に住み、同年にダブリン城バーミンガム・タワー(Bermingham Tower[注釈 1])の副記録員(deputy keeper of the records)に任命され、1759年にdeputy-clerk and keeper of the rollsに任命された[1]

アーマー大主教英語版リチャード・ロビンソン英語版と親しい友人であり、そのつてにより息子ウィリアムがアーマー聖堂英語版尚書(Chancellor)に任命された[4]

死去

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1774年2月22日、バースで死去した[1]。死後、蔵書の一部がアーマー公立図書館に寄贈された[3]。また、1768年にマイケル・イグナティアス・ダガン(Michael Ignatius Dugan、1768年没)からサー・ジェームズ・ウェア英語版アンソニー・ドッピング英語版ウォルター・ハリス英語版の手稿を継承しており、自身の手稿も含めて1865年にアーマー公立図書館館長ウィリアム・リーヴス英語版により購入され、図書館の蔵書となった[3]

ロッジは副記録員として扱った公文書の索引を作成していたが、これらの索引は1783年に政府により未亡人エドワーダへの年金100ポンドと息子ウィリアムへの年金200ポンドを代償として購入され、1922年にダブリンにあるアイルランド資料保管オフィス(Public Record Office of Ireland)がダブリンの戦いで破壊されたときも焼失を免れ、現代ではアイルランド国立公文書館英語版が所蔵する[3]

著作

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家族

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1人目の妻をハミルトン氏(Miss Hamilton)といい、2人目の妻はエドワーダ・ガランド(Edwarda Galland、1783年以降没[3])だった[1]。ロッジは合計で9人の子女をもうけたが、そのうち8人がロッジに先立って死去した[1]

注釈

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  1. ^ バーミンガム・タワーはダブリンにおける主要な公文書保管庫の1つ[4]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Goodwin, Gordon (1893). "Lodge, John" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 34. London: Smith, Elder & Co. pp. 58–59.
  2. ^ a b c "John LODGE (LG716J)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  3. ^ a b c d e f g Goodwin, Gordon; O'Sullivan, William (22 September 2005) [2004]. "Lodge, John". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/16921 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  4. ^ a b c d e O'Riordan, Turlough (2009). "Lodge, John". In McGuire, James; Quinn, James (eds.). Dictionary of Irish Biography (英語). United Kingdom: Cambridge University Press. doi:10.3318/dib.004865.v1
  5. ^ a b c "John LODGE (LG740J)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.

外部リンク

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