ジョン・M・ウィル
ジョン・M・ウィル John M. Will | |
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1956年11月4日撮影 | |
生誕 | 1899年9月15日 アメリカ合衆国・ニュージャージー州パース・アンボイ |
死没 | 1981年5月5日 (81歳没) アメリカ合衆国・メリーランド州ベセスダ |
所属組織 | アメリカ |
部門 | アメリカ海軍 |
軍歴 | 19XX年 - 1959年 |
最終階級 | 海軍中将 |
戦闘 | 第二次世界大戦 |
受賞 | レジオン・オブ・メリット (3) |
ジョン・マイリン・ウィル(John Mylin Will、1899年9月15日 - 1981年5月5日)[1]は、アメリカ合衆国の海軍軍人。最終階級は海軍中将。第二次大戦時の太平洋艦隊潜水艦部隊司令長官。アメリカン・エクスポート=イスブランツェン・ラインズ(American Export-Isbrandtsen Lines)社長。
海軍人事局(Bureau of Naval Personnel)に配属され、training-directorと巡洋艦「コロンバス」艦長を務めた。海軍省に勤務する傍ら、アーサー・ティックル・エンジニアリング・ワークス(Arthur Tickle Engineering Works)社長、同会長も務めた。[2]
生涯
[編集]1899年9月、ニュージャージー州パース・アンボイで生まれ、その後バージニア州ディアフィールドとニューヨークに移り住んだ。1923年、アナポリス海軍兵学校を卒業し、その後ペンシルベニア州立大学で修士号を取得。1949年、大西洋のMilitary Sea Transportation Service(MSTS)司令官を務め、その後、国防長官府人事政策局長(director of personnel policy for Secretary of Defense office)に昇進した。1956年、軍事海上輸送司令部司令官に配属され、退役するまで海軍部門を指揮した。[3]
ガンの治療を受けるために軍の病院に入院し、1981年5月5日にメリーランド州ベセスダのウォルター・リード国立軍事医療センターで死去。なお、妻のルイーズ・レイ・ウィル( Louise Ley Will)は、夫が亡くなる8年前の1968年3月31日に亡くなった。[3]
栄典
[編集]第二次世界大戦中の貢献が認められ、大統領からレジオン・オブ・メリット勲章を授与された。冷戦への貢献により2度目のレジオン・ド・メリットを授与され、後に3度目のレジオン・ド・メリットを授与された。[4]
脚注
[編集]- ^ “ADM John Mylin Will”. militaryhallofhonor.com. 2023年9月7日閲覧。
- ^ Clark, Alfred E. (May 10, 1981). “John Mylin Will, 81; Was a Vice Admiral”. 2023年9月7日閲覧。
- ^ a b “Retired Adm. John Will, Headed Military Sealift”. 2023年9月7日閲覧。
- ^ “John Will - Recipient -”. valor.militarytimes.com. 2023年9月7日閲覧。